解放(61)
「そう言えば、恭。榮は……その……卵だったか?」
空に向いながら、横に並んだ遙の質問に、内心驚きながらも、恭は平然と答えを返す。
榮の件を、見逃すはずは無いと思っていたが、まさか遙が判らないとは、思わなかった。
直接剣を交える時が来れば、幾ら鈍い遙や皓でも、誰の卵が判るくらい、良く似た波動。
「……厭、少なくとも遙ちゃんとは、違ったみたい」
「そう……か」
―――何もかもお見通しの遙に、実際何処まで真実が見えているのかは、恭には解らない。
けれど想いが叶わぬ相手を傍らに、苦しむ時間は気が遠くなるほど長く、己を苛み続ける。
榮、それは紛うことなく、形は違えど無条件で遙の愛を得られる、この世で唯一の存在。
その存在を否定してしまうくらい、自分が追い詰められている事に、恭はまだ気付いていない。
「そう、か」
小さく繰り返す遙の言葉に、残念そうな響を感じ取った瞭が、そっと慰める様に、遙の頬を撫でる。
遙に抱えられ飛ぶ空からは、何故か大量の雨粒が降り注いできて、瞭は軽く眼を眇めた。
「出るぞ!!」
雨雲を突き抜けたその瞬間、眼も眩むような明るい本物の空が、瞭の視界一杯に広がった。
イエンでは感じなかった風の流れ、太陽の温もり、溢れ返る草木の匂い。それら全てが、瞭の五感を刺激する。
「空が二つ…………どう言う事?」
思わず振り返った背後に、広がるはずのイエンの風景は、巨大な湖に覆いつくされていた。
「?!」
流れる風に静かに波打つ湖面に、頭が微かに見えるだけの朱塗りの大鳥居と、それに寄り掛るように、逆さまに立ち枯れた、
巨大なご神木。
長い年月を経た為に古ぼけてしまったそれらが、確かに此処はイエンだと告げていて。
「そんな……そんな事って……」
透明度の高い湖を透かして見れば、遠く微かに、祠や要と過ごした家らしき跡が見えた。
冷たい湖の底で、静かに朽ち果て、残骸と化したそれらの姿に、瞭の胸が締め付けられる。
「皆……皆本当は死んでいたの?」
要や綺菜、イエンで出逢った全ての人々は皆、冷たい湖の下で死んでしまっていたの?
「いや、厳密に言うと彼等は死んではいなかった。
肉体は滅びても、本来浄化すべき魂を、來に拠って故意にイエンに縛られた彼等は、疲弊していた」
――けれど瞭、お前のお陰で、彼等の魂は全て解放された。
「長きに亘り、無理に生かされ続けた彼等の魂は、いま漸く本当の意味で、死を迎える事が出来たんだよ」
「だって僕がイエンに行かなければ、要や綺菜は現在でも……!!」
例え現実では無く、偽りの世界だったとしても。僕さえイエンに訪れなければ、要は今でも綺菜と笑い合って、
幸せな生活を続けていた筈だから。
「それを……僕は」
「瞭……」
単純にそうでは無い、と答えたところで、恐らく瞭は納得しないだろう。
けれどイエンで起きた一連の出来事全てを把握しきれていない瞭に、理解は難しい。
偽りの世界で紡ぎ続けた幸せは、やがて真実の世界を前にすると儚く消えてしまう事を、恐らくまだ幼い瞭には
理解出来ないのだろう。
彼等の哀しみや苦しみは、呪縛から解放される事によって漸く終わりを迎えられたのだ。
イエンから解放された彼等にとって、終わりは本当の意味での始まりなのに――
悲嘆極まりない瞭の声に、どう答えるべきか、と誰もが悩んでいた時に、何処からか鳥の鳴き声が聞こえた。
「要!!」
辺りを見渡せば、太陽の下を嬉しそうに飛び回っていた一羽のフェイが、その大きな翼を鳥居の上で休ませようと、
近付いた処だった。
「要!!」
重ねて呼びかけた瞭の大きな声に、驚いたように少しだけ首を傾げたフェイは、やがてもう一羽が待つ方向へと翼を広げ、
湖を越えて森の奥へと、その優美な姿を消した。
フェイが飛び去った方向を、どこか呆然と見続ける瞭に、遙が囁くように呟く。
「生きる――とはああ言う事を指すのだと私は思うが。……瞭は違うのかい?」
綺菜が、イエンの村人が、心から切望した、最期の願い。
『魂を縛られる事なく、自由な空へ還りたい――』
「……」
泣きながら黙って首を振った瞭を、遙は優しく抱き締める。
「瞭……お前は本当に頑張ったね……」
遙のその一言に、堪えていた嗚咽が溢れ出して、瞭は激しく声を上げて、泣き出した。
結果的に何が良くて何が悪いのかは、僕には解らない。
けれど、僕は要も綺菜も本当に好きだった。だから、どうか、どうか、幸せに――