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一 挙動

朝比奈和人警護員の弟が登場します。

また、以前少し登場した、阪元探偵社の庄田直紀の事実上のデビュー回です。

 狭い階段を降りたところにある、窓のない小さなバーで、長身の美青年が一人でカウンターに向かってぼんやりとしていた。

 マスターが二杯目の水割りを目の前に置く。しばらく手がつかないので、マスターは客の黒髪と同じ色の端正な両目が宙に視線を止めているのを見ながら声をかけた。

「三村さん、最近よく、そんなふうにふわふわした表情をされますね。」

 三村英一はマスターの優しそうな顔を見て、はっとしたような顔になり、そしてすぐに可笑しそうに笑った。

「そう?」

「はい。」

 初めて目の前のグラスに気がついたかのように手に取り、持ち上げた。氷が美しい音をたてる。

「前はこんなんじゃなかったかな?」

「はい。もっと怖くて近寄りがたい目をされてましたね。」

「ははは・・・・」

「良いお友達が、できましたか?」

 マスターがグラスを拭きながらにっこりする。

 英一は少し目を逸らすようにして、また微笑んだ。

「そんなことはないけど。・・俺にも優しい人達が、何人かはいる、それくらいかな。」

「それはたとえば、いつだったかここで貴方がコーラをおごった、あの・・・・女装した可愛い男の人とかですか?」

 小さな音をたててグラスをカウンターに置き、英一が咳き込んだ。

 マスターが背中を向けボトルに手を伸ばす。

「・・・マスター。その部分だけ聞くと、なんだか俺に妙な趣味があるみたいに聞こえるよ。」

「すみません。」

「ボディガードさんたちだよ。人を守るためなら、違法なこと以外はなんでもする・・・・どんなことでもする、人たちなんだ。」

「そうなんですね。」

「女装もすればダンスもするし、命だって平気で捨てる。」

「すごいですね。」

「でも、すごく、不器用でバカな人たちなんだよ。」

 マスターは伏し目がちに笑った。

「三村さん・・・・その人たちのことが、本当に、大切なんですね。」

「・・・・・」

「そんなお顔で、バカとかおっしゃると、友情がばればれですよ。」

「・・・マスターには、いつも、絶対にかなわないな。」

「人生経験が違いますから。」

 英一はおもむろに水割りを飲み干した。

「でも、悩みも増えたよ。」

「ケンカしたり、ですか?」

「それもあるし。」

「・・・秘密とか。」

「やっぱり、マスターは、すごいね。」

「すごいついでに申し上げますと、隠し事はやめたほうがいいと思いますよ。三村さんは、結構そういうの、苦手そうですから。」

「あの女装していた奴には黙っててほしいって、ほかのボディガードさんに言われていることがあるんだけど・・・・・そろそろばれそうなんだ。だから、なるべく会社が終わったら顔をあわせないようにしてる。」

「それで最近、お稽古のない日はここへみえるんですね。」

「ごめんごめん、そういうことじゃなくても、ときどき来るようにするよ。」

「よろしくお願いしますね。」



 同じころ、バーのマスターと英一に噂をされていた河合茂は、平日昼間勤めている会社が終わった後すぐに向かった大森パトロール社の事務所で、先輩警護員が仕事から戻ってくるのをひたすら待っていた。

 二時間後、従業員用出入り口をカードキーで開けて、葛城怜警護員が事務室へ入ってきて、茂と目が合い、明らかに動揺した。

 葛城怜は警護員として敏腕であることのみならず、その男性離れした驚異的な美貌と、外見に劣らぬ美しい中身が特徴であり、茂は非常に尊敬している。

 しかし今日は茂は敬意より戦闘モードでこの美貌の先輩警護員へ対峙すべく、共用の事務机の席から立ち上がった。

「こんばんは、葛城さん。」

「こんばんは・・・・茂さん、こんな遅い時刻まで、事務室におられるとは・・・・」

「葛城さんをお待ちしてたんです。」

「・・・あ、次の警護の仕事でしたら、まだ波多野部長から具体的には・・・・」

「次の警護の仕事のことじゃありません。」

 茂が葛城の目の前まで来て立ち止まる。二人とも身長は百七十センチほどで、細身で体型は似ており、向かい合うと視線もほぼ水平に合う。葛城はその目立ちすぎる美貌を少しでも隠すため濃い栗色の柔らかそうな髪を肩まで伸ばしているが、茂は明るい茶色のさらさらの髪は女性のショートカットくらいの長さだ。

