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逃亡(19)

 頭が考えるより早く、俺の身体は声の聞こえる方向へ向って、全力で走り出していた。

 焦り過ぎて木の枝で手足を無数に傷つけたが、それでも勢いを緩める事無く、俺は必死で走り続ける。

「お兄ちゃん!」

「結衣!」

 林を抜けたその先に、涙と恐怖でぐしゃぐしゃになった妹の顔が間近に在った。

「ちっ! 見つかったぞ!」

「出かけてる筈じゃ無かったのか?」

 驚いた事に妹を連れている人達は全員、奇妙な文様が描かれた布で顔を隠し、片手に松明(たいまつ)を掲げた村の若人達だった。


「お兄ちゃん、助けて!」

 結衣が男の脇に抱き抱えられながらも、小さな手を必死に俺に差し伸べる。

「結衣っ!」

 ……多分、急な事態に対応出来なかったその男の股間を、俺は容赦なく蹴り上げると、結衣の手を掴んで

再び林の中に舞い戻る。

「ぎゃっ!」

「逃げたぞ!」

 股間を蹴られて悶絶する男の声と、怒号が交錯する中、普段は決して踏み込まない方角を目指して、

突き進む。

 自ら逃げ込んだ森の中は、暗くて足元が全く見えない上に、所々大きな(うろ)や、高い崖が存在する危険な場所だ。

 だからこそ逆に隠れる場所も沢山有るに違いないと踏んだ。

 何とか大人達を遣り過さないと、大事な結衣が(さら)われてしまう。


「怖かったよ…」

 激しく嗚咽する結衣を背中に負うと、その小さな身体が恐怖から震えているのが良く解る。

「大丈夫だ結衣。お兄ちゃんが来たからもう大丈夫だ!」

 どうして妹がこんな目に? 父さんと母さんは、どうした? 何で村の人が結衣を?

 自分も不安で泣き出しそうになりながら、俺は休むことなくひたすら暗い林の奥へ奥へと、逃げ込む。

「そっちは?」

「居ねえ!」

「何としても捕まえろ! 大事な巫女様だ!」


 殺気立った村人の怒声と、松明の明かりが樹木の間越しにチラチラ見え隠れする中、俺は震える自分を叱咤しながら

結衣と二人、一緒に隠れられそうな場所を必死で探す。

「泣くな結衣。黙って」

 幾ら隠れても、結衣が泣き止まないと、此の(まま)では(いづ)れ見つかってしまう。

 怯える結衣を地面に下ろして、泣き声が漏れない様に強く抱きしめた。

(今、巫女様って言ってなかったか?)

 息を整えている最中に、頭の中を嫌な想像が駆け巡る。

 数日前から元気の無かった両親の姿。巫女様の当たり年。俺の姿を見て驚いた村人達。

 顔を隠した奇妙な文様。


(気持ち悪い……)

 頭が、心臓が、ズキズキする。吐きそうだ。考えまいとしても厭な想像が、俺の胸中に沸き上る。

 もしかして、両親は以前から、結衣が巫女様に選ばれたのを知っていた? 

 その為に俺をわざわざこの日に合わせて、隣村まで使いに出したのか? どうして? 簡単な事だ。

 両親には俺が反対するであろう事が、解っていたからだ。

(姉ちゃんはどうしたんだろう? 姉ちゃんも賛成するとは思えない。俺と同じ様に、何処かへ使いに出されている最中か、

それとも村の人間に何かされたか?)


「お兄ちゃん……」

 力の限り抱き付いてくる妹を何とか(なだ)めながら、俺は荒くなった息を何とか整える。

 駄目だ、駄目だ!

 いくら村の為だとしても、結衣をあんな寂しい場所へ、それもたった一人で行かせる訳には行かない。

 結衣はまだ六歳になったばかりの俺の大切な妹だし、第一こんなに本人が泣いて嫌がっているのに、

無理強いするなんて(ひど)すぎる。

 俺が結衣を何としても此処から無事に連れ出さなければ。


 足元を慎重に確認しながら樹木を掻き分け、暗闇の中、手探りで少しずつ進んでいく。

「こんな処に居やがったか!」

 最早顔を隠す必要も無くなったのだろう。急に目の前に良く見知った、けれど今まで見たことも無い、

怖い表情をした村人が現れた。

「きゃあぁっ!」

「結衣っ! 逃げろ!」

 結衣を逃がそうと男の腰に組み付きながら力の限り叫んだ俺は、その男に乱暴に振り解かれる。

「こいつ……」

「!」

 殴ろうとした男の手が何故か慌てて俺の腕を掴もうとするのと、俺の身体が地面も何も無い空中に投げ出されたのは、

(ほとん)ど同時だったと思う。


 卵が潰れる時のようなグシャリ、と軽くて湿った音が周囲に響き渡った時、俺の全身は崖下の巨大な一枚岩の上へ、

容赦なく叩きつけられていた。

「結衣」

「いやぁぁ!!」

 結衣が崖から身を乗り出そうとして、周りの男たちに抑えられるのが、眼に映る。

(結衣? ……どうしたんだ?)

 松明の明かりに照らされた、結衣の泣き顔は良く見えるのに、声が全く聞こえない。

「どうだ? 助かりそうか?」

「いや……こいつはもう駄目だ。」


 倒れ伏した岩場まで苦労して降りてきた男は、松明で俺の瞳を(のぞ)き込むと、俺を助けてくれる訳でも無く、

そのまま上へと何事か叫んだ様に見えた。

「どうする?」

「儀式の前に死人が出たとなると、大変な事になるぞ」

「気の毒だが、巫女様の件とは無関係にするしかなかろう」

「そうだな」

「だが、医者に診せれば命だけは助かるかも知れんぞ?」

「ならん! どうせこいつは助からん。儀式をわざわざ血で汚す事は無かろう」


(……?)どうして誰も声を出さない? 口だけ動かして変な感じだ。

 それにどうして俺の瞳は、こんなに霞み始めているんだろう?

「お兄ちゃーん!」

 口だけ必死で動かしている結衣も、俺を崖の上から見下ろしている村人達も、皆一体どうしたんだ?


 ――不意に、本当に不意に、俺は泣きたくなった。


 実際俺の瞳からは涙が流れていて、その所為で周囲が霞んで見えるのかもと思った位、どうしようもなく哀しくて。

 けど結局それ以上何も出来ないまま、一人二人と崖から去っていく村人達と、無理矢理その場から引き離されて

連行され行く、妹の次第に小さくなっていく後ろ姿を、ただ為す術もなく、俺は見送った。

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