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叫び(30)

「綺菜を放せ――!」

「!」

 全身ずぶ濡れになった要が、不意に水中から躍り出ると、背後から渾身の一撃を放った。

「ほう。これは面白い」

 けれど後ろを振り返る事なく來は片手を軽く挙げ、要の一撃を難なく受け流してしまう。

「ちっ!」

 舌打ちの間に要は信じられないスピードで綺菜達との距離を詰めると、慎重に身構えた。

(えい)の報告に聞いてはいたが……お前、やはり申し子か」


 要の様子に何処か楽しそうに、のんびりと來が呟いた。

 不意に來の腕から解放された綺菜は、その場で(うずくま)って、呼吸を整えるのが精一杯の状態で。

 喉が、肺が空気を求めて勝手に喘いだ挙句、目一杯咳き込んでしまう。

「何言ってるか解んねえよ! 綺菜を返せ!」

 即答した、要のその様子に、來は意外そうな表情を見せた。

「居ただろう? 怪我をした哀れな薬師が、お前の村に」

 


 人気の無い村外れで『迷い人』である榮を始末しようとした馬鹿者どもは、抵抗する間も無くその身を細切れの肉片に変えた。

 見目良い全身に少しの返り血を浴びる事なく、榮は普段通りに淡々と報告を口にした。

「來様の見立て通り、イエンは地上に存在するに値しませんでした。一部の人間を中心にまだ微かな希望は有りますが、

腐りきったイエンの在り方を変えるには、程遠いでしょう」

 愚かなイエンの様子を直に確かめて来いと、わざわざ榮に命じたのは、いつ頃だったか。


「……ただその中心となる人物の中に、私の幻視に惑わされない少年が居ました」

「ほう?」

 來の興味深そうな返答に、膝を折ったままの榮が僅かに遅れて、慌てたように付け加える。

「ですがこれと言って特に何の力も感じませんでした。恐らく申し子ではなく、少し毛色の変わった人間かと思われます」

「そうか」

 申し子で無いなら確かに興味も失せるというもの、だが榮の感情が僅かでも揺らぐとは、珍しい。


「報告は以上で全てです」

 手を振ってその場から下がるよう命令を与えながら、背を向けた榮の思考を、來は密かに確かめる。

『あの少年は無事イエンを発っただろうか?』

 榮がイエンから戻るのに、随分時間が掛かるとは、思っていたが。

 ……ほう、そんなにその少年が気に入ったか。ならば是非とも挨拶をせねばなるまいな、榮よ。





「あの『迷い人』はあんたの仲間だったのか!」

 要から驚きと同時に、それまで友好的であっただろう、榮に対して憎しみの波動が生じる。

 クスッ。榮よ。お前が心配したところで所詮人間とはこの程度だ。誰が味方かも解らない。

 お前が初めて私から(かば)った人間は、最早お前が憎いと見える。

「ふふ。其処のお前、精々抗って、私を楽しませてくれると良い」

 余裕たっぷりに大きく両手を拡げた状態で、來は要に呼びかける。


「来い」

 が闘うまでもなく來との力の差は歴然で、迂闊(うかつ)な動きすら出来ずに、要は唇を噛み締める。

「逃げて――!」

 だけど來の傍らで叫ぶ綺菜の姿が眼に入った瞬間、要には綺菜を助ける事しか考えられなくて。

 気付けば後先を考える前に自然に身体が動いていた。

 ……けれど圧倒的な力を持つ來の前では、気持ちだけではどうにもならなくて。

 跳躍(ちょうやく)した要の攻撃をその身に受けるまでもなく、來は片手を伸ばし優雅に空を撫で上げる。


「ぐっ?」

 來のその一連の動作だけで、要の身体は來に直接触れる事無なく、一瞬の内に地面に叩きつけられ、地を這った。

「要っ!」

