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三 邪念

病院の救急外来の待合室に座っていた茂は、後ろから声をかけられ振り向いた。

「高原さん」

「河合、大変だったな。崇は?」

「たった今、診療室に入られたところです。自分でしっかり歩いておられますし、大丈夫だと思います。」

 高原は少しほっとした顔をした。

 茂のとなりに座り、高原は長い脚を狭そうに椅子の前に収め、両膝に両肘を置く。

「・・・波多野さんはまだ事務所で待っておられる。治療が終わったら連絡を入れよう。」

「はい。すみません・・・高原さんにもお越しいただいてしまって・・・・」

「俺は勝手に来ただけだから。気にするな。お前はバイクか?車で来たから、崇を家まで俺が送るよ。」

「・・・ありがとうございます。」

「ずいぶん、派手な襲撃だったんだな。」

 高原が前を見たまま言い、茂は頷いた。

「派手で、しかも・・・」

「そう、なおかつ、用意周到。緻密。」

「車を襲ったのは、会場で一回目の攻撃をした奴でした。最初の二回は、たぶん我々の力を実際に現場で確認する、直前のそういう段取りだったんだと思います。」

「そうだな。そして、交通量も道幅も考えた絶妙のポイントで攻撃してきたんだな。対向車を足止めまでしていた。」

「やっぱりあいつらですよね。」

「たぶんな。」

「なぜ、今回あえてあんなやり方をしたんでしょうか・・・」

 茂の視線を受け、高原はその眼鏡の奥の、刺すような知性の両目を茂に一瞬、向けた。

「そう、派手にする必要があった。それは依頼人からの指定なんだろう。殺す理由とその方法とに関係がある。あるいは世間の注目を集めてほしい、とかかね」

 高原はしばらく黙っていたが、やがてふっと茂のほうを見た。

「河合。車の襲撃の状況だが、・・・・三者の位置関係とタイミング。覚えている範囲でいい、もう一度教えてくれ。」

「はい、窓ガラスが割られたと同時に、山添さんがドアを中から開けて、犯人はドアに弾かれて車から転落しかけました。」

「崇は右つまり犯人側、そしてクライアントは奥・・・右じゃなく左の後部座席寄りにいた。」

「はい。その状態で犯人は態勢を立て直して、確か右足蹴りをするようなかっこうで、山添さんを攻撃しました。」

「そうか。」

 茂は高原の声が少し暗くなったので、心配になりその顔を改めて見た。

 高原は茂の様子に気づき、軽く咳払いをした。

「・・・高原さん?」

「ん、なんでもないよ。」

 茂の透き通るような琥珀色の両目が、先輩警護員の両目を凝視した。

「妙ですか?・・・・山添さんの、警護。」

「・・・・・」

「遅い、ですよね。」

「・・・・うん。」

「ドアを開けた判断の速さに比べて、その後犯人に刃物で・・・おそらくは刃物を仕込んだ靴でしょう・・・それで攻撃をされるまでの間の時間が、不可解です。山添さんであればその間に、犯人をスティールスティックなりで排除できた気がします・・・。」

「そうだな。俺もそう思うよ。それに、同じくらい不思議なことがもうひとつある。」

「・・・・?」

 高原は天井を見上げた。

「三人の位置関係がお前が見たとおりだったとすると、犯人の目的はクライアント殺害だけじゃなかったはずだ。」

「えっ・・・・」

「お前ならどうする?クライアントを殺すことが唯一最大の目的だったら」

「・・・まず山添さんを車外へ引きずり出して、中のクライアントを狙うと思います。」

「そうだ。しかし犯人はあの態勢で崇を攻撃した。襲撃命令の内容は、クライアント・・・・ターゲットの殺害だけじゃない。その前に立ちふさがったものを攻撃することが、同等の選択肢として存在してたってことだ。」

「はい。」

「しかしだ。崇の反撃のタイミングが一瞬遅れたならなおのこと、その気になれば崇にもっと致命傷に近い傷を負わせることができたと思わないか?」

「・・・・・」

「自分で歩ける程度の負傷を負わせたというのが、犯人側の行動としてなんとも中途半端に思えるんだ。犯人は何がしたかったのか。・・・・クライアントを殺すか、あるいはそうでないならボディガードに怪我だけをさせること。そんな命令がありうるものなのか。」

