誘惑(48)
「!」
死角から飛び出した其れを確認する間も無く、皓は手にした大剣で切り伏せる。
疾走する彼を挟み込むように何かが迫りつつある中、皓は走る速度を緩める事なく剣で、或いは力で、
行き先を阻む異形を強制的に排除する。
「ったく限が無いぜ」
一体何匹目か。正面から襲ってきた其れを止まる事なくかわして、二匹同時に叩き切る。
「仕方ねえな……一気に片付けるか」
少し開けた場所で皓は立ち止まると我武者羅に大剣を振り翳し、辺り周辺の木々を構わず全て、薙ぎ倒し始めた。
皓の剣技の前に、瞬く間に狭い空間は円形の広場へと、その姿を変えるが、同時に異形がその周囲を覆い尽くす勢いで、
十重二十重に取り囲む。
涎と共に、唸り声を上げて次々と集る異形の姿は、ざっと数えても二百は下らないだろう。
「悪いが個別に相手をしている暇はない。いくぜ!!」
四方から我先にと押し寄せる異形に対し、皓は手にした剣を不意に大地に深々と突き刺すと、その傍らに膝を付き、
有らん限りの力を、自らの剣に注ぎ込む。
「哈っ――!」
皓が短い言葉を発し、剣を更に大地に深く刺し入れたその瞬間。
大剣が鈍い光を放ち始めると同時に、地面に無数の裂け目が走る。
「?!」
皓の大剣を中心として広場全体に網目状に走った細かい裂け目に、足を捕られ、立ち止まった無数の異形の姿を確認すると皓は呟いた。
「砕破!!」
大地に刺した剣を媒介に、皓の力が閃光と共に一気に地面を伝い、波状に押し寄せる。
迫りくる皓の力を前にして、慄き、必死で逃れようとする其れらを、僅かにでも触れた光が、瞬く間に粉砕していく。
――皓が力を放って僅か数秒の後、異形の者は広場から跡形も無くその姿を消していた。
「答えろ! 來!!」
遙の激しい怒りを伴う叫びは、黎と來が潜む場所でさえも、聞く事が出来た。
「……違う遙。誓って私は貴女が憎い訳ではない。私はただ貴女を愛しているだけだ」
遙を見つめながら意外な答えを呟いた來に、黎は訝しげな視線を向ける。
「私は彼女が憎い訳ではない。……黎、私はただ彼女を救いたいだけだ」
勘違いをするなと、黎の自由を拘束した状態で、來は黎に向き直り、静かに語りかける。
黎、王で在るお前になら解るだろう?
遙はこの広い世界に在って、自分と対等に肩を並べて歩ける、唯一無二の相手だ。
私にとっても、そして黎、お前にとっても、遙以上に大切な者はこの世に存在しない、だろう?
にも関わらず遙は愚かな人間共を尊重し、奴等の為に傷つく事も一向に厭わない。
「たかが人の子を、我が身を呈して庇った遙を、黎お前はあの時心の底ではどう思ったのだ?」
來の言葉に黎は、己の胸中を透かし見られた気がして、咄嗟の返答が出来ずに、黙り込む。
子供など捨て置けと、あの時確かに黎自身も強くそう思った。
「黎、……お前は許せるのか?」
奴等の為に、身体も精神も、傷つく遙を助けたいとは思わないのか。
遙を悩ます全ての柵を断ち切り、ただ自分の隣で笑って欲しいと、お前は願わないのか?
「私が願うのは、過去も……そして現在も、彼女の幸せだけだ」
――あの笑顔をただ護りたいだけ。その為なら、どんな犠牲を払っても、私は構わない。
「黎、遙を護りたいならば、私につけ」
「何を……」
「このままでは……何れ遙を人間の為に失う事になる」
恐ろしい程真剣な來の表情に、共感を生む彼の考えに、僅かながらに、黎の気持ちは揺れる。
――けれど差し出した來の掌を、黎にはどうしても掴み取る事が出来なくて。
「止めておく。……我は自分の命が惜しい。こう見えてもまだ若いものでね」
己が問うた事項に対し、黎の見当違いな返答に、來が訝しげに整った眉を寄せる。
「黎?!」
「來、遙を取り巻く全ての柵が無くなったら、お前は我を殺す」
「!」
遙が我を見つめる視線が愛では無かったとしても、お前は其れを認めない。
遙の心の中を、我がほんの僅かにでも占めていたとしたら、お前は其れを許さないからだ。
「己だけを見る遙を欲する、だろう?」
遙を闇に封じ込めて、自分の事だけを見詰めて、自分の事だけを想っていて欲しいのだろう?
だから遙に関わる全ての者を、この世界から排除するまで、お前は決して殺戮を止めないだろう。
そして全てを排除した上で、最終的にお前は、必ず我をも殺すに違いない。
「けれど來、それは不可能だ」
例えそうまでして遙を手に入れたとしても、遙の心は永遠に自分の物にはならないからだ。
無意味な排除を繰り返せば、遙はどんな理由が有ろうとも、未来永劫、來を赦さない。
そしてそこまで來を追い詰めた自分自身も赦せず、結局、遙は壊れてしまうに違いないから。
「自由を奪い、意思を奪い、閉じ込めた時点で、遙は遙では、無くなる」
人間を庇うのも、その為に遙が傷つくのも、本当は嫌だ。
……なれどそれも遙の一部なら、我はそれを認めるしかない。
何故ならその一部も含めて、現在の遙自身が成り立っているからだ。
どうしてそんな単純な事が、來には理解できない?
一体何が來を此処まで追い詰めたのか、我には解らぬが、現在の來の心を大きく支配するものは、孤独それとも狂気……か?
「……それでも黎、私は決して諦めぬ」