この手に明日を掴むまで-06(99)
「……ここは、一体?」
突如視界一杯に広がる、常緑樹。花や木が放つ、噎せ返るまでの緑の匂い。流れる水音に、
遠く聞こえる鳥の囀り。
先程までの、荒れ果てた荒野とは打って変わった景観に、それ以上、皓の言葉は続かない。
「凄ぇ、綺麗だ」
降り注ぐ陽射しは優しく、思わず口を衝いて漏れる、感嘆の一言。
「その前に、降りて……皓」
自分の身体の下から響いた、潰れかけた蛙のような恭の声に、慌ててその場から、移動する。
「済まん。気付かなかった」
いつの間にか自分の下敷きになっていた恭に、慌てて手を貸して起き上がらせると、
「普通すぐ気付くよね」などと愚痴を零す恭を尻目に、皓は用心深く、周囲を観察する。
「恭」
全身に着いた土埃を叩き落としながら、尚も何事か呟いていた恭に、皓はゆっくりと前方を指し示す。
荒野に降り立った最初の日に、揺らぐ蜃気楼が見せた、白い建物。緑に覆われた中心地点に、
その屋敷は確かな質感を伴って、存在していた。
屋敷を目前に捉えた瞬間、唐突に自分の中に押し寄せた数々の感情に、皓自身うまく整理がつかない。
長かった旅を終え、ついに遙の屋敷まで辿り着けた奇跡が、嬉しいのか悲しいのか、全てが曖昧で、
正しい判断がつけられない。
何がどうなっているのか、不覚にも溢れ出そうな涙を堪えると、皓は下を向いた。
「行ってみる?」
皓の様子を、そ知らぬ顔で貫き通して。恭が普段と変わらない口調で喋りかける。
「なっ!?」
「だってその為に、皓は此処まで来たんでしょう?」
迷いもなく言い切る恭の態度は、遠い昔に置いてきた、末の弟を皓に連想させて。
『恭はどうして俺を無条件に信頼出来る?』
何も聞かないが、何も話さない。二人の間に交わされた、暗黙の了承事項。
互いの過去に干渉しない為、出逢ったあの日から俺達は歩み寄る事もなく、隔てる距離は他人のままだ。
『いや多分、俺が恭を拒絶しているだけなのだろう』
身に余る力を宿した俺は、他人との触れ合いを、いつからか意識的に断ってきた。
一人旅だから、お前と組む気はないと、何度も断った俺に、恭は実力行使を発動し、押しかけた。
追い払うのも面倒だと、現在の状況に落ち着いたのはいつ頃だったか。
恭の過去に興味がない訳ではないし、恭自身について知りたいと思う欲望も、ある。
だが引き換えに明かす自分の思い出は、捨ててしまいたい過去でしかなくて。
――考えてみれば、自分の事を一切話そうとしない俺に、何故恭はついてくるのだろう。
『俺はもっと恭の事を知るべきだ』
自分を信じる相手に、強がる必要はないのかも知れない。友情を育みたい相手に打ち明ける過去が、
必ず幸せである必要もないだろう。
「どうしたの、皓?」
いつもでも返答が無い事が気になったのか、不思議そうに此方を見返した恭に、皓は黙って首を振った。
「なら行こう、皓。俺と皓の、明日を掴み取る為に」
「ああ」
明日へと向かう、一歩、その先へ。踏み出した二人の足は、もう誰にも止められはしない。
大きな扉に手をかけて。
「開けるぞ」 呟いた皓の声は、僅かに震えていた。
ギギーッ 軋む扉の向こう。この先に芽生えるは、俺達二人の希望と未来。
「悪いが、そこから先は通せない」
「?!」
自分達以外、誰一人として存在しなかった場所に、不意に背後から響く、硬い声。
同時に開きかけた扉は上から伸びた逞しい手に押さえつけられ、騒がしい音を立てた。