「不自然ですよね・・・・確かに。」

「そのためにあの攻撃の舞台を設定するとは考えにくいよな、直感的に。」

「はい。」



 街の中心にある古い高層ビルの事務所で、深夜の静けさに包まれる無人の事務室内へカンファレンスルームからの細い光が漏れていたが、やがて事務所入り口の扉が開きエージェントが帰還した。

「申し訳ありません、庄田さん。」

 開口一番、三田逸希は上司に詫びた。

 庄田はカンファレンスルームの椅子を回して入口側に向け、ドアを開けて立っている長身の部下を座ったまま見上げた。

 逸希はまっすぐに上司の涼しげな切れ長の両目を見たが、その静かで優しい瞳は、いつになく追いつめられたような色を帯びていた。

「怪我がなくてよかったです、逸希さん。契約上、あと二回の機会があります。予定通り実施することについて、明日お客様に確認します。」

「はい。」

「大森パトロール社を含め、ターゲットが警護契約を継続するかどうかも、チームの担当者が早急に確認します。お客様のご希望は、ボディガードがいる場で、極力目立つかたちで襲撃することですから。」

「はい。」

「ただし・・・・」

 切れ長の両目を素早くまたたき、庄田は少し顔を傾け、その抜けるように白い肌の顔に微かな笑みをよぎらせた。

「・・・・ただし、お客様にご提案してみることはできます。殺害の成功率を高めることを最優先して、手段を微修正することを。」

「・・・・・」

「殺害担当の意見は尊重します。どうしますか?」

 繊細な顔立ちに暗い表情が満ち、逸希はうつむいた。

「あの・・・・すみません、庄田さん・・・僕は・・・・」

「今日成功しなかった謝罪ならさっき聞きました。何度も詫びる必要はありません。」

「いえ、そのことではなく、その・・・・」

「明日朝までに、希望があれば言ってください。お客様に伝えます。」

「・・・・はい。」



 翌日の月曜夕方、大森パトロール社の応接室に入ってきた二人の部下を、波多野営業部長が複雑な表情で迎えた。

「夕べはお疲れさん。崇、怪我の具合はどうだ?」

「家で一日ゆっくり休みましたし、大丈夫です。ご心配おかけしました。」

 茂と山添は、波多野に向かい合って応接室のソファーに座る。

「電話でも話したが、クライアントと・・・磯部氏と、今朝面談してきた。」

「はい。」

「脅迫状が来ていた式典は終わったから、予定通り警護契約は昨日一日だけで終了にしたいとのことだ。」

「はい。」

「一応、この先ほかの会社の警護員を雇う予定があるかどうかも尋ねてみたが、特にそういうつもりもないそうだ。」

「そうなんですね。」

「昨日の襲撃で、恐怖心が増すことはなかったのか、ということも聞いてみた。」

「はい。」

「答えはノーだった。あれでプロの刺客なんだったら、あまり大したことはないと思ったそうだ。」

 茂はため息をついた。よくあることだ。

 警護員のスキルが非常に高い場合、クライアントから見て、襲撃をいとも簡単に防いだように見えてしまう。

 それは、実際の襲撃のレベルの高さを、分かりにくくしてしまうのだ。

「山添さんが負傷しているのに、あの場面の危なさもご理解されていないんですね。」

「まあ、そういうことだな。一応、できるだけ俺も解説はしたがね。」

 もう一点茂は不満だった。クライアントから、山添を気遣う言葉がまったくなかった様子であることだった。

 隣の山添の様子を見る。

 山添は日焼けした童顔に、いつものように少しの微笑をたたえており、普段と変わらぬように見えた。

 波多野はソファーにもたれて、改めて山添のほうを見た。

「まあ、今日もう一度、支払いの関係で連絡をとることになってるから、もう一回だけ警護継続はお勧めしておくよ。次の週末も公式行事が目白押しらしいからな。」

 テーブルの上の携帯端末には、大森パトロール社がクライアントに提案した警護計画の一覧が表示されている。確かに、来週の土日もクライアントの行動予定はびっしりだ。

「じゃあ、なにか動きがあったら二人の携帯に連絡する。ただし崇は週末まではどんな業務も入れないから休暇を取れ。いいな?」

「はい。」

「茂は週末まで、平日昼間の会社のほうでしっかり働け。」

「もちろんです。」

 ふたりの警護員が応接室を出て行こうとしたとき、波多野が山添を呼びとめた。

「崇、ちょっと残れ。」

「・・・はい。」

 茂が会釈して部屋を出て行き、山添は再び上司の前に座った。

 波多野がその全く似合わないメタルフレームの眼鏡越しに、山添の黒目がちの両目を睨むように見据えた。

