この手に明日を掴むまで-05(98)
「斎、帰るぞ。彼等が結界内に侵入した」
「!」
遠い空を見つめ呟いた遙の身体が不意によろけ、斎は反射的に遙の白い手を取った。
「遙?」
「……大丈夫だ」
彼等が結界に侵入する際、何故か自分の身体から、僅かな力の欠片が流れ落ちた。
斎の張った強力な結界を「打ち破る」訳でもなく、「侵入」を果たした彼等。
遠い過去、斎が口にした戯言が鍵となって結界は彼等を受け入れたのかも知れない。
『お前が遙の名の意味を知り、それでもまだ遙と行動を共にしたいようで有れば、
改めて屋敷へと訪ねて来るが良い』
約束を交わしたつもりはなかった。だがもし、彼等があの時に助けた子供達ならば。
「斎、大至急結界を強めよ」
これから追い返す彼等が、二度と私の屋敷に踏み込めぬように。
「だが遙、彼等が申し子を希望した場合――」
「私はもうこれ以上、人間の子を申し子に変えたくはない!」
どんなに望まれようと、人間は人間のままで居る方が良い。永遠に近しい命など彼等に与えてはいけない!
「永遠の命」は彼等に確かな希望を与えるが、限られた「力」では、理想の現実には程遠い。
理想と現実の狭間で鬩ぎ合う精神は、いつしか幻想と孤独をその身に植え付ける。
理から外れ、徐々に社会に溶け込めなくなっていく彼等を待ち受ける物は、最終的には絶望の一手だ。
強い口調で言い切る遙に、斎は口を挟む事も出来ず、遙の興奮が鎮まるのを待った。
現在の遙の容態では、激しい感情の動きすら、体力を消耗する可能性が高いからだ。
「斎、私は……」
少し冷静さを欠いた事が、遙自身にも解ったのだろう。危惧した通り、大きく息を吸った瞬間に、
再度足元をふらつかせた遙を、斎はさり気なく支える。
「遙、何なら少し俺を――」
「大丈夫だ」
いつもより若干青ざめた顔色に、それでも微笑みを浮かべながら返す遙の言葉は、普段と同じだ。
『本当にそうなのか?』
支える身体は随分と細くなって、行程の途中で倒れる回数は、増加の一途を辿る。
天に向かって伸ばされる、救いを求める幾本もの手。
叶える願いは、余りにこの地に多すぎて、遙の精神は休まる一時の時間すら、与えて貰えない。
「叶えるべき立場」と「願うだけの立場」間近で見る一対複数の、凄まじく過酷な現状――
『それなのに』
例えどんな状況下に有っても、遙の口から大丈夫ではないと、己はただの一度も聞いた事がない。
心配を、させてもくれない遙の態度は、時として斎を酷く傷つけるが、遙は揺れる此方の気持に、
気付く様子もない。
遙に少しくらい己を分け与えたところで、己の中の何が変わる訳でもないだろうに。
遙は頑なな迄に「それ」を拒み続ける。
『貴女がもう少し甘えてくれたなら』遙に聞こえぬよう、ごく小さな溜息を一つ。
――同じ言葉を吐く、もう一人の男。
報われぬ想いを抱えるのは己だけではないのだから。……現在はまだ、耐えられる。
「斎?」
触れた手から、己の感情が少し流れたのだろう。与えられた理解出来ぬ感情に、
混乱する遙の意識が斎にも伝わって。
仕方なく、斎は己の思考を切り替える方法を、探した。