質疑(58)
何時まで経っても俺達に何も要求しない遙の不自然さに、最初に気付いたのは恭だった。
「そう言えば、遙ちゃんは俺達から、何を受け取ったのかなあ?」
「何が?」
「契約したんだよ、遙ちゃんと俺達って」
恭が自分の掌に淡い『力』を発生させると、皓にその焔を見せるように、持ち上げる。
「……俺達は力を手に入れた、けど遙ちゃんから何も要求された覚えはないよね?」
何年にも分けて少しずつ授かった力を、漸く使いこなせるようになって、どれ位だろう。
皓は己の力を大剣に注ぎ込む方法を。恭は力を使って無から具現化した弓矢を扱う方法を、それぞれ生み出し、修得していた。
力を受けた為に若干若返った己の身体も、現在では互いに違和感なく、使いこなせるようになって。
心身ともに余裕が生まれたこの時期に、恭の胸に降って湧いた素朴な疑問。
「契約と名が付く以上、必ず代償は支払わなければならない筈なのに、俺や皓にはその覚えがない。
……だとしたら、遙ちゃんは何を引換にして俺達に力を授けたのかな」
恭は力の焔を軽く手を振って打ち消すと、考え込むように爪を噛む。
―――あの日、契約だと述べながら、遙は自分達に対して、何も要求しなかった。
「……知ってる皓? 忠誠すら誓わされた覚えがないんだよ、俺達って」
言質すら取らない遙の性格を、俺や恭は事前にもっと深く考えるべきだったかも知れない。
何だか酷く嫌な予感を覚えた俺達は、遙に直接ことの真相を訊ねる事に決めた。
「別に何でも構わないだろう?」
この力の源は何なのか追及する俺や恭を、のらりくらりと巧に交わし続ける遙の態度を、益々不審に思った俺達は、
あの日逃げる遙を追い詰めて、強引に問い質した。
「今日はどんな手段を使ってでも、答えて貰う」
告げた俺達に、本気ではないと踏んだ遙が、対処の方法を間違えたのが運のツキだった。
頑なに拒む遙の自由を奪って、力ずくで聞き出した答えは、考えたくない最悪の物で。
「……お前達に力を与える事で失った物は、私の寿命だ」
遙の命を削る事に耐えられない場合、俺達に打てる手立ては現在のところ一つしかない。
それは、遙との契約を解除する事だが、『力』を還せば必然的に、己の手で遙を守る事が出来なくなってしまう。
皮肉な事に遙を守ることが、逆に遙の命を縮める事に繋がるのだ。
…………遙の寿命がどれ位の長さなのかは、俺達には判らない。
問い質したところで、
遙も決して教えようとはしないだろう。
「力を望んだのは俺達だ! 何故、俺達から何かを奪わなかった!」
「皓、痛いっ!?」
正直に答えたにも関わらず、更に力を込められて、遙は戸惑いを隠せずにいるようだった。
壁にその華奢な身体を押し付けられ、頭上に腕を絡め捕られては、流石の遙も身動きすら儘ならず。
己を無理矢理腕の中に拘束した皓と、吐息が交わり合う程の至近距離で、真っ向から睨み合う。
けれど睨み合いの、その視線の強さに負けたのは遙の方で。
無意識に流した視線の先に、恭の姿を捉えた遙は、皓の肩越しに無言で救いを求めた。
「ごめん、遙ちゃん。今回は助けてあげられない」
いつもなら必ず庇ってくれる筈の恭に助けを断れ、遙は思わぬ窮地に強く唇を噛み締める。
そんな遙の様子を間近で観察していた皓は、割り切れない何かを、己の胸の内に抱え込む。
……遙はどうしていつもそう、恭に助けを求めるのだろう。
頼りにしているのは、いつも恭だ。
恭に対する遙の態度を見ていると、理由は解らないが、現在みたいに何故か無性に苛立つ時が、皓にはあって。
「答えろ遙! どうして自分の命を削った?!」
手首を掴む皓の意外な力の強さに、遙がほんの少し、痛そうに眉を寄せる。
誤魔化しようがない処まで事態が進んでいる事を、遙も認識せざるを得ない状況下で。
「――違う。私は何も奪っていない訳ではない」
皓と恭の視線に耐えられず、苦しげに口を割る。
「遙、誤魔化す気なら…………」
まだ完全には力の制御が難しいのだろう。感情の揺れと共に、ほんの僅かだが怒りを孕んだ皓の波動が、遙に向けられる。
「皓?」
不穏な波動を感じ取った恭が、二人の間に割って入ろうとした刹那、遙が吐き捨てる。
「私はお前達から奪った。愛する人と同じ時間を過ごす大切さを……平凡な日常を」
「何っ!?」
良く考えれば解る事だろう?
お前達は私の『力』をその身に受けた時点で、人間としての理を外れるのだから。
理を外れた魂魄は、普通の人間より遥かに長い時間を生き続けねばならない。
自分より後に生まれた命を看取る事は勿論、仮に心から愛する人間が出来たとしても、その人間と同じ時間枠を生きる事は出来ず、
必ず相手を先に失ってしまう。
また、授けた『力』の大きさ故、他の人間と一緒に通常の生活を送る事は限りなく不可能に近いだろう。
「皓、恭、お前達の大切な物を私は、私との契約を以って奪い去ったのだよ」
「然し!」
契約の解除ならいつでも出来るのだ。遙は俺達に契約の期間すら求めなかったのだから。
「……それに私を護る為の力だろう。私が支払っても文句は有るまい」
力なく項垂れた遙の様子を見遣った恭が、もう充分だよ、と皓の手からそっと遙を解放する。
「遙ちゃん……」
皓と恭の態度に少なからず、衝撃を受けたのだろう。
赤くなった手首を押さえて青ざめた遙を、恭がゆっくりと優しく諭すように話しかける。
「それじゃあ結局、俺や皓は何も失っていない事になるよ」
「?」
貌を上げた遙に、更に優しく恭が言葉を重ねる。
「俺が、心から想ってるのは遙ちゃんただ一人だ。それはこの先、生涯変わらない。
……そして多分この気持ちは、皓も同じだ」