愛情(03)
「遙ちゃん、余り無理しないでね」
無駄と知りつつ、恭が一応、遙に釘を刺す。いくら黎がサポートするからとは言っても、戦闘帰りの遙に、無理な力は使わせたくないのは、皓も恭も同じ想いだ。
案の定、途中で足元が覚束なくなった遙を、二人で支えて屋敷への道程を急ぎ、辿る。
けれど満足そうに赤子を抱え、微笑む遙にそれ以上厳しい言葉は言えないのも、皓も恭もまた同じで。
「この子は生贄として引き取った訳ではないから、村に降る雨も偶然、だろう?」
頑として認めようとしない態度が妙に愛しくて、二人でほんの少し、遙を強く抱き締める。
「わっ?」
赤子が潰れると、喚く遙を無視して、そのまま二人で遙を、更に強く抱き締めた。
照れたように笑う遙を中心に、三人いや四人で、暫く抱き合った後、皓と恭は屋敷へ、遙は泣き出した赤子を預ける為に、麓へ――――イシェフへ向った。
「そう……だったんだ。僕の両親って、僕が邪魔な訳じゃなかったんだ」
思わず呟いた瞭のその一言に、皓の眼が一瞬眇められた後、俯いた瞭の頭を、派手にぐしゃぐしゃと掻きまわす。
「?」
いきなり乱暴に頭を触られ驚いて顔を上げた瞭は、皓の優しい視線から、どうやら自分が皓に頭を撫でられているらしい事に気付いて、満面の笑みを浮かべて笑った。
「子を厭う親なんかいねえよ」
「うん。だよね」
皓の不器用で、けれど優しい物言いに、瞭は迂闊にも涙が滲んで慌てて、下を向いた。
ずっと瞭の心の中に引っかかっていた出来事。それは実の両親に愛されていなかったのではないか、と言う不安だった。
「両親にとって僕は、簡単に生贄に捧げられる、そんな程度の存在でしかなかったの?」
悔しくていつもその言葉を、瞭は張り裂けそうな想いと共に、胸の中で叫んでいた。
誰かに答えを聞きたくても、「瞭を生贄にしたのは要らない子だったからよ」と肯定されるのが怖くて、結局何も聞けなかった。
それがこんな形で、しかも皓から両親の愛情を知らされるなんて、予想もしなかった。
愛されていて、必要とされていて、本当に良かった。
心底満足そうに頷く瞭に、皓は酷く真剣な口調で喋りかける。
「もしかしてお前は、誰かから愛される場所が欲しくて、ここに来たのか?」
……だったら麓の乳母の下でも充分に愛されていただろう?
なのに何故危険な場所へ幼いお前が来たのか、俺にはそれがどうしても解らない、と。
あの愛情深い乳母が、何年も手塩にかけて育てた子供を、引き留めない筈はないだろうから。
「お前、麓で暮らす道は選ばなかったのか?」
「それは……」
「ねぇ瞭」
僕が成長し、一通りの家事がこなせるようになった頃、母さんは真剣な顔で僕に尋ねた。
遙の下でその不思議な『力』を貰い受けて神の申し子として戦うか、只の奉公人として、裏方で遙を支える仕事に廻るか。
「瞭はどうしたいの?」
遙は神様として、人々の願いを叶える一方、魔物退治などの危険な依頼も随時請け負う。
この世界には『歪み』と呼ばれる忌むべき障穴が多数開いていて、其処から人に害をなす魔物が沢山、出て来るそうだ。
それらの中には肉体を持たず、人間に寄生し、そ知らぬ顔で世間に紛れ込む輩も存在する。
遙の申し子となると言う事は、即ち魔物を退治し、穴を塞ぐ仕事を手伝うと言う事だ。
「大変な仕事だけど、瞭にはまだ実感として、理解し難いかもねぇ」
遙に仕えると言う事が、いかに大変かを今更改めて懸命に説く母に、疑問を抱きながらも
「……それでも僕は遙を守りたい」
迷わずにきっぱりと答えた僕に、母は溜息を零すと、顔を背けた。
