Coffee break
何気に初めてのログ・ホライズン二次創作。単純に三佐さんが書きたかった、ただそれだけです。
「ふふふ……」
丸テーブルの上、バスケットの中に並んだ色とりどりの円盤を前に、目つきの鋭い黒髪の女性は一人柄にもなく笑っていた。字面だけ見れば不敵を通り越して不気味に見えるにも関わらず、実際は様になっているのは、その整った容姿とその円盤がただのクッキーであるからだろう。
彼女の名は高山三佐。アキバの戦闘系ギルドで一番の規模を誇る〈D.D.D〉の中核メンバーにして、レイド作戦本部を統括する才媛。軍人のような出で立ちと言動でギルド内にファンも抱える彼女だが、今相対する物の前では戦闘時のギルドマスターのような笑みが僅かに見え隠れしていた。
傍らに置いたコーヒーも独特の心地よい匂いを放って久しぶりに肩の重りがすべて落ちていくのを感じる。
ギルド内で少し噂になっていたカフェ。ずっと行きたいと思っていたがやるべきことを優先していたら、知らぬ間に時間が経っていた。
聞いた話によれば、クッキーがシンプルながら優しい甘さで、いくつ食べても止まらないらしい。何より気になったのは使用する砂糖に拘っているということ。厳選に厳選を重ねて選び、それに合わせて他の材料も選んだ点。職人のようなその根の入れ方は素直に尊敬に値する。
「いただきます」
震える手を合わせて最低限のマナーを守る。楽しみにしていてもはしたない真似はできない。クッキーを一つ手に取って口へと運ぶ。
「んん゛ー」
快い軽快な音が響く。舌から伝わる文字通り甘美な刺激。半分意志とは無関係に口が動き、手が次の一枚を掴む。
まるで脳に直接栄養が補給されているように満たされいていく感覚。幸福を刺激のかたちとして完全に表現したような奇跡。
「っと……少し喉が渇きましたね」
危うく口の中の水分すべて吸い取られそうなところだったとバスケットの隣に置いていたコーヒーカップを手にする。クッキーと一緒に頼んでおいたコーヒー。香りから分かるほどにこちらも厳選された豆を使っているらしい。クッキーとコーヒー。それぞれ互いに互いを高め合うように、と店自ら宣伝するその味、とくと堪能させてもらおう。
「あむ……むぶぐぐっ!?」
反射的に口を空いた手で覆って正解だった。先ほどまで自分を幸福にしていた刺激とは真逆のベクトルの刺激。天国から一転して地獄に落とされるというのはきっとこんな感覚なのだろうと本気で考えてしまった。
慌ててテーブルの上の瓶を開け、中の角砂糖を入れようとする。が、焦って片手で取ろうとしているからかなかなか上手く掴めず、焦りだけが募りはじめる。これはまずい。不味いし拙い。どうすればいい? この程度の難題、イレギュラーなどは〈大災害〉前も後も経験してきたはず。あくまで冷静に理知的に騒がず、焦らず。
そして、コーヒーカップになだれ込む白い立方体の群れ。真上にはそれを供給する大口の瓶。店員の方には悪いが、また改めて入れてもらえばいいだろう。
スプーンでかき混ぜるときに以前より微妙な抵抗力を感じる。軽く掬ってみると焦げ茶色の液体に混じって半透明の粒が模様を作っていた。いつもより少し多いが、見慣れたものに近くて少し安心する。
「はむ……うん」
液体というよりは若干ジェルに近くなったコーヒーが舌から再び幸福感を提供してくれる。より強く、より長く。先ほどの衝撃もこのための前フリだと思えば、暖かな心で受け入れられた。
「――し、失礼する」
「は、はい?」
向かいの席から可愛らしい、しかし凛とした声が聞こえる。一瞬気のせいかと思ったが、束ねられた黒髪がぴょんぴょんと跳ねているのが見えた。見覚えのある特徴的なシルエット。記憶の中に符合するのはたった一人。
「確か……〈記録の地平線〉のアカツキさんですよね」
「そうだ」
短い返答を聞きながら、高山は先ほどまでの自分の姿を客観的に振り返って羞恥に駆られていた。だが、あくまで表情には出さず平静を装う。気恥ずかしさはあっても堂々と、いつもの調子を思い出す。
「何か御用でしょうか?」
「あ、いや……」
あちらから声を掛けてきたのになぜかどもりだすアカツキ。何か言いづらい事情でもあるのかと高山は考えていたが、実際は違っていた。高山本人が無自覚の間に軍人的な威圧感、要するに「怖い人オーラ」を出していて、アカツキはそれに怖気づいただけなのだ。
「その……コーヒー、そんなに砂糖入れるのか?」
「はい?」
言われて冷静になってみると、半分事故とはいえ、確かにコーヒーに入れた砂糖の量はとんでもないことになっていた。コーヒーに砂糖を入れたと言うよりは、寧ろ砂糖をコーヒーで浸したという表現の方が正しいかもしれない。自分はそれを当然のように、いっそ美味しいと飲んでいたのだ。
「コーヒーに砂糖を多めに入れること自体はコーヒー豆の産地・消費国として有名なブラジルでは一般的で、むしろブラックで飲む方が少数派なのです。ヨーロッパでもイタリアはエスプレッソは砂糖を多く入れるのは定番ですし、スペインでもミルクなしのエスプレッソ『カフェ・ソロ』を頼むのは二割にも満たしません。ブラックで飲む=通なんて考え方は世界的な尺度で見ればそれこそ勘違い甚だしいんです」
「む……むう」
捲し立てるように言った後で気づいたが、間違って砂糖を大量に入れてしまったのだと白状してしまえば良かったような気がする。だが、それを美味しく飲んでいた自分もいたので結果的にはこれで押し切るのが最善。そう思うことにした。
「ならば、一番好きな缶コーヒーは?」
「マックスコーヒーですね。あれは実に良いものです」
コーヒー繋がりなのだろうが少し不意な質問。当然のように答えると、アカツキは一人納得したように頷いていた。
「結局何の御用で?」
「あ、すまない。その……それだけ糖分を取ればそのように大きくなれるのかと」
「ふむ」
確かに高山は女性としては長身な部類だ。かなり小柄なアカツキからすればそれこそ見上げるかたちになる。なるほど、彼女も女性として自分の体型に関して思うところがあるのだろう。
「確かに私は糖分を人より多く摂りますがそれは頭脳労働が――いえ、聞き流してください。大きく成長するには栄養素の面では適度なバランスが必要です。ですから無理して糖分を摂取する必要性は無く、むしろマイナスになるかと。……それにそこまで背伸びする必要もないと思いますよ。結局人間一人では自分の出来る範囲のことしか出来ませんから」
「そうか……そうだな」
最後の一言は少し関係ない余計な言葉だったかもしれないが、好意的に受け取ってくれたようだ。小さな燕は軽く頭を下げた後、町中へと飛んでいった。
再び一人になるテーブル。もう少しだけ時間はあるだろう。甘い甘いコーヒーブレイクはまだ終わらない。