 そして、茂の、透き通るような琥珀色の両目が、葛城の切れ長の美しい両目をきっちり捉えた。

「・・・・どうしたんですか、茂さん。」

「俺に隠し事を、なさっています。葛城さんは。いえ、高原さんも、山添さんも、波多野部長も。ついでに三村もです。」

「・・・・」

「しかもそれは、前回の月ヶ瀬さんのあの事件以来のことですから、月ヶ瀬さんに関係していることですよね。」

「・・・・・」

「俺が知ってはいけないということは、なにか俺が衝撃を受けるような内容ということですよね。それは単に、俺が可哀想だからですか?」

「茂さん・・・」

「葛城さんたちが、俺をそんなふうにご覧になっていたとしたら、それは・・・・」

「違います、茂さん。」

 茂は葛城の顔をさらに強く睨んだ。

「葛城さんは、お顔に感情が出やすいです。ひと思いにしゃべってしまってください。」

「う・・・・」

 茂のほうへ歩み寄り、葛城は事務室の狭い通路でほぼ茂と肩が触れ合わんばかりの距離ですれ違いかけ、立ち止まってため息をついた。

 振り返り、茂を懇願するように見た。

 茂が背後の葛城を振り返ったとき、葛城は茂を飛び越えて視線を事務所入り口のほうへ向けていた。

「怜、黙っているのは返ってよくないよ。話そう。河合にも。」

 高原晶生警護員の声だった。茂が振り返ると、いつの間にか、カウンターの内側に高原が立って顔をわずかに傾けながら苦笑していた。

 三人は応接室に入った。

 茂が給湯室から持ってきたピッチャーから、テーブルの上の三つのグラスに麦茶を注いだ。

 高原晶生警護員は葛城と同じく大森パトロール社ができたときからいる先輩警護員で、その実力は他の追随を許さない超一流だ。すらりと背が高く、爽やかな短髪にメガネがよく似合う知的なまなざし。そしてその中に愛嬌が不思議に同居していて、なんとも人好きのする青年である。

 しかし高原も今日はいつものそつのない怜悧さよりも、気まずい緊張感が勝った表情をしている。

 茂はふたりが口火を切るのを待つ。

 誰も話さない。

「葛城さん、高原さん、俺は覚悟はできてます。どんなお話でも、受け止めます。」

「・・・・・」

「どういう状況なんですか?もしかして、月ヶ瀬さんが実は不治の病で余命わずかとか、そういうことですか?」

「あ、いや、そういうことじゃない。」

「実はほかにも阪元探偵社の陰謀がうちの会社に?」

「いえ、そうではありません・・・・」

「葛城さん!」

「・・・・・茂さん、落ち着いて聞いてください。月ヶ瀬が、前回の警護案件で、襲撃者がクライアント以外の人間を殺害する現場に遭遇したということは、覚えていますよね?」

「はい。確か・・・毒薬を使ってターゲットに反撃された襲撃者を、その場で危険を顧みずに救護して・・・、あとで波多野さんに叱られたとうかがいました。」

「そのとき殺された人間についてです。当初、月ヶ瀬はその人間を知らないと言っていました。」

「はい。」

「しかし、そうではなかった。あいつは、その人間の名前を聞いたそうです。」

「それは?」

「升川厚、だったそうです。」

「えっ・・・・!」

 高原はわずかに目を逸らし、そして葛城はうつむいた。

 うつむいたまま、葛城が言葉を続ける。

「うちの会社が出来てすぐに、我々と同じ当初メンバーだった朝比奈和人警護員を、欺き、犯罪に利用しそして殉職させた、プロの殺し屋・・・・升川厚、です。升川が、その後数年たって、再び我々を犯罪に利用しようとしたとき、それを承知の上で・・・・・そして奴の命を阪元探偵社が狙っているという理由で、我々は升川の依頼通りに警護をしました。茂さん、あなたも全力でそれに取り組んでくれた。」