「お前、刺客の顔は見たのか?」

「・・・・」

「知っている人間か?」

 山添は視線を下げた。

「・・・サングラスで、顔はよく見えませんでした。」

「そうか。」

「なぜ、そう思われたんですか・・・・?波多野さん」

「なんだか、お前らしくない感じがしたからさ。そんな怪我をするというのがな。」

「俺も・・・そう思います。我ながらお恥ずかしいです。」

 波多野が足と腕とを同時に組み、さらに強い視線を山添に向け、そしてうつむき大きなため息をついた。

「あのな、崇。」

「はい。」

「お前、下手すぎるんだよな・・・嘘をつくのが。」

「・・・・・」

「お前が新人警護員のころから見ている俺をなめるな。」

「・・・・・」

「茂とお前から聞いた刺客の特徴だが、完全に一致してる。」

「・・・・・」

「透が・・・・月ヶ瀬が前に遭遇した、ホテルの一室で有名作家を襲撃した犯人の特徴にな。月ヶ瀬の記憶力はお前も知っているだろう。」

「はい。」

「身長、肌の色、声、体型、動きの特徴・・・そして話し方。今回、お前と茂が見た、新聞記者に扮して最初に襲撃し、そして車を襲った刺客と、同一人物なんじゃないか?」

「・・・・・」

「お前は、そいつの顔を、至近距離で見た。そうだな?」

「波多野さん・・・・」

「そいつは車に飛び乗る直前に、サングラスを外して捨てたと、運転手が言っていたよ。」

「・・・・はい。」

「阪元探偵社の人間は、偽名は使わないし、顔も隠さないからな。」

 山添がうつむいた。

 波多野はその言葉を待った。

「すみません・・・・波多野さん・・・・」

「お前、何年ぶりに見たんだ?」

「俺が高校生だったとき、以来です。・・・あいつの葬儀のときさえ、顔を合わせませんでしたから。」

「そうか。」

「でも、まったく変わっていませんでした。目を見ただけで、月ヶ瀬がなにかひっかかったというとおり、特にあいつと目がそっくりなんです。」

「そうか。」

「はい・・・」

 波多野が身を少し乗り出して、優しさと苦痛とが入り混じった表情で部下の顔を見た。

「・・・で、向こうも、お前に気がついたのか?」

 山添は観念したように、頷いた。

「そうだと、思います。というより、とっくに知っていたというような、顔でした・・・・。」

「朝比奈逸希。・・・うちの、殉職した朝比奈和人警護員の弟、だな。」

「はい。」

 山添は視線を落としたまま、唇をかんだ。



 昼休みのざわめくコーヒー店で、高原が、業界は違うがほぼ第一級の親友といってよい黒髪の美青年と雑談するとき、周囲の女性客たちの視線を気にしないようにすることだけが、いつも求められる困難である。

「三村さん、いまだに俺は慣れないですが、生まれたときからこういう環境にいると、やっぱり平気なものですか?」

 英一はコーヒーカップを目の前まで持ち上げながら、その端正な漆黒の両目を細めて笑った。

「お陰様で、人よりは多くの女性とおつきあいさせてもらってますが、こういう言い方をしても誰も取り合ってくれませんが、あまり嬉しい環境でないことは確かです。」

「確かに取り合いたくない言葉ではありますね。」

「たぶん俺は、女性を幸せにできないです。」

 英一が笑わずに言ったので高原は一瞬言葉に詰まった。

 目の前で気まずそうな顔をしている、眼鏡の似合う知的なボディガードの顔を見て、英一ははっとしたように微笑した。

「すみません、高原さん。今日はそういう話じゃなかったですね。」

「・・・いつか、うちの葛城警護員が、クライアントを襲った犯人とこともあろうに逃避行したことがありました。」

「なんだか語弊がありますよ、高原さん。別に葛城さんはその犯人の女性と恋愛関係になったわけでもないし。」

「そうですね、・・・とにかく、犯人に余計な同情というか肩入れをして、勝手にその良心に期待して、長時間かけて自首を勧めた。」

「そしてその厚意は見事に仇で返されたんでしたね。」

「はい。うちの会社は、人命救助という意味では犯人であろうと例外ではありませんが、警護の仕事をする上で、誰かの個別の事情を勘案することはありえないはずでした。」

「そうですね。」

「それは、犯人だけではありません。クライアントもそうです。」

「どんなクライアントも、違法な攻撃から合法に守る。それだけなんですよね。」

「警察にゆだねたほうがよい場合を除いて・・・・。しかし、升川の事件で大きく足元が揺らいだのは、やはり事実です。乗り越えたつもりでも、それはそう思っているだけなのかもしれません。」

