提唱(22)
――何故、何故こんなに大事な事を俺は今の際まで忘れてしまっていたのだろう?
そうだった。全部――思い出した。
俺はあの後村に戻り、同世代の子供や巫女を捧げた家族達を中心に、密かに集会を繰り返し続けた。
長い、とても長い年月をかけて、古いしきたりに縛られた考え方を正し、『犠牲』の上に成り立つ『奇跡』は過ちだと、
周囲の村人に少しずつ認識させた。
迷い人にも積極的に話しかけ、少数だが『奇跡』を望まない考え方が存在する村や町が在る事も知った。
『犠牲』は対岸の火事ではなく、いつ自分達の身に降りかかるとも知れない。
何度も集会を重ねる内に少しずつ、特に年頃の女の子を持つ親たちは、イエンの考え方に拒否反応を示し、
我が子の命を守るべくイエンから離れ、安住の地を探す旅に出た。
一旦幼い子を持つ若い世代が離れ出すと、もう誰にもその勢いは止められなかった。
村は『奇跡』を願う世代と『犠牲』を嫌う世代に二分し、村の人口の流出は留まる事を知らなかった。
そんな緊迫感漂う状態の中で、幸か不幸か、俺の家に新たな命が宿り、生を受けた。
当時の俺は独りで生きていく事に、本当は少し疲れていた。
どんなに想っても自分より必ず先に逝ってしまう人々。同じ時間を生きる事が許されず、
常に最期を看取り続ける立場がこれほど辛い物とは、想像もしていなかった。
(遙、永遠の命はやはり人間には重すぎる。孤独の内に生きて行ける程、人は強くない)
いつからか俺の魂は、独りで抱えるには重すぎる運命に迷い、傷つき始めていた。
けれどそんな俺の魂を救ってくれたのは、意外にもこの時代に生まれた妹の存在だった。
忙しい両親に代わって面倒を見る俺に、華のような笑顔で笑い、小さな掌で俺の指を一生懸命掴んで振り回し、
時には何と間違えてるのか、そのまま指を咥えた事もあった。
何をするにも全力で、クルクルとよく変わる表情は一日中見ていて少しも飽きる事がなかった。
その幼い笑顔と温もりは、長い時間を生きる間に失くしかけていた、俺の中の『何か』を思い出させるには
充分だった。
「お兄ちゃん、大好き」
……もう何代目か数える事さえ諦めた、自分の遠い子孫。ついこの間言葉を覚えたとばかり思っていたが。
「お兄ちゃん、手!」
例え喧嘩をした翌日でもいつの間にか隣に来て、その小さな手と足を精一杯伸ばし自分と手を繋げと要求した妹。
俺が大好きだと、どんな時でも傍を離れようとしなかった。
そんな妹の姿に、孤独だった俺の心は、どんなに慰められた事か。
妹がいつか自分の姉になり母となる事を、何処か冷静に分析しながらも、心が次第に彼女に傾くのを、
俺自身どうする事も出来なかった。
……いつか、いつかそう遠くない将来、彼女は俺ではない他の誰かと恋に落ち、家庭を育むだろう。
だけど彼女が存在する間は、生きていても良いかも知れない……そう、思った。
「俺達も暫く、イエンを離れたほうが良いだろう」
あれから迎えた何度目かの妹の誕生日。両親の遅まきながらの提案に、俺はすぐさま頷いた。
何故ならそれはこの家に女の子が生まれた時点で、俺自身が考えていた事だからだ。
年頃に育った娘を持つ家庭なら当然の行動で、誰からも責められる謂れはないだろう。
彼女が育ち、巫女の対象年齢を超えた時点でまた、イエンに戻れば良いのだから。
だが誰もが行う一時的な疎開を頑固に反対したのは、意外にも当の本人である娘だった。
「お兄ちゃん。私ね、それでもこの村に居たい。この田畑を自分達の手で耕して、イエンを本当の意味で
豊な村にしたい」
『犠牲』が無い為に、この村に例え『奇跡』が興らなくても。
村を棄てて出て行くのでは無く、この村そのものを、自分達の手で維持出来たなら。
「だってお兄ちゃん、私達は数ある村の中から、イエンに生まれたのよ?」
きらきらした瞳を持つ優しくて少し頑固な妹は、俺や両親の再三の説得にも屈せず、
イエンから決して離れようとは、しなかった。
そしていつからか幼いながらも隣に並び、俺と共に村人の家々を廻るようになった。
恐らく俺だけなら考えも及ばなかった、『村を生まれ変わらせる』方法を、彼女は日々考え続ける。
「私達がイエンに生まれた事は、きっと何かしらの意味が有るはずよ」
妹の口癖のような言葉は、俺に新たな希望を与えた。
認められないからと単純に村を棄てるのではなく、村そのものを、本来の正しい道へ戻す事が出来たなら。
そしていつか、村を出た人々が、心から戻りたいと願うような村へと変貌を遂げたなら。
――――その時に漸く俺も、遙に再会出来るだろうか。
やがて可愛くてしっかり者の妹は成長し、誰もが羨む、とても綺麗な姉へと成り変わった。
その頃には俺の下に新たな妹も誕生し、眼も眩むほど幸福に満ち足りた毎日を俺は送った。
途中彼女達の両親が不慮の事故で亡くなると言う耐え難い不幸はあったが、養親も子供が居なかった父親方の
妹夫婦に無事決まり、彼女達は実の両親に勝るとも劣らぬ彼等の愛情を、一身に受けて育った。
新しい家族はいつしか深い絆で結ばれ、このイエンで俺達は何不自由なく暮らしていた。
……けれどそんな幸せから少し眼を逸らせば『奇跡』を願う村からは、回数こそ減ったが、相変わらず
巫女選びは続けられていた。