何か言い難い事が有るのか、口を開いては、閉じる動作を繰り返す母に、水を向けてやる。
「何? 母さん」
「あのね、もし、その……もし良ければだけど」
余程言い難い事なのか、いつも意見をはっきり伝える母にしては珍しく、途中で口篭る。
躊躇う母を、優しく促してやると、彼女は僕を見つめ、漸くその重い口を開いた。
「瞭が此処の子供になると言う選択肢も、有るんだよ」
「!」
驚く僕の顔を見て、母は重ねて言葉を繋ぐ。
「母さん、ずっと考えてた。瞭さえ良ければ、一度本気で考えて欲しいんだよ」
思いもかけない母の言葉に虚を突かれた僕は、咄嗟に返事を返す事が出来ずに、黙り込む。
「返事は直ぐでなくていいから。ゆっくり考えておくれ」
母の言葉を聞いたその晩、僕はこれまでの情報を整理して、考える事にした。
遙は殆ど歳を取らないと言う。遙と契約を結びその『力』を貰い受けた申し子も、遙ほどではないが、矢張り他の人間と比べて、格段に寿命が永いと聞いた。
定かではないが、この世界には人間と、遙やもう一人の神様=來=の間に生まれた子供達が数名、存在すると伝えられている。
彼(彼女?)達は生まれながらにして、遙達のような『力』と、永い寿命を併せ持つ。
神と人との混血として生を受ける事から、その存在を総じて、贈り物=卵=と呼ばれている彼等だが、一般的には遙の血脈を金の卵と呼び、來の血脈を銀の卵と呼称されている。
この呼び名の由来は、二つの説が重なってそう呼ばれるようになったらしい。
一つは当時から非常に高価で、祝い事に献上品として提供される以外は、食する事はおろか、姿を見る機会すらなかった、フェイの卵から採ってそう呼ばれているらしい。
フェイは白く大きな翼を持つ鳥の一種で、非常に愛情深く、番になった相手とは一生添い遂げる性質だ。
例え相手が先に逝ってしまっても、決して別の相手を見つける事が無い為、現在に至っても永遠の愛の形としてその存在は象徴的に伝えられている。
現在は絶滅し、幻の種となったこの貴重な鳥の姿を、僕はこの眼で見た事がない。
けれど、恐らく見た目の綺麗さと情の深さも、卵の謂れに多少関係があると、僕は推測している。
残る謂れの一つは、來と遙、それぞれの髪の色から採ったと言う説だ。
確かに來は見事な銀髪だが、遙の髪は綺麗な黒髪なので、此方の説の真偽の程は判らない。
――――この卵と呼ばれる彼等の存在を巡って、來と遙は随分昔に仲違いをしたそうだ。
以降來と遙は一触即発の状態らしく、現在も含め、双方の間で幾度と無く小さな争い事が勃発している。
多分、母が最も心配しているのは、この件だろうなと僕は考える。
一応表向きは誰もが、神様同士の争いなど起こってはいないと口を揃えて言うけれど、母の様子や、
何より遙の態度で、近しい立場に居る僕には、真実が見える。
魔物退治ならいざ知らず、神様同士の戦いなど、仮に少しくらい遙の『力』を貰った処で、命が幾ら有っても足りないと、母は心配しているのだろう。
――――僕が卵だったら、どんなに良かったか――――
遙から預かって直ぐに母は赤子の僕を丸裸にして、有る物の有無を確認したらしい。
それは、卵の身体には必ず有る、所有者の印。身体の何処かに刻まれている紋様は、遙と來、それぞれの贈り主を区別するための印だそうだ。
早く大きくなって遙の力になりたかった僕は、諦めきれず自分でも身体中を隈なく確認してみたが、やはり痣らしき痕は何処にも無かった。
卵では無かったと落ち込む僕に、母は珍しく怖い顔で、痣などなくて良かったと答えた。
……多分あの時から母は、僕を実子に迎えるつもりでいたんだろう。