 英一は不思議そうに高原の眼鏡の奥の両目を見る。

「・・・クライアントのことを考える。それそのものは、とても大事なことに思えますが。」

「そうなんですが・・・・」

「大変なことではありましょうけれどね。ただし、犯人については、確かに話はちょっと違ってきますね。」

「そうなんです。犯人のことを考えることはさらに危険なことです。三村さんにかつてお恥ずかしいところをお見せしてしまった、あの茶室での警護でも、我々は犯人に思い入れだけはしなかった。あなたが我々の背中を押してくれた、学園理事長の脅迫事件のときもそうですし、そのあと、河合が負傷したあの事件のときも。山添が死にかけた出所後警護のときも。」

「・・・・・」

「そういう意味では、山添と葛城が担当した、あの、婚約披露パーティーでの事故は、意味の大きな事故でした。大森パトロール社始まって以来の経験豊富な警護員二人が、犯人のことを不必要に考えすぎたことで、自らの身の危険を招いたんです。確かに、怜の…葛城の性格を考えれば、まったく不思議はないし、十分想像のつく行動でもありました。しかし、そういう性格であることと、実際にそういうことをすることとは、まったく別の問題です。」

「はい。」

「このことをもっと気にすべきだと思い始めていた矢先に・・・・」

「・・・・・」

 高原は一瞬言い淀んだ。

「月ヶ瀬が、会社のあり方に明快な危機感を抱いたのは、今思えば妥当な感覚だったのかもしれません。」

 英一も迷ったが、しかし結局、尋ねた。

「・・・・高原さん、別の警護員さんが、また同じようなことを?」

「はい。・・・山添が先般の警護で、負傷したんですが・・・」

「だそうですね。河合から少し聞きました。」

 高原はコーヒーカップの中身を睨むかのようにテーブルに視線を落とした。

 英一がやや驚いたほどに、高原の表情は冷たく硬くなっていた。きわめて静かに、しかし確実に憤っているという表現がふさわしかった。

「崇は・・・・山添は、あきらかに、手を抜いた。」

「えっ・・・・・」

「手を抜いたんです。警護に。」

「・・・・・それは・・・・」

「負傷などせずに犯人を排除できたはずの場面で、みすみす自分を攻撃させた。」

「そんな・・・・・」

「そして山添だけじゃなく、犯人側も、手を抜いている。」

「え?」

 高原はうつむいて、少し笑った。

「わけわからないです。でも、想像はつきます。山添と、犯人は、知り合いだったんだと思います。」

「・・・・・」

「警護員としては、破綻といってもいい状況です。」

「犯人に、こころあたりは・・・・」

「まったくわからないです。」

「波多野さんには、相談されましたか?」

「しました。波多野部長にも、特に思い当たることはないとのことでした。」

「そうですか。」

 コーヒーがすっかり冷めてしまい、時計の針も間もなく昼休みが終わることを告げていた。

 英一は改めて、高原の、青ざめた顔を、やや優しい表情で見つめた。

「高原さん・・・・念のためにお尋ねしますが、山添さんが犯人側と内通しているんじゃないかとか、そういうことを疑っておられるのではないですよね?」

 高原は驚いた様子で英一の眼を見返した。

「それはありません。もちろん崇を・・・山添を信頼しているということもありますし、理屈で考えてもそれはありえませんから。」

「そうですね。現在のみならず将来的なことを考えても、なにか襲撃の成功につながる要素がないですからね。」

「はい。俺の懸念していることは、たぶんただひとつ・・・・」

「私も同じことを、思いました、多分、今。」

 高原が時計を見て、英一に会社に戻る時刻であることを告げると、英一は終業後に今度は大森パトロール社へ立ち寄ることを約束して、席を立った。



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