四 探索
終業ベルが鳴り、英一は自席を立つと、しかしそのまま、同じ係の斜め向かいに座っている同期の同僚をしばらく見ていた。
茂は英一の視線を無視していたが、根負けしたように英一の端正な顔に目を向けた。
「なにか用?三村。頼まれてた議事録はもう送信したけど?」
英一は目線を下げ、考えるように黙っていたが、再び顔を上げて茂の色白の童顔を見下ろした。
茂は洗って給湯室に置いてあった弁当箱を回収し、包んで鞄にしまっているところだった。
「・・・・河合。」
「なに?」
「・・・・ちょっと、その」
「うん」
「その、相談が・・・・・ある。」
がしゃん!と派手な音をたてて、茂のアルミの弁当箱と箸箱が机に落ち、蓋と本体と箸とに分かれてそのまま床へ転落した。
茂はそれらに目もくれず、目を見開いたまま英一の顔を見て固まっていた。
「・・・・・」
英一は咳払いをして、もう一度言った。
「相談したいことがあるんだ。今日少し時間あるか?」
「な、なななななんだよ、最近俺なにか問題あることしたっけ・・・・?お前のプロジェクトチームとは別のチームだし、えっと、それとも・・・・」
「因縁をつけると言ってるんじゃない。」
「・・・・そ、そうか。」
「大森パトロール社で今日高原さんに会う。その前に、ちょっと教えてほしいことがあるんだ。」
「・・・構わないけど。」
二人は生まれて初めて、一緒に会社の席を後にした。
駅に向かう道を歩きながら、英一が前を見たまま言った。
「高原さんが、落ち込んでる。」
「ん・・」
「山添さんのことで。」
「・・・そうだね。知ってるよ。」
「理由も。」
「うん。俺がサブ警護員だったんだから。」
「そんなに明らかに、山添さんは手を抜いたのか?」
茂はうつむいてため息をついた。
「山添さんとか高原さんとか、あのクラスの上級警護員だったら、普通に考えてありえないような負傷だったんだって。俺が見ても、確かに不自然だった。・・・車外でいったん態勢を崩させた犯人に、姿勢を整えて刃物で切り付ける時間を与えてしまったんだから。」
「そうか・・・。」
「高原さん、そんなに元気なかった?」
「ああ。前の葛城さんのときと同じだとおっしゃっていた。警護員が、襲撃犯のことを考えて仕事をするようになったら、かなり危険だって。」
「・・・・・・」
茂は、葛城に墓地で苦言を呈し返り討ちにあっていた高原のことを思い出していた。
「襲撃犯に対して、何らかの感情を持つことは、警護に当たってたぶん百害あって一利なしなことだろう?」
「そうだよ。警護の基本。襲撃犯への対処は、冷静に行わなければならない。研修では、怒りにまかせて反撃するな、と教えられるけどさ。」
「ましてや、思い入れとか肩入れとか、論外だよな。」
「当然だよ。」
英一は端正な両目で、隣の茂のほうを見た。
「・・・襲撃してきた犯人が、知り合いだったら、どうするんだ?」
茂は横目で同僚を見返した。
「関係ない。そう。関係ないよ。もちろん。」
「そうだよな。」
「警護員は、肉親以外は誰でも警護できないといけない。そして、肉親であろうと、クライアントを襲った者は最も効果的な方法で排除する。」
「手加減するなどは・・・」
「ありえない。」
「葛城さんは、それもあって、波多野さんに長時間説教されたんだな。」
「そうだよ。襲撃犯を怪我させまいとして、警護のとき自分が怪我したんだから。」
茂は言ってから自分で驚いた。
英一の顔を見た。
英一は憂鬱そうな顔で茂を見返していた。
「おんなじパターンなのか・・」
「考えたらそうだよな。」
「葛城さんのときは、でも手加減したのは一方的に葛城さんだけだった。」
「ああ。そして葛城さんは、自分の身は守ると、そのあとで少なくとも高原さんに約束した。」
「・・・・・。」
「・・・・・。」
