真実(54)
遙が厳かに何事か呟いた後、何も無い空一面に鮮やかな映像が広がり、浮かび上がる。
――――それは綺菜が捕らえられたあの夜から、流れるように始まった。
惨劇が起きたあの晩、必死で逃げる要を、我が身を挺して見逃してくれた人。
両親の死に心から涙し、周囲の反対を押し切って、手厚く埋葬してくれた人々。
妹のお墓にこっそりと花を供えてくれた人の姿。
映像は滑るように次々と、綺菜の知らなかった事実を空へ映し出していく。
やがてあの日まで綺菜が最も信頼していた隣の小母さんの姿がそこに映し出された。
「意地を張っても誰も特をしやしないんだから。諦めて唄いなよ」
綺菜を深く傷つけたあの言葉が、再度空に繰り返されると、不意に遙は映像を止め呟いた。
彼女は、本当はこう言いたかったのだと。
「要を置いて、あんたまで居なくなってしまう訳にいかないだろう?」と。
妹の時と同じ様に、唄わない事でその場で生贄にされるよりは、例え少しの間でも、綺菜に生きて欲しいと、伝えたかった。
現在のイエンの状況では、綺菜を助ける為には、まだまだ時間が掛かる。
準備が整うまでは綺菜を死なせる訳にはいかないと彼女は考え、正反対の言葉を伝えた。
「諦めて唄いなさい、――即ち生きなさい、と」
「……私の為に……?」
だからこそ彼女は綺菜が居ない間、誰に言われる迄もなく、蔭から懸命に要の面倒を見ていたのだ。
そして彼女だけではない。お前が心動かした人々は、お前を救出する為に、それぞれ身の危険を覚悟の上で、何度か秘密裏に話し合い、
解決策を模索していた。
飲まず食わずの綺菜の為に、せめて水と食べ物だけでも祠に運び入れようとして、警護の人間に暴行され追い返される村人の姿は、
それでも途切れる事なく空に映し出され、人を変え品を変え、謂れの無い暴力に怯むことなく、毎日続けられていた。
そして突然姿を消した要の行方を気遣い、毎日必死で方々を探す人々の姿――――
「綺菜、お前は独りで戦っていたのではない」
「……私が……私が自分で独りだと思い込んでいただけ……」
幼い頃、私達の実の両親が事故で亡くなった時に、自分の事のように泣いた小母さん。
養親が決まった後でも、彼女は何かに付け、私達を本当の子供のように面倒を見てくれた。
いくら親切にして貰っても、私達には何ひとつ返せる物がないのに、と恐縮する私に、いつか彼女は笑ってこう言った。
あんた達はまだ子供なんだから、私に甘えて良いのよ、と。
そして照れながらも、はっきりと続けた言葉。
「……私は、あんた達が大好きなんだから」
身体中で張り詰めていた何かが、背負っていた重みが、遙の言葉で切れたような気がした。
「特に要は何を置いても、お前を助けようと必死だっただろう?」
映像で再生される迄もなく、遙に教えられる迄もなく、それは綺菜自身が一番知っている事実で。
「俺の事も、もっと頼って良かったんだぜ」
遙の言葉に、要の陽気な言葉と笑顔が重なる。
村人を、そして彼女を、信用しなかったのは、自分自身。
優しい想いを、いつまでも甘えてはいけないのだからと、勝手に思い込んで、自らが遠ざけた。
けれど……けれど現在でも私を包む人の想いは、こんなにも優しくて温かい――――
鬱積していた様々な想いが堰を切って溢れると、自分ではもう、どうする事も出来なくて。
――あの日以来、初めて子供のように声を上げて、全身で綺菜は泣いた。
「綺菜、私を呼び出したイエンの巫女として、お前の願いを一つだけ叶えよう」
泣き疲れ、漸く落ち着いた綺菜に、遙は優しく、然し威厳に満ちた面持ちで、問いかける。
「巫女としての願い。……あ!」
俯いて、地面に映る自分の影を何気なく見ていた綺菜は、思わず声を上げる。
そう言えば遙が現れて以来、天から絶え間なく降り注ぐ陽光は、イエンの人々にとって、何年ぶりの陽の光なのだろう。
空を仰いだ処で、湖を覆う、分厚く冷たい霧が陽光を阻み、村に光が届く事は滅多にない。
晴天の、ほんの僅か一瞬にしか、湖の底から窺い見る事が出来なかった、本物の青い空。
太陽と風の匂いがするあの空へ、大地へ、何度還りたいと、私達は願った事だろう。
願わくばあの青い空へ、そして大地に――還りたい。
「どうかこの地より、私達を解放して下さい」
遙に頭を深く垂れ、跪く。これがイエンの巫女としての、最初で最後の願い。
冷たく暗い湖の底に捉えられ、ずっと仮初の生を送ってきたイエンの、最後の人々を空へ。
頷いた遙の視線の先で、綺菜の言葉が終るより早く、大地から生まれた複数の小さな丸い珠が一つ、また一つと空へと昇って行く。
見送る自分の魂は、その中に交る事は決して出来ないけれど。
太陽の光を一杯に浴びて、虹色に淡く光輝きながら昇るそれら無数の魂は、何と嬉しそうに見える事だろう。
――私は、イエンの巫女として、最期に少しはそれらしいことが、出来たのかな――