追憶(35)
遠い過去、俺はイエンを救う手助けをする約束と引換に、遙から永遠の命を授かった。
けれど実際は遙との約束を守る為では無く、綺菜を護る為に、生きていたのかも知れない。
彼女の傍に居られさえすれば、何れ彼女の子になろうが、孫になろうが、構わなかった。
彼女が健やかで、幸せに満ち足りた人生を送るので有れば、その一生を絶えず身近で見届ける事が出来る俺は、
何と幸せ者だろう。
例え彼女に想いを告げる事が出来なくても、例え彼女の愛を得る唯一の男になれなくても、俺は無条件で
傍らに存在する事を許される。
彼女がやがて年老い最期の日を迎える瞬間ですら、俺は直ぐ傍らで彼女の手を取り励ます事が出来るのだ。
形は違えど、常に彼女の愛を得られる立場は、どんなにか――――
「私は再び、要の助けたい人を……綺菜を助けられないかも知れない」
再開した遙に自分が見た事を、問われるまま整理も出来ずに全て話し終えた俺に、遙は苦しそうに呟いた。
告げられた言葉は、密かに予期していた通りの結果だったから、動揺は少なくて済んだ。
彼女がイエンに対して起こした行動は、どう考えても、赦される程度の問題ではないからだ。
……それならば。
「遙、叶えて欲しい願いがある」
彼女が生まれてから、ずっと考えていた事を、要は口にする。
「俺の最期の願いを」
遥か昔、どんな願いでも必ず叶えると約束した、あの当時のまま、歳若い遙の表情が曇る。
「後悔は……しないか?」
過去と同じ質問が、何と重い響を持つ事だろう。それを要は強く頷く事で肯定した。
「今度こそ後悔しない。例え結果がどうであろうと」
「では……お前の最期の願いを叶えよう」
要の想いを全て聞いた現在、気持ちの揺らぎようが無い事を、遙もまた感じ取ったのか。
消え入るように呟いて、俯く遙の瞳が、微かに揺らぐ。
……恐らくはあの日に、何も出来なかった自分を、遙は何より責めているのだろう。
遙の所為では無いと伝えたところで、決して遙自身が納得しない事を、要は知っている。
遙……本当は多分とても脆い貴女だけれど、その立場上、誰よりも強くなくてはいけない。
神様なのに相変わらず、こんなにも人間の感情に弱い、俺の初恋の相手。
「綺菜と遙は似ている」あの晩、瞭の言った何気ない言葉が、漸く俺にも解った気がする。
「例えどのような道を、これから綺菜が選びとろうとも」
意を決し、再び貌を上げた遙には、弱い部分など何処にも存在しないかの様な、強い人に見えた。
厳かに告げる遙の声は、揺るぎもしない自信に満ちていて、相手に余計にそう錯覚させる。
―――俺が望んだ、たった一つの願い。
「要、これよりお前の運命は、綺菜と共に在る」
綺菜の傍らに戻ると言う要に、遙は瞭への伝言を頼むと、その背を黙って見送った。
「遙、余計なお世話かも知れないけど」
遙から少し歩いて立ち止まった要は、此方に背を向けたままでさり気なく言葉を呟く。
「あの來って男は遙を凄く憎んでいた。気をつけた方が良い」
「……知っている。有難う要」
何も聞かない要の優しさに、遙は微笑む。
再び歩み出した要を見届けると、遙は祠に向う為に、自らも歩を進める。
「來……お前は私が憎いのだろう?」
イエンに広がる偽りの空の下、胸の中で独り反芻する想い。
(だが來。それでも私は、お前が憎い訳ではないのだよ)
思考や価値観は人それぞれだから、遙にはどれが正しくどれが間違いだとは言えない。
例えそれが人間の命に関わる事でも、結果は同じだっただろう。
『來は來で、己が選んだ道を生きて行けば良い』
あの日、來は弱り始めた遙に、まだ寿命の有る人間を喰せと、無理に迫った。
『私が選択した事を、己が亡き後まで來に押し付ける気はないのだから』
『……ならば、私は私が選んだ道を、たった今から行きましょう』
頑なに拒む遙に來は怒りを隠せない様子で、荒々しくそう吐き捨てると、部屋を出て行った。
『私は決して諦めない。貴女を絶対に死なせはしない』
離れても伝わる來の波動。理解しがたい彼の思念。
こんな無駄な軋轢は解消したい、と何度も議論をぶつけあった後で渡した、最後の力の欠片。
『では次で最後にしましょう』
――――それからどれ位の月日が経ったのだろう。
新しい食糧の開発に成功したと來が笑顔で告げるまで。
(來、ただ私はお前を赦せないだけだ)
私を騙し、命ある者を何の躊躇もなく、ただ私に喰す為だけに、殺めたお前が。
(來はあの忌まわしき行動を起こす前に、何故私に全てを打ち明けようとしなかった?)
人間を殺める事を是としない遙に、自分の考えを無理に押し付けるべきでは無かったのだ。
そう遠くない時期に自らの命が費えたとしても、遙自身は決して後悔などしなかったのに。
(……いや、何よりも來の傲慢な考えに、私がもっと早く気付いていたならば)
そうすれば、來だけが罪を犯し、重い荷物を背負う必要も無かっただろうから。
(真に裁かれるべきは、私自身)
だから來のみならず、遙は己を赦さない。來に全てを押し付けて、何も知ろうと、何も考えようとしなかった、
愚かな自分が赦せない。
『貴女を愛しているから』
愛と言う感情が理解出来ない遙には、告げられた來の想いに対して何も返せず、何も応える事が出来ない。
……それなのに。來はそんな遙を護る為に、密かに独りで荷を負う覚悟を決めたのだ。
(私の傍らに居る限り、來は永遠に救われない)
遙が傍に存在する事で、これから先も気付かない処で、來に罪を重ねさせてしまうだろう。
(どうすれば來は救われる?)
來を救う方法が漸く解った時、遙は迷わず來をあの地から追放する事を決めた。
全ては、來の為に。來を遙と言う楔から解き放ち、未来永劫の自由を彼に与える為に。
「來……お前にはどうしてそれが解らない?」




