隠蔽(18)
真っ直ぐ帰るように言われたにも係わらず、俺はついつい寄り道を沢山してしまった。
隣村まで一人で出かけるのは初めての経験で、楽しい事だらけだ。
何より大事な使いを一人で任された嬉しさに、鼻歌が止まらない。
帰宅時間は予定を大幅に上回っていたが、道端の花に又しても俺の足は止まってしまう。
此処のところ何故か元気の無い両親に、この奇麗な花を沢山持って帰れば笑ってくれるかも、と期待する。
(ちょっと沢山摘み過ぎたかな?)けど皆、花が好きだから怒りはしないだろう。
特に花が大好きな末妹の、嬉しそうな顔が眼に浮かぶ。いらぬ寄り道の為に更に暗くなった道を、
殆ど駆け出すような勢いで歩き出した俺は、両手一杯の花に視界を塞がれている所為も有って、
碌に良く足元を確認していなかった。
「うわっ!」
「キュイーッ」
何か柔らかい物を踏んだ俺は山盛りの花を、派手に周囲に撒き散らしながら、思いっきり地面に尻を打ち付ける。
「痛ってー」
大きな声と共に暗がりの中、俺は慌てて踏んだ動物らしきものの姿を、確認する。
「?」
突然頭上から降る一面の花の中に埋もれる破目になったそれは、酷く驚いたのか、逃げもせずその場に蹲っていた。
「か…可愛い〜」
真ん丸な眼をした、フワフワな毛並みを持つその生き物を、驚かさない様に慎重に、抱き上げる。
「キュイイッー?」
(……駄目だ。可愛い過ぎる)
怯えもせず、首を傾げる仕草は、動物好きの俺の心臓をまともに狙い撃ちした。
自慢じゃないが俺は滅法動物に弱い。いや俺を含め、家族全員が大の動物好きなんだが。
(飼おう!)
即決した俺はこいつの左足が少し腫れている(恐らくは俺が踏んだ所為)のを見て、荷物から包帯と薬を取り出すと、
早速手当てに掛かる。
「ごめんなー。痛かったよな。いま薬つけっからな」
まるで俺の言葉が解るかの様に、大して抵抗もせずそれは大人しく治療されると、
「キュッ」と短くお礼を言った。(様に見えた)
「お前、随分人馴れしてるけど、誰かに飼われてるのか?」
立ち上がって、包帯の違和感が気に入らないのか、尻尾を振りながら左足をバシバシ地面に叩き付けているそれを、
抱き上げて止めさせる。
「飼い主と逸れたのか? それなら暫く俺の家、来いよ」
「キュー?」
俺は寒くないように懐にそれを入れると、今度こそ家へ向って足早に歩き出した。
「お前、オスだよな?」
「キュッ!」
「決めた。ならお前、俺の弟だ」
「キュー?」
「俺、男の兄弟が居なくてさ、実は肩身狭いんだよね」
まるで返事を返している様なタイミングの良い鳴き声に、暗い道の中、怖さを紛らわす為にも、
俺は色んな事を途切れることなく、それに話し始めた。
大好きな両親と、優しくて奇麗な姉と、少し生意気な妹の話も思い付くまま沢山話す。
そして何より、退屈な村に不満が無いと言えば嘘になるけれど、穏やかで緩やかに流れる日常生活に、
実のところ、結構満足してる事も。
「これで巫女の儀式さえ無ければ、完璧なのに」
思わず話のついでに漏らした愚痴をそれは聞き逃さず、懐から身を乗り出した。
「キュイ?」
なぁに? と言う様に小首を傾げる様にまたしても俺の心臓は打ち抜かれ、村だけに伝わる秘密の儀式を
ついついそれに明かしてしまう。
俺が住む狭い小さな村……イエンには代々伝わる巫女の儀式が存在する。
何年かに一度幼い女の子が、村を護る神へ、唄を捧げる巫女として選ばれる。
巫女が選ばれる方法は俺達子供には良く解らないが、選ばれた巫女は、如