後悔(34)
流れ行く年月の間幾度となく、もし要が生きていたらと遙自身考えなかった訳ではない。
希望を込めて何度となく定期的に繰り返し、イエンに『呼びかけ』続けた。
けれど『呼びかけ』に答える意識は苦痛に苛まれた巫女達の想いばかりで、目指す要の意識はどれだけ探ろうとも
その片鱗すら窺えなかった。
直接イエンに出向いても、遙には何一つ打てる手立ては無く、相変わらず來の築いた結界が、時を経ても尚強硬に
己の行動に制限をかける。
結界内部からの『呼びかけ』がない以上、イエンに侵入する術は何一つ存在しない。
巫女達の助けを求め続ける声を、結果的には黙殺するしかなくて、遙は自分の無力さを長い間ずっと噛み締め続けていた。
『巫女や村人の、己に対する憎しみが、後どれだけ募ればイエンは私を受け入れる?』
切羽詰まった状態のまま年月だけが流れ、瞭がイエンの『呼び声』に偶然反応した時、遙は迷わずにそれを利用する事に決めた。
救いを求める巫女の声を、豊作の祈り唄だと瞭に偽りを教え、イエンへの道を繋がせる役目を知らず、その身に担わした。
遙は最初から瞭と同行する予定でいたが、意外にも瞭はイエンには独りで行きたいと申し出た。
想定外の瞭の申し出に少し逡巡はしたものの、目的は來に因って湖の奥深くに封じられた、全ての魂を浄化する事だから、
瞭単独でも危険が伴う任務では無い。
それに誰かが一人でも、イエンに受け入れられたなら、後はその道を辿れば容易く侵入出来る。
皓と恭が不在な現在、万が一にでも瞭が危険な状況に晒される事が有れば、自分がイエンへ出向き、
瞭を直ちに屋敷へ連れ帰れば良いだろう、そう遙は単純に考えていた。
――――封じられた哀れな魂だけが存在するイエン。
音声の無い限られた範囲で再生された過去視で、いつからか勝手にそう思い込んでいた。
封じられた巫女達の魂を解放すれば、全てが終わると何処か自分に都合よく考えていた。
だからよもやイエンに要が生存していたとは、遙は要に出逢う瞬間まで考えもしなかった。
……そしてイエンが此処まで來に因って歪められ、苦しめられていた事実さえも。
事の全てを知った現在、屋敷内の誰にも告げずイエンに降り立った事を、今更後悔する。
「せめて爺には伝えておくべきだったか」
そう独り呟いた後、遙は仲間内で最長老でもある爺の顔を、思い浮かべて微かに苦笑する。
まだ歳若い皓と恭にさっさと後を任せ、事実上の隠居生活を送る男には、頼らないほうが懸命と言うものか。
爺とは名ばかりの、幾分渋みある男の顔を己の頭から打ち消すと、遙は要に向き直った。
「要、起きれるか?」
気を失ったままの要の額にそっと触れると、遙は極僅かな『力』をそこから注ぎ込む。
「うーん?」
小刻みな瞬きを繰り返し、徐々に意識の覚醒に向う要の姿が、あの夜の要と重なって。
『あの日、私は要を助けるべきではなかったのか……?』
全ての元凶に繋がるあの晩に、自分が干渉さえしなければ、彼等に違う未来は有ったのだろうか。
來との確執にイエンが利用され、村全体を巻き込むくらいなら。
安易な自分の判断が結果的にイエンを、そして要をただ余計に苦しめただけだとしたら?
己の立場上、過去に対する迷いは禁物だと、理解はしている。
未来は常に変化するものだから、その結果を予測して事を起こせる訳でもない。けれど。
『私には判らない』
永く生きているからと言って、行う全ての事が正しいとは限らない。
迷うことも数多く、些細な失敗を未だに何度も繰り返す。
後悔は年月の数だけ積み重なり、自らが傷つく事にすら、慣れはしない。
「私は結局――――」
独り呟いた言葉は余りに小さすぎて、音になる前に掠れ、誰の耳にも届かずにその場から消えていく。
「……遙?」
意識が戻ったのだろう。
不思議そうに此方を見つめ、ぼんやりと遙の名を呟いた要は、次の瞬間遙が止める間も無く、慌てて身体を起こす、が。
「!」
急に動いた為に激しい眩暈に襲われたのか、要は声も出せずに再び座り込んでしまった。
「大丈夫だ、気持ちは解るが……少し落ち着け要」
土気色の顔をした要をゆるりと窘めながら、さてどう切り出すべきかと、心の中で思案する。
「遙、俺は、俺達は死んだのか?」
完全に記憶が戻らないまま、それでも要は薄々感じていたであろう、疑問を口にする。
「要、その問いには答える事は非常に難しい」
「?」
來がイエンに対して行った非道の全てを、まだ不安定な状態の要に正直に告げて良いものかどうか、
遙には現段階で判断が下せない。
要に話すその前に、綺菜に確認しなければならない諸事項が沢山あって、迂闊に言葉に出来ないからだ。
「悪いが意識を失っている間に、お前の記憶を少し覗かせて貰った」
遙の言葉に若干強張った表情を浮かべた要は、諦めたように短く嘆息すると、了承の印に軽く肯いた。
「大筋で構わない。私と別れてからあの日迄のお前の行動と、あの日起きた一連の出来事の中で、要自身が感じた事や、
気付いた点を私に教えてくれないか」
遙が現在この地に存在している事を知れば、程度の差はあれ、必ず來は動き出す。
來が関わって来る以上、イエンに残された時間が無い事は遙とて百も承知だ。
けれどただ映像を見るだけでは、綺菜や要の微細な心の動きまでは把握出来なくて。
「俺が感じた事?」
記憶を覗いたなら必要ないのでは? と要が返しかけて、遙に言葉を遮られる。
「私はお前が見た事を、ただ単に映像として再現したに過ぎない」
暗に感情までは読み取っていないと告げると、要は何処か安心した様に息を吐いた。
「解った。……けど何処から話せば良いのかが、俺には解らないんだ」
記憶が混乱している所為もあるだろうが、一度に沢山の事が起こり過ぎて、理論的にも、感情的にも整理がつかない。
「では少しずつ遡るしかないか?」
遡る遠い記憶。遙と出逢ったあの日から、現在に繋がるまで出来る限り、思いを巡らす。
「何処から、話そうか」
――――俺達の想いを遙に解って貰う為には、本当に何処から話せば良いのだろう。
そう要は迷いながらも、思い付くまま訥々(とつとつ)と言葉を紡ぎ始めた。