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唄声(05)

「本当に透き通るような声だね」

「瞭にも……聞こえるのか?」

 頷いた僕の様子に、空を見遣る遙の濃い碧色の瞳が一瞬眇められ、その色が薄く揺らぐ。

「……イエンだな」

「またイエンなの?」

 僕には遠すぎて視る事が出来ない、複数の村や街の景色を、遙の眼は必要に応じて、

鮮明に映し出す事が出来る。


 遠い、この屋敷からとても遠い空の下に広がる村……イエン。

 ここは僕でもその名を覚えた位、宗教心が篤い村だ。毎日毎日、供物を欠かさず届け、

極限まで祈りを捧げ、その代償として神の寵愛を乞う、と言う良く有る形を採っている。

 僕達に唄を捧げる村は数多いけれど、イエンのそれは、何故かいつも僕の注意を引いた。

 僕の中の何が、引っかかるのかは解らないけれど、どうしても唄声が気になって仕方ない。

 何度となくその唄声を聞いた僕は、ある日思い切って、師匠にイエンはどんな村なのかを、

訊ねてみた事があった。


「イエン……か」

 その名前を聞いた途端、僅かに師匠の顔色が曇る。

 遠い昔、遙が最も嫌う手段――即ち生贄を捧げる事象がイエンで頻繁に発生した。

 遙はその事に随分心を痛め、豊作と引換えに生贄捧げる事を止めるよう、イエンへ伝えた。

 以来直接的な生贄は途絶えたが、様々な事象が現在もまだ、遙を悩ませ続けている村だと教えられた。


「まぁ、俺も随分昔にイエンを訪れた限だから、現在の詳しい状況は判らないが」

 師匠は随分歯切れが悪い口調でそう述べると、訓練の再開を理由に唐突に話を打ち切った。

 いつもは豪快な師匠の態度に、何となく割り切れない物を感じた僕は、その後師匠の幼馴染で、

同時に相方でも有る恭に、この件について訊ねたが、矢張り曖昧な答しか貰えず、挙句には

「イエンの事は俺達で解決するから、子供は興味を持っちゃ駄目だよ」と釘まで刺された。

 確かにイエンは他の村と比べ、少しばかり祈りが熱心過ぎる気もするが、

師匠達がそこまで神経質になる理由が、僕には良く解らない。




「で? 何を祈っているの?」

「ああ、これから種蒔きが始まるから、作物が良く育つように、と言う祈りの唄だよ」

「ふうん。で遙はイエンを今年も豊作にしてあげるの?」

「……イエンはここ何年も豊作だ」

 僕の何気ない問に、まるで苦虫を噛み潰した様な顔した遙が、吐き捨てる様に応えた。

「?」

 遙が一つの村に対して、何年も施しを与えるのは極めて(まれ)な事で、僕は少し首を傾げる。

「でも、でもっ! こんなに綺麗な唄を聞かせてくれるんだもの。多少の贔屓は許されるべきだよね!」

 滅多に見せない苛立った雰囲気を(まと)う遙の、機嫌を取るべく僕は慌てて言葉を繋いだ。

「瞭……。本気では無いだろうな?」

 けれど予想に反して、更に遙の声が低くなる。押し黙ったまま、何かを考えている様子の遙に、

僕はどうして良いか解らず、(しばら)く二人して黙り込んでしまった。


「……」

「どうしたの?」

 結局、沈黙に耐えかねて、いつも先に口を開くのは僕の方だ。

「……瞭はこの屋敷迄『祈りの唄』を届けようと思ったら、どれくらい身体に負担が掛かるのかを、

考えた事が有るかい?」

 少し気を取り直したのか、遙はいつものように僕に問いかける。

「あっ!」

 通常では絶対に聞こえる筈が無い、遠く離れたこの屋敷に、クリアに響き渡る唄声。

 その異様さに、僕は問われて始めて気付く。

「他の村との巫女とは違い、イエンの巫女はその(ほとんど)どがまだ幼く、子供と呼んでいい年齢だと、

聞いた事が有る。幼い彼女達の多くは、過酷を極める詠唱の為に若くして声を失い、その魂まで削り、

短い人生を終えるとも聞いた」

 遙の声に微かにまた、苦い響が含まれる。

「彼女達は巫女である事を疑う事もせず、別の人生を歩む事も無く、只祈る事に己の全てを捧げた挙句、

まだ少女と呼べる歳で命を落としていくんだよ」


 絶えず聞こえる綺麗な――とても綺麗な唄声。


 まだ幼いその唄声に、遙の静かで、どこか哀しげな声が重なる。

「何故まだ幼い彼女達がそこまでする必要が、有るのだろう?」

 背を向けたまま喋る遙の言葉は、僕に聞かせると言うよりは、自問自答のように聞こえた。

「祈りは大切かも知れない。けれど犠牲の上に成り立つ『祈り』は、絶対に有ってはならない。

まして彼女達の人生全てを引き換えにしてまで、叶えなければならない『願い』もだ」

 一気に自分の思いを吐き出したのだろう。大きく息を吐くと、遙は更に言葉を続ける。

「どうしてイエンの村人は、こんなに簡単な事が判らないのだろう?」

 瞭は、……瞭ならどう思う? と遙は振り向いて真正面から僕の瞳を射竦め、問いかけた。



「でもそれが巫女の誇り、なんだよね?」

 巫女は神へその身を捧げる事を、至上の喜びとすると、僕は此処に来てから教わった。

 この屋敷では、物事に対する現在までの捉え方を、目線を変えて新たに一から教えられる。

 即ち、願う立場から、願われる立場としての在り方、考え方が新たに必要とされるからだ。

『巫女になる者は、本人が望んでその職に就くか、或いはその類稀なる力の為に、

中々周囲に溶け込めず、己の存在意義の確認の為に就くか、のどちらかが圧倒的に多い』

 僕にそう講義したのは、他ならぬ遙自身なのに……。

 時々遙の考えが解らなくて僕は混乱する。けれど僕の返事に対する遙の顔が、何故か少し辛そうで、

僕は言葉をそれ以上続ける事は、出来なかった。


「本当に誇りなのだろうか? 彼女達に他の選択肢は無かったのだろうか。……そして、

それは確かに彼女達の意思なのだろうか?」

 遙の言いたい意味が良く解らない。巫女達に他の選択肢を選ぶ気持ちは有ったのかな? 

 そんな僕の戸惑いを、横目で見ていた遙は少し微笑むと、躊躇(ためら)いがちにこう言った。

「瞭はイエンにはまだ行った事が無いね。どうだろう? 私の代わりに下界に降りて、

村の現状を調べてくれないか」


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