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そして生まれる『もの』-06(181)

 意を決して向かった、遙の私室前。 叩いた扉からは、斎の私室と同様に何の返答も無かった。

 だが静寂が漂う室内から、微かに流れる遙の気配を読み取って、皓の手は迷いもなく扉を開けていた。


「遙っ!」

 返事のない室内に、それ以上無遠慮に踏み込んで良いものかどうか、さすがに判断がつきかねて、二人は互いの顔を見合わせる。

「どうする皓? いいのかな」

 入り口から直ぐに設けられた、広く殺風景な談話室から奥は、恐らく完全な遙の個室だ。 いくら仲間とは言え、個人の領域にまで立ち入られるのは問題が有るだろう。

「俺達の部屋だと、この奥は寝室なんだが」

「うーん。遙ちゃんの部屋は広そうだから、さすがにそれはないと思うけど……部屋の構造が良く解んないから、万が一って事もあるしねー」

 (よこしま)な想いを抱いている訳ではないが、隣室が寝室の可能性を考えると、迂闊に扉は開けられない。

「……まぁいいか。どうせ遙は、んな事気にもしねぇだろうし」

 深く考えるのが面倒なのだろう。 返事を返さない遙が悪いと呟いて、続き部屋の扉に手をかけた皓を、恭が慌てて押し留める。

「わっ! 駄目だよ皓、女の子の寝室なんだから!」

「何でだっ!」

「何でって――」


 いつの頃からか。遙を異性として捉える前に、ただの仲間として見る意識が恭には欠けているではないか、と皓は考える。

 堅い木材の扉に背を預け、全身で男の入室を拒む姿に、苛立つ想いは隠せず、思わず低い声が皓の喉から漏れた。

「とにかくそこを退け、恭」

「皓?」

 不完全なまま潰えた『力』の片鱗が、狭い内部からの開放を願って、皓を未だ駆り立てる。

 些細な怒りに対してすら暴走しそうな力を抱え、価値観の違いを正している暇はないと、皓は恭に冷酷な響きで真意を告げた。

「退かないなら、俺は――」

「どうした? ここまできて、仲間割れでも起こしたのかい?」

「あっ?」

 かけ声と共に不意に内側に向かって開かれた扉に、体重を預けていた恭の背中が、泳ぐような動作で遙の私室へ消える。

「……内開きだったのか」

「?」

「いや、こっちの話だ」

 不思議そうな表情を宿しながら、それでもすかさず片手で恭を受け止めているところは、さすが遙だと、妙な感慨を抱きながら、皓は恭に手を差し伸べた。

「有難う皓……遙ちゃん、お願い降ろして」

 いくら細身の体型だとは言え、この場合、男としては床に倒れた方がマシだったかも知れない。

 不本意にも遙に抱き抱えられる格好になった恭が、両足を宙に浮かせて、細い声を上げる。

「ああ、済まない」

「……」

 沈黙の合間に流れる微妙な空気が、男の沽券(こけん)に関わるものだとは露知らず、遙は恭を床に降ろすと、奥へ入るように促した。





 採光に重点を置いているのだろう。 初めて踏み入れた遙の個室は広く、背の高さ以上に大きい窓には、どれも精密な細工を施した一枚硝子が()められている。

 部屋の中には、優に三人は腰掛けられる長椅子が暖炉に向き合って配置してあり、軽い仮眠なら取れる事を表していた。

 無遠慮なまでに室内をぐるりと見渡す二人に、椅子をすすめる事もせず、単刀直入に遙が問う。

「で? 二人揃って私に何の用がある?」

 愛想の欠片も感じない、出逢って間もない頃の遙に近い、感情が見えない喋り方に、皓と恭の瞳がわずかに陰る。

 思考を悟られるのを避ける為か、入室してから一度も眼が合わないのは、恐らく遙が故意に視線を外しているからだろう。


「遙ちゃん……」

 窓際に移動したきり、まともに向き合おうともしない遙に、何と声をかけるべきか。 不安に惑う気持ちが、皓と恭の紡ぐべき言葉を失くさせる。

 不自然な沈黙が漂う中、開け放たれた窓から吹き込んだ風が、不意に遙の黒い髪を舞い上げ、視線を自由な空へと誘った。

 向けた瞳を言葉もなく追う二人の執拗な気配を感じて、遙は諦めたように、そっと囁く。

「――私に何が有ったのか、聞かなくても良いのかい?」

「なら俺達は、遙に理由を聞いてもいいのか?」

 逆に問い返す皓の言葉から、逃れるように見上げた空。

 厭味なくらい透き通った青に、白く溶け入る雲が哀しいほど綺麗で、遙は固く眼を閉じる。

 暗い夜の支配から、明けた空はこんなにも輝かしい。 光に満ち溢れた地上で、生命は新たな誕生を謳い、花開く。

 澄んだ魂に還る場所は有るが、穢れで染まったこの身は、果たしてどこに堕ちて行くのだろう――

「……」

 けれど閉じた瞳に射し込む陽光が、堪らなく眩しくて。 痛みに震えて戻した視線は、こちらを真っ直ぐに見つめる二人の瞳とかち合った。

「遙ちゃん」

「遙」

 強い意志を湛えた彼らの瞳は、いつだって遙を捉え、離さない。

 臆する事なく差し出される純粋な優しさに、孤独の内に隠した罪の重さが知れて、遙は呻くように呟いた。

「……お前達は何も知らない」

 光と闇の狭間で彷徨う魂は、本当はどちらに真の居場所を求めているのか。

 再び伏せた瞳に、淡い光が織り成す陰影が揺れて、遙の不安な気持ちを物語る。

「私は――」

 それ以上適切な言葉を紡げず、無意識に強く噛み締めた奥歯は、ためらいがちに頬に触れた掌によって、解かれた。

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