 綺菜の悲鳴に近い呼び声に反応して、要は辛うじて何とか立ち上がったものの、激しく地面に叩き付けられたその全身は、

痛みに堪え切れずに悲鳴を上げる。

「どうした? 退屈しのぎにもならないのか、お前の存在は」

 ゆっくりと此方を見て微笑む來の(かお)は飽くまでも、見惚れる程完璧に整った容貌で、尚一層の恐怖を、

要と綺菜に植え付ける。


「やれやれ、つまらない遊びは終わりにするとするか……」

 來の何気ない言葉に今度こそ後がない事を知った要の脳裏を、いつかの遙の言葉が鮮やかに(よみがえ)る。

『良いか、要。もしどうしても私の力が必要となった時は遠慮なく私の名前を呼ぶがいい。

例え何処に居ても、必ずお前の元へ行く。私を信じ、待て。』


 遠い日に交わした、二人だけの約束。

 どんなに辛くても、口にしなかったその名を現在(いま)渾身(こんしん)の力を込めて、要は空に叫ぶ。

「遙――!」

「何っ!」

 突然眩い光の輪が、遙の名を叫んだ要を囲むように生じた。



 その光は次の瞬間、爆発的な勢いで何かに導かれるかの如く、一直線に天高く翔け上がる。

「たかが人間風情が! その名を口にするな――!」

 來の激情が生み出した烈風をまともに浴びた要の身体は、軽々と空中を舞った後、激しく地面に叩き付けられた。

「ぐっ!」

 血が混じった大量の吐瀉物(としゃぶつ)が胃から容赦なく競り上がる。

 全身を襲う強烈な痛みに、呼吸すら(まま)ならない。

(駄目だ。今度こそ立ち上がるどころか、腕さえ自由に動かす事が出来ない)


 痛みで霞んだ要の視界に、殊更見せ付けるようにゆっくり近付いてくる來の姿が映り込む。

 覚悟を決めて次の一撃(恐らくは最期だろう)に備える要の身体を、柔らかい何かが覆った。

「お願い、もう止めて!」

「綺菜……」

 要に覆いかぶさった綺菜の態度に、驚きと何処か苛立ちが混ざった声で來が告げた。

「退け」

「厭っ!」

「退かないなら、お前ごと(ほふ)るまでだが?」

 綺菜はそれには何も答えず、黙って要に廻した腕にぎゅっと力を込め、強く抱き締めた。

「そうか、では」

 一遍の情けも感じられないその冷淡な來の声音に、綺菜と二人覚悟の上で眼を閉じる。


 けれど最期の一撃はいつまでも放たれず、薄眼を開けた俺達の前に、立ち(ふさ)がる誰かの背中が見えた。

 太陽を跳ね返すほど明るい蜂蜜色の髪と、引き締まった無駄のない体躯。

 長く優美な両腕を広げ、俺達を庇うように來との間に割って入ったその青年は――

「あんたは!」

「榮……何のつもりだ」


 榮には邪魔が入らぬよう、周囲の掃除を命じた筈だ。

 言外に私に逆らう事は許さないと無言の圧力を込めて、不気味なほど静かに來が榮に問う。

「來様、何かが、此方へ近付きつつあります」

 一瞬眼を閉じて模索(もさく)していた様子の榮が、不意に完璧に整った指先で、空の彼方を指し示す。

「……」

 裏切ったつもりはないと言うその態度に、來は白けたように榮を見遣ると、自らもその真偽を確かめるべく気配を探る。

「……成る程。少し遊びが過ぎたようだな」


「?」

 まだまだ遠い位置だが、猛烈な勢いで此方に近付く見知った気配が三つ。

 恐らく先程の光が遙をイエンに呼び寄せているのだろう、いつも通り邪魔なおまけ付きで、

真っ直ぐ此方(こちら)を目指している強大な存在。

 遙とは逢って話したい気もしたが、邪魔なおまけが沢山居ては、彼女も私に対して上手く意思表示が出来ないだろう。

 まぁ、どの道こいつら姉弟とも遊んでいる時間は余りなさそうだ。……ならば。

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