対峙(46)
「相っ変わらず荒いねぇ。黎ちゃんの送迎は」
遙の命により急ぎ遠方にいた二人を、黎は己が風の力で強硬にイエン上空まで運び込む。
「急いで運んでやったのに軽口しか叩かないとは、人間とは厄介な物だな」
鼻白んだ黎の言葉に、余りの揺れに半分船酔いしかけた恭が身悶えして、反論する。
「くうぅっ! 俺達は物じゃねぇ!」
いや、恭よ。どう考えても黎が俺達に対する態度や運び方は物以下だ……と参戦しかけて、皓は表情を引き締める。
「……随分、楽しそうですね」
目の前の空間に不意に揺らぎが生じると、過去視で再現されたあの優男=榮=が其処に現れる。
歳の頃は精々十代後半が良いところだろうか。
自分達より優に五歳以上は若いと思われる、榮の姿に少し戸惑う。
「皓!」
「……ああ」
「おや。予測していましたか?」
皓の落ち着いた態度に榮は微笑むと、優雅に一礼し、自己紹介をする。
太陽の下、実際に見る榮の蜂蜜色の髪は一層艶やかさを増し、彼の美貌に華を添えている。
優しげな碧の瞳に、薄い紅でも引いたような唇。
若く無駄のない均整の取れた身体から伸びる手足はすらりと長く、その容姿は同性から見ても、溜息が出るほど完璧だ。
あの日からかなりの歳月が流れているにも関わらず、殆ど変化のない榮を見て恭が呻く。
「こいつ、こんなに若かったのか」
「……見かけはな」
あの剣の扱いは考えられないほどに熟練した腕前だ。
あそこまで自在に操れるようになるには、技量は勿論、相当な経験が必要とされる。
技量は天性の才能に左右されるが、経験だけは実際に我が身で体験し、戦闘を重ねない限り、習得する事は決して出来ない。
榮の剣捌きは、少年のように見える彼が、実は外見通りの歳ではないと言う事を指し示す証でも有った。
「不公平じゃない? 俺達……老けたのに」
こんな時なのに心底悔しそうに呟いた恭の言葉に、皓は危うく脱力仕掛けた気力を必死で取り戻す。
「榮……だっけ? お前、老けるの遅くない?」
そう言う問題じゃないだろう! と怒鳴ろうとして、恭の真剣な表情に気付いた皓は押し黙る。
「ええ。……貴方達とは……違いますから」
恭の惚けた質問に、同じく含みを持たせた返答を返すと、嫣然と榮は微笑み、問い掛けた。
「で、どちらから消えますか?」
口調だけは優しげに、けれど一瞬にして和やかな雰囲気は消え、両者の間を緊迫感が漂う。
「!」
「問答無用か……。榮、お前と話し合う余地はねぇのか?」
「現在のところ必要有りませんね」
唸る皓の言葉に、宛ら天使のような微笑を満面に浮かべながら、榮はさらりと否定する。
「どうしますか? 二人揃って仲良く旅立っても私は一向に構いませんよ?」
余裕を窺わせるその態度に、皓が反応するより早く恭が、榮の前に一歩進み出る。
「俺が相手になってやるよ」
「恭!」
相手の獲物は長剣故、お前単独では無理だと訴えようとして、皓は黎と恭自身に、止められる。
「遙ちゃん、きっと待ってるよ」
「だが!」
「ああ、もう!」
ちょっとこの馬鹿と話をさせてね、と榮に断りを入れてから、恭は皓に向き直る。
「あのさ、例えば俺が遙ちゃんの最大の危機を救ったとする。それで俺と遙ちゃんの間に何か、が芽生えたら、一番困るのは皓でしょう?」
「何か、って……何が、だ」
上目遣いで此方を見た恭の態度に、嫌な予感がしつつも、皓は一応先を促してみる。
「いやー。みなまで言わなくっても」
完璧に語尾にハートが付いている恭の言い草に、流石の皓も開いた口が塞がらない。
「……お前……」
恭と押し問答になりかけたその瞬間、胸の中を声にならない遙の悲鳴が通り過ぎた。
「今の……聞こえた?」
「ああ」
「おい、急ぐぞ」
黎が焦ったように我が身を翻すと、有無を言わさず皓の腕を取り、イエンへと導き入れる。
「恭、頼んだぞ」
榮と向き合った恭の背中へ皓は叫びながら、黎と共に湖の中へその姿を溶かし込んで行く。
正面に榮を見据えたまま、後ろ手で皓に応えると、恭は改めてその表情を引き締めた。
「お待たせ」
「いいえ、麗しい友情ですね。羨ましいですよ」
言葉とは裏腹に何の感情も抱いていない事が、その余裕をかました態度に透けて見える。
「本当にそう思っているのか、榮」
「ええ。……譲り合った所で所詮、貴方達の逝く先は同じなのに」
暗に誰一人見逃すつもりは無いと訴える榮に、だろうね、と恭は苦く笑って受け流す。
「――貴方の武器は何ですか?」
自らの勝利を確信でもしているのか、まるで唄うように軽やかに、榮が尋ねる。
「弓……だよ。悪いか?」
一瞬驚いた顔の榮は、次の瞬間大きな笑い声を上げると、憎々しげに瞳を光らせた。
「……そうですか。弓遣い。これは舐められた話ですね。では私も貴方に免じて剣は使わず、棍で相手をして差し上げましょう」
それから貴方は隠れる場所が必要になるでしょうから、私達もイエンに降りましょうか?
相当使い込んだ棍を見せながら、榮は自らがイエンへと道を繋げ、恭を其処へ招き入れる。
「やれやれ。どっちが舐められているのやら……後悔するよ」
遅れて呟いた恭の台詞だけが、既に誰も存在しない穏やかな湖上に残されて。
――榮の耳には届かなかった。
どうせなら遙の真ん前に降ろしてくれれば話は早いだろうに……。
イエンに侵入すると同時に、何も言わず不意に単独で掻き消えた黎に、皓の不信感が募る。
依りによって何故森の中なんだ?
生い茂る草木が邪魔で行き先が満足に見えないばかりか、地面には無数の洞が口を開けて、哀れな生贄が飛び込むのを、
今や遅しと待ち構えていた。
「おっ……と」
勢い余って踏み出した足が空を切る感覚を捉えると、素早く足を返し、地面を踏み締める。
「今度は崖……か」
迫り出した草の上、一見崖に見えない場所に危うく体重を乗せる処だった皓は息を吐く。
崖底に広がる巨大な一枚岩は不気味に変色し、密かな過去を物語っていた。
「落ちたら最期……か」
気を引き締めて、皓は再び危うい森の中を全力で走り出す。胸を締める想いはただ一つだけ。
「遙……間に合ってくれ」