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この手に明日を掴むまで-03(96)

 荒野を歩いて幾度目の朝陽、だろう。

 枯れた大地は果てなく続き、迎える朝は、少しずつ、だが確実に、彼等二人の体力を奪い始めていた。

 山間(やまあい)を吹く一陣の風が、歩みを止めぬ二人の身体を優しく撫で上げ、名残惜しそうに行き過ぎていく中、恭は言葉に出来ない「何か」に気付いて、唐突に歩みを止めた。


「?」

「どうした、恭?」

 立ち止まった自分に、不思議そうな皓の声。

「うーん? 何でもない」

 問いかけに返しながら、恭は自分の周囲を丹念に探る。

 が眼を()らした処で、特に何の異常も感じられない、代わり映えしない風景だけが広がって、恭は軽く首を傾げる。

 何か、が自分の神経に触れた気はするのだが。

『皓が何も感じないのならば、俺の気の所為か?』

 だが間違いなく違和感を訴える自分の感性は、何処かがおかしいと、恭自身に告げていた。




 一方様々な箇所に密かに張り巡らされた結界は、物理的な距離を越え、彼等の気配をそっと遙へ伝令する。

「斎、屋敷の結界が彼等と接触した」

「!」

 普段は余り感情を出さない斎の、珍しく(のぞ)いた表情に、遙は苦笑を隠せない。

「何て顔をしているんだ、斎」

「いや、だが。……彼等は只の人間、の筈では?」

 斎の驚きも無理はない。 当の遙自身が一番驚いたのだから。

 まさか人間の身で山を越え、あの荒野を渡りきる輩が未だに存在するとは、想定すらしていなかった。

 確認の意を込めて透かし見た姿は、確かに、いつかの日、山肌に張り付いていた人間達だった。


「私も、そう判断したのだが」

 唇を軽く噛みながら、遙はあの日の出来事を反芻(はんすう)する。

 移動する際、通常の人間の眼には映らぬよう、普段通り、己の身体に結界を張った。

 にも関わらず、確かに自分と眼が合った、赤茶けた髪をした、まだ若い人間。

 直ぐに此方の姿を見失ったから、刹那的な偶然かと、思いもしたのだが。

「どうやら、違ったらしいな」

 実際のところ偶然などではなく、彼の感情が激しく揺れたから、遙の行方を見失っただけ、と言うのが正解か。


『……だとしたら、私は』

 事態を甘く考えたのかも知れない。 結界すら見通せる力を、もし彼等が本当に持っているのなら。

「斎、屋敷内の人間に連絡を。誰も外に出てはならない、と伝えろ」

 結界内に彼等が許可なく立ち入った場合、仲間は即座に攻撃態勢に入るだろうから。

「彼等を、人間を保護する、と言う事だな?」

 斎の言葉に遙は即座に頷く。

「ああ。私はいま彼等を失う訳には、いかない」


「では遙、彼等には結界を突破出来る力が有ると?」

 斎の何気ない問いに、しかし遙は簡単に答えを返す事もできず、しばし黙りこむ。

 そもそも『見える』と『打ち破る』行為は全く違うものだ。

 例え結界の存在を発見出来たところで、彼等人間では、結界に指一本触れる事も出来ないだろう。

『――少なくとも、彼等が普通の人間ならば、な』

 胸中を走る不安を、遙は一人呑み込んで。

「解らない。私の気のまわし過ぎなら、良いのだが」





「恭?」

 何処か上の空の状態で歩みを進める相方に、皓は仕方なく自分から水を向けてやる。

 何か気になる事でも有るのか、明らかに恭の態度が先刻からおかしいのだ。

 事実呼びかけた言葉に何の反応もなく、皓は恭の肩を軽く掴んで、注意を(うなが)した。


「ああ? ごめん皓」

「……戻るか?」

「なっ!?」

 麓へ戻るか、と問われたと勘違いしたのだろう、恭の瞳に揺れた絶望を読み取って、皓は慌てて言葉を繋ぐ。

「お前の態度がおかしくなった地点に、決まってるだろうが!」

 昼間でも、薄っすらと白く輝く星を目印に、此処まで漫然(まんぜん)と進んできた。

 (おおよ)その位置しか把握は出来ないが、それでも引き返すことは可能だろう。


「何が引っ掛かっているのか、俺にも良く解らないんだ。……それでも良いのかな?」

「良いも悪いもないだろうが。行くぞ!」

 ――最後の山を越えるとき、確証なんて何処にも無かったのだ。

 引き返せと告げた皓に、恭は臆する事なく、着いて来た。 たった一言、こう告げて。

「だって俺、皓と友達になろうって、決めたんだ」


『今更独りになるのが怖いからか?』

 見せかけだけの友情も、案外恭のような軽い人間には、有り得るのかも知れない。

『利害関係が無けりゃ、他人(ひと)は誰も俺と付き合うもんか』

 現に友達顔する奴等の殆どは、皓の強さを利用したいだけだった。

 裏切りなんて、日常的に平気で行われる行為だから。

 他人の言う事なんて、絶対に信用すべきじゃない。……だが。

『だが今度は俺の番だ』


 さっさと(きびす)を返した皓に、照れたような笑顔を、隠すことなく浮かべて見せる恭となら。

 新しい信頼関係を築く事が、可能かも知れない。

「皓、待ってよー。二人で一緒に行くんじゃなかったのかー?」

 恭の浮かべた笑いにつられて、多分、自分の顔にも同じような表情が宿っている事だろう。

 だが、それを恭に見せる気はない。 だから。

 飽くまでも背後の恭を見ることなく、前を見据えたままで、皓は呟いた。

「なら早く来い。俺は待たねぇ」

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