二人は正面へそれぞれ視線を戻す。
駅は目前に迫っていた。線路を渡れば、もうすぐに大森パトロール社の入っている雑居ビルがある。
「山添さんは、プロの警護員だ。このまま、ということはないと思う。」
「うん。俺もそう思うよ。顔見知りだったら手加減してもらえるんだったら、クライアントを襲いたい人間たちはみんな、警護員の知り合いに扮した刺客を送り込めばいいってことになる。」
「そう、それに・・・それは結局、犯人に同情する余地をつくる。知らない犯人でも、その事情を知り手加減するようなことにつながっていく。それだけは、阻止しないといけないはずだよな。」
「そうだよ。」
「高原さんは、こういうことを色々心配なさっているんだと思うけど、実はそれ以上に心配しておられることがある。」
「山添さんの、今後のことだね・・・。」
「そう。自分がしたことを、何らかのかたちでけじめをつけようとするんじゃないかって、多分そういうことを心配しておられるんだろう。」
「それって、仕事を辞めるとか?」
「いきなりそれはないだろう。一件の案件の話だから。怪我したのは自分自身だし。」
「うん。」
「でも、なにか、この後起こる。そういう心配だよ。」
「高原さんらしいなあ・・・・」
英一は頷き、そして、足を止めた。
茂は英一の横顔を見つめた。
「河合、俺は」
「・・・うん」
「俺は、高原さんに、元気になってほしいんだ。」
「うん。」
「いつもの、そつがないのに、くだらない冗談ばっかり言っている、高原さんでいてほしい。」
「そうだね。」
英一が少しうつむいて笑う。
「・・・少なくとも、河合、お前がよく受け売りしていた・・・・」
「ん?」
「・・・葛城さんの不幸の話が、また新作が、出るくらいにさ。」
「・・・・・・」
大森パトロール社の控えめな看板が目前に見えていた。
茂は英一の顔を見て、微笑した。
「俺、高原さんともう一度話して、そして、波多野さんにも相談してみる。」
「ああ。」
「なにかわかったら、知らせるよ。」
「・・・・頼む。」
茂と英一が大森パトロール社の事務所に着き、来客用の入口から中へ入ると、カウンターの向こうから、男性離れした驚異的な美貌の警護員が二人に気づいて走り寄ってきた。
「英一さん、茂さん、会社終わったんですね。お疲れ様です。」
「こんばんは、葛城さん。」
「お邪魔します。」
葛城は英一の顔を見て、一瞬ためらうようにその肩まで伸ばした髪を右手で右耳にかけ、そして後ろの事務室のほうを見ながら言った。
「すみません、晶生が・・・高原が、まだ応接室で部長と話しているんですが・・・もう一時間くらいになるんです。今日は三村さんがみえるからって楽しみにしていたのに、なんだか険悪な感じで私も割り込めなくて・・・・」
英一は奥の応接室のほうに目をやり、微笑んだ。
「なんとなく・・・どんなお話か、想像つきます。」
「・・・・」
「今日は稽古の予定はないので、よろしかったらいつでも携帯に電話くださいってお伝えください。」
「はい。すみません、英一さん。」
「いえ。じゃあな、河合。」
英一は葛城に会釈し、河合に右手を挙げ、そして事務所を出ていった。
茂が葛城のほうを見る。
「高原さん、なんのお話なんでしょう。」
「崇のことみたいです。」
「・・・・・」
葛城は少しやつれたような、笑顔で茂を見た。
「崇が負傷したことで、晶生は色々ずっと心配しています。」
「はい。」
「でも私は、今回のあいつの案件について聞いて、少し別のことを考えてしまいました・・・。」
「・・・・・」
「この先、クライアントは・・・いえ、もとクライアントは、何度もきっと彼を恨む人間たちに狙われるんだろうな、って。」
「・・・はい。」
「刺客のレベルの高さも、危険の大きさも、警護の重要性も結局ほとんどご理解いただけなかったですし・・・そしてなにより、たとえご理解いただけたところで、一生警護できるわけでもないですし・・・・・。警護員というのは、本当に、ほとんどクライアントになにもしてあげられない。」
「葛城さん。」
葛城は、唇を前歯に挟んで、しばらく宙を見た。
そして、そのまま申し訳なさそうに、微笑んだ。
「すみません、茂さん。」
「・・・・・」
「先輩警護員が、後輩に向かって言うことじゃなかったです・・・・」
茂は葛城の美しい両目をまっすぐに見つめる。
「元気出してください、葛城さん。」
「・・・・」
「葛城さんがしょんぼりしていると、高原さんが悲しみます。」
「・・・・」
「そして、高原さんが悲しそうにしていると・・・・」
葛城は、顔をあげて、笑った。
「・・・英一さんが、悲しむんですね。」
「はい。」
「なるほど、つまり」
葛城は茂の腕をつかみ、カウンターの中へ連れ込み、打ち合わせコーナーへ向かった。
「・・・?」
「つまり、私が元気でいることが、まわりまわって茂さんを悲しませないことに、なるわけですね。」
「まわりまわらなくても、そうですよ。」
「あははは。」
「・・・・・」
「茂さん」
「?」
「麦茶飲みますか?」
「あ、はい」
茂が給湯室へ行こうとしたとき、応接室の扉が開いた。
波多野営業部長が出てきて、こちらへ歩いてくる。
「おう、茂。今日は三村さんと一緒じゃなかったのか?」
「一緒でしたが、高原さんが応接室で話しておられたので、帰りましたよ。」
波多野は時計を見た。
「いかんいかん、こんなに長い時間話してたんだな・・・・。」
「何か懸案事項ですか・・・・?」
波多野は、心配そうに自分を見る二人の警護員に順に目をやり、首をふった。
「いや、そういうわけじゃない。心配しなくていい。」
「・・・・」
明らかに心配そうな葛城と茂に軽く手をふり、波多野は事務所を出ていった。
葛城が応接室へ入っていき、茂も後から続いた。
高原は応接室のソファーに座ったまま、両肘を両膝の上に置いてじっとしている。
「・・・晶生?」
声をかけながら葛城が近づくと、高原はしばらくして顔を上げた。
茂は高原の表情がとても厳しく、そしてその顔色もほぼ真っ青と言ってよい状態であることに驚いた。
入口側の、葛城と茂のほうを見て、高原がようやく言った。
「ごめん、三村さんがみえる約束だったのに・・・・もうこんな時間なんだな。」
「三村なら大丈夫です。携帯にでも電話くださいって言ってました。」
「ああ。」
葛城が高原の隣まで歩み寄った。
「晶生、どうかした?」
「・・・・うん、ちょっとね・・・・」
「・・・・・」
「波多野さんに、詰め寄ってしまった。」
「・・・・?」
「後悔してるよ。」
そのまま高原はうつむいた。
それ以上葛城は追及しなかった。
「元気だしてくれ、晶生。」
「・・・・・」
「お前がしょんぼりしていると、まわりまわって俺がつらくなるんだ。」
高原は不思議そうな顔で葛城を見た。
「まわりまわって?」
葛城は美しい顔をほころばせた。
「そう。まわりまわって。」
簡素なデザインだが上質な素材でつくられた、デザイナーが自分のために建てた家といった風情の住宅の前に車を停め、高原は運転席から降りてインターフォンを押した。
玄関を開けた家主は、大凡考えられる限りの、最大限の迷惑そうな顔で来訪者を見下ろした。
「ごめん、突然。少しでいいんだ。教えてほしいことがある。」
「・・・・高原、僕に勤務時間外に家で会おうとした警護員は大森パトロール社では君が初めてだし、アポなしで家に来て入れてもらえた人間はまだいないよ。」
「申し訳ない。」
大森パトロール社の月ヶ瀬透警護員は、洗ったばかりらしい濡れた長い黒髪を、首にかけたタオルで苛立ちをこめてごしごしこすりながら、ため息をついた。