「・・・・はい。」

「我々が阪元探偵社から升川を警護したとき、升川を殺そうとしたエージェント・・・阪元探偵社の板見ですね、彼に、升川は復讐を試みた。もちろん再び名前も顔も変えて。その場面に月ヶ瀬が遭遇した。名前をはっきりと聞いた。そして板見に、升川は返り討ちにあう格好で殺された。」

「・・・・・・」

「月ヶ瀬は波多野さんと相談して、当初このことを我々に黙っているつもりだったようです。しかしその後、晶生が、阪元探偵社の別の人間から同じ話を聞いて、発覚しました。」

「そうなんですね。」

 葛城と高原は、それぞれ、心の中で、茂への慰めの言葉を一ダースずつほど用意した。

 葛城が顔を上げ、後輩警護員の顔を見た。

「茂さん・・・・せっかく、必死で自分の個人的な感情に打ち勝って警護したクライアントが、その後、同じ阪元探偵社に結局殺されてしまったというのが・・・・特にまだ警護経験の浅い茂さんにとって、どれだけショックなことか、我々も・・・・・」

「大丈夫ですか・・・?」

「え?」

 葛城は一瞬茂の言葉の意味を取りかねて、目を瞬いた。高原も同様に茂の顔を見た。

「葛城さんは・・・大丈夫ですか・・・?こんなことになって。いえ、葛城さんだけじゃありません。高原さんも、それに、山添さんも。」

「茂さん・・・・」

 目の前の先輩警護員ふたりが、ほぼ同じような表情で自分を見ていることに気がつき、茂は逆に当惑した。

「高原さん、葛城さん・・・・・?」

 高原が口を開いた。

「河合、お前こそ、大丈夫なのか・・・?」

「・・・もちろん、ショックです。でも俺はあの警護案件で・・・、仲間を亡くしてから数年来の思いを背負った先輩たちの、ほんの少しのお手伝いをさせてもらっただけです。先輩たちの苦しさに比べれば、何程のものでもないです。」

「・・・・・・」

「それより・・・・・」

「・・・・・・」

「高原さんたち、それなのに、俺のことを心配して、黙っていてくださったんですね・・・・。」

 茂は複雑な表情で高原と葛城を見て、うつむいた。

 高原が立ち上がり、頭を垂れた。

「ごめん、河合。」

「えっ?」

 葛城も続いた。

「茂さん・・・・すみませんでした。」

「な、ななななにを・・・・・?高原さん、葛城さん・・・・!」

 茂も慌ててふたりに続いて立ち上がった。

「俺たちは、河合、お前を甘くみていたよ。」

「そうです。」

「ごめんな。お前は精神的にはもう俺たちと変わらない、大人の警護員だ。」

「なんだかひっかかる表現ですが、でも、なんか嬉しいです。」

「もちろん・・・・」

 高原はその人好きのする両目を細め、笑った。

「・・もちろん、警護技術のほうは、どこからどう見てもまだまだ新人だけどな。」

 高原は再びソファーに座り、背にもたれて両手を頭の後ろで組んだ。

 葛城と茂も座った。

 三人は麦茶を飲み干す。

「あの能舞台での升川の警護案件では、奴らが・・・・阪元探偵社が、なにか過去をリセットしようとしていたように見えた。」

「高原さん・・・?」

「あえて俺たちに因果のある朝比奈警護員の関係の案件で・・・しかもあえて俺たちに情報を事前に提供して・・・・現場で、正面からぶつかろうとしたんだ。あいつらは。」

「そうですね。」

「結果があいつらの想定通りだったかどうかは、わからないけどね。いずれにせよ、つまりそれはあいつらに、リセットしたかった過去の何かがあったってこと。」

「はい。」

「そして、そうしたいほどに、何者にも縛られずに進みたい未来があるってことだよな。」

「・・・はい。」

 葛城が、高原のほうを見て、言った。

「俺たちに仁義を切ってから進む。つまり、これから、というよりこれからますます、俺たちの行く手を阻みますよということだね。」

「基本・・・ご親切な人たちなんだよな。」

「ああ。イヤになるくらいに。」

 茂は、先輩たちへの慰めの言葉を二ダースほど頭の中に思い浮かべていた。



 街の中心にある古い高層ビルの事務所で、珍しくカンファレンスルームが実際に会議に使われていた。

 和泉が時計を見ながら、閉まっている扉に近づく。

「すみません、そろそろうちのチームの予約時刻が過ぎるので・・・・」

 中から声がして、書類を片づける音の後、数人の人間たちが開いた扉から出てきた。

 最後に出てきた男性が、和泉に会釈した。

「時間を過ぎてしまい、すみません。議論が白熱してしまいました。」

「いいえ、庄田さん、今日はなんだか会議が多い日ですよね。」

「そうですね。」

 庄田は和泉の健康的な小麦色の顔を見て穏やかに笑った。

 阪元探偵社の「本体部分」はいくつかのチームから成り立っている。和泉は庄田ではなく吉田恭子のチームにいるエージェントである。そして庄田直紀はリーダーとして彼自身のチームを率いている。

 和泉は身長百七十センチほどあり、女性にしては背が高い。対して、庄田は男性にしては背が高いほうではなく、百六十五センチほどで、和泉より少しだけ低い。和泉と同じチームにいる板見と同じくらいだ。

 しかし和泉は、板見と向かい合っているときとは似ても似つかない、恐怖に近いような緊張感を、このよそのチームリーダーと話すたびに覚える。

 和泉のチームのリーダーである吉田恭子も決して近づきやすいタイプではないが、庄田は、落ちこぼれる者は容赦しない血も涙もない教官といった空気がある。それは彼が吉田とは違い、元は前線で活躍した現場のエージェント出身だからかもしれなかった。

 もちろん、野蛮さや暴力性は、今の庄田からは一切感じられない。穏やかな表情、そして切れ長の涼しげな両目は、気品があるという表現さえふさわしい。

 和泉は一礼してカンファレンスルームに入った。続いて他のメンバーも入室し、打ち合わせの準備を始める。

 後から来た吉田恭子が、庄田に会釈する。庄田も一礼した。

「和泉さんも最近はもうすっかり君のチームの人間らしくなりましたね。落ち着いていて、優しそうで。」

「それはどうも。」

 吉田は、鼈甲色のメガネの奥の両目に、静かな微笑みを湛えた。女性の平均的な身長の吉田は、和泉と違い、少し庄田を見上げる格好になる。

 しかし庄田の表情は、さっきの和泉に対するものとは、まったく違っていた。

「いつも、惚れ惚れするような、静かで密やかな仕事ぶり・・・・尊敬しています。」

 庄田が切れ長の目の表情を変えず、品の良い唇だけで微笑む。

 吉田は逆に笑顔を消していた。

「・・・いつぞやは、うちのチームの深山が迷惑をかけた。申し訳なかったと思っている。」

「いいんですよ。一度目、しそんじたことは、結果として良かった。そしてあの、勇み足のほうも・・・なかなか面白い経験でした。」

「・・・・」

「よそのチームのアサーシンだから、甘くしたわけではありませんけどね。」

「・・・次の案件、やはり三田を?」

「もちろんです。何か問題でも?」

 吉田は伏し目がちに笑った。

「庄田。相変わらずあなたは、スパルタ式ね。」

「普通ですよ。」

 二人はすれ違い、別れた。

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