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そして生まれる『もの』-05(180)

 遙の私室へと続く扉に視線を流す事もなく、皓は真っ先に右隣に存在する斎の部屋へと足を向ける。

「斎! いるなら早く出て来い!」

 仕掛けられた罠でさえ、あれだけ翻弄されたのだ。 ここで斎自身と直接向き合えば、考えるまでもなく捕縛される事を皓は自覚していた。

 だが――

「聞こえねぇのか、斎!」

 力の限り扉を叩く拳よりも、いつもと変わらぬ素振りで、行けと言い放った彗の言葉が、胸に深く刺さって痛い。

 遙の部屋に向かう為ではなく、足手まといを避ける為にあの場を離脱したが、満身創痍の彗を、これ以上一人で戦わせておくわけにいかない。

「何で彗を傷つける? 俺が目的なら俺をやりやがれ!」

 何度も肩を激しく扉にぶつけ、全身で外へ出てくるように叫ぶが、静まり返った斎の私室からは物音一つ漏れては来なかった。

 開く気配のない扉に無人の臭いを嗅ぎ取って、小さく皓は呻く。

「……居ねぇのか?」

 ――ではやはり蔦は、予め決められた動きをただ繰り返していただけに過ぎないのか?

 危険極まりない罠を放置する、およそ斎らしくはないやり方だが、彼が蔦を操っていた訳ではないと知って、皓は長い息を吐いた。

「……だよな。斎が彗を傷つける理由なんか何もねぇし、第一そんな事絶対に有り得ねぇ」

 彗と斎の関係は、屋敷で暮らす他のどんな仲間の関係とも、違う。 他人が量り知れない深い(えにし)は、確かな絆を二人の間に築き上げてきた筈だ。

「どうする? 一旦戻るか、それとも……」

 弱い人間をその身に庇えば、強者で有る彗の動きを妨げる事になる事は、重々承知だ。 しかし――

「くそっ!」

 短い悪態とともに、(ひるがえ)す身体。 肝心の斎が部屋に居なければ、ここにいても意味は無い。

 罠を止める事が最優先だと、何の躊躇いも覚えずに下した結論は早く、皓は先ほど駆けた廊下を全力で舞い戻る。

 例え僅かな『力』であっても、差し出す掌をいま一番必要としているのは、この場合、遙ではなく彗に違いない。

「待ってろ、彗!」




 足元に設けられた灯りに照らされ、淡い白さが際立つ冷たい石の床を、皓はひた走る。

 だが間近の角を曲がった途端、同じ様に全力でこちらへ向かって走って来る恭の姿を捉えて、皓の足は止まった。

「恭!」

「皓? えっ? 遙ちゃんは?」

 状況が上手く把握出来ていないからか。

 言うべき事が他に有る筈の仲間の口から、場違いな言葉が漏れて、皓は苛立たしげに恭の質問を遮った。

「そんな事より、彗は無事なのか?」

「そんな事って……」

「はあっ?! 何馬鹿な事言ってんだ、お前。遙の事より、怪我を負った仲間の救援を優先させるのは、当たり前じゃねぇか!」

 怒鳴りつけるような強い皓の言葉に、一瞬固い表情を宿した恭が、きごちない笑みとともに言葉を紡ぐ。

「……だよね、ごめん。あのね、彗は大丈夫だよ。直ぐには動けないけど、遙ちゃんとの契約があるから、大丈夫だって」

 遙と契約を交わした身体は、例えどんな深手を負っても、生命の焔が消えない限り、一定時間安静にする事で傷が癒える。

 彗が受けた傷は深く、出血は相当のものだったが、幸い、生命を脅かす程の重さではなかった。

「そうか」

 簡易な説明にも関わらず、安堵の息を漏らした皓の姿に、本来あるべき立場を悟って、恭の端正な顔がくしゃりと歪む。

「……ごめん皓」

「恭?」

 どうしたと続けた皓の言葉に、胸中に燻る醜い感情を曝け出す訳にもいかず、恭は少し考えてから力なく首を振った。


 自己嫌悪に塞がれた胸は、情けなさと恥ずかしさが入り混じり、上手く言葉を紡ぐ事すら出来ない。

 いくら彗にけしかけられたとはいえ、仲間を心配して引き返して来た皓に、恭が最初に確かめようとした事は、遙に逢ったかどうかだった。




 あの時、蠢く蔦が全て消滅するのと、倒れた彗へ恭が駆け寄ったのはどちらが先だったのだろう。

「彗っ!」

 全身に隈なく傷を負った身体を何とか床から抱き起こした恭に、時間は要するが心配ないと告げた彗は、早く皓の後を追うように言った。

「けど血がこんなに沢山――」

 言葉こそ普段通り尊大だが、大量の血液を失った彗の顔色は紙のように白く、弾む息は正直に容態の悪さを訴えている。

 激しい出血は止まったかにも見えるが、正確な判断がつかず、恭はその場から離れる事が出来なかった。

「大丈夫だ……力を遣いすぎた所為で、俺の生命そのものに影響があるわけじゃない。……それより恭、ひよっこの分際で俺の心配をしてる暇が有ったら、とっとと皓の後を追え」

「でも彗!」

「あのなぁ恭……お前だって本当は、あいつに抜け駆けされたくは無いんだろう?」

「!」

 荒い息の合間にさらりと告げられた予想外の言葉に、上手く感情が隠せず息が詰まる。

 珍しく動揺を露わにした恭の態度に、「もしかして、それで隠しているつもりだったのか」と意外そうな声で呟いてから、彗は更に言葉を重ねた。

「俺は遙を良く見ているから知っているが……いいのか? 遙は強い奴に惹かれる傾向があるぞ」

 遙に認められる、皓の圧倒的な強さと存在感。 羨望を通り越した醜い嫉妬に胸は占められ、行けと再び強く促された彗の言葉が、迷う恭の心を後押しする。

「でもどうして彗? 皓に行けって言ったんじゃなかったの?」

 弱みを突く言葉に、半ば以上意識は空に誘われて、ふと聞き直す素朴な疑問。 彗はどう考えても、皓をより贔屓(ひいき)にしていたように思えたのだが。

「……俺にとっては、二人とも馬鹿で手のかかる弟子だからな。皓一人だけに良い眼を見さすつもりはない」

「彗……」

「行け!」

 傷ついた状態でなお、彗が見せた心遣いに何も言えず、ただ頭を下げて廊下を駆け出した。

 大の男と比べて思い知る、己の弱さと未熟さに、泣き出しそうな苦しさを抱えて、恭は遙の下へと向かう。

 けれど痛みを増す胸に、ついに足が止まりそうになった時、前方から皓に声を掛けられたのだった。




「――ううん、本当に何でもないんだ」

「……ならいいが」

 恭の唐突な謝罪は不自然な印象を与えたが、向けた無理な笑顔にそれ以上何も聞けず、皓は取り敢えず追及を諦めて、視線を再び廊下の向こうへと流した。

「どうしよう、皓? 彗のところへ戻る?」

「いや……このまま遙のところへ行こう」

「皓?」

 予想した答えと真逆の意見だったのか、恭が僅かに首を傾げるのを見咎めて、皓が苦く笑う。

「彗が行けと言ったなら、行くべきだ。……彼を休ませる為にも」

「!」

「恐ろしく矜持の高い彗は、人前で弱い姿を晒す事を良しとしない。……まして俺達は弟子だ。何が何でもみっともない格好は見せたくねぇだろうよ」

「皓……」

「解ったら行くぞ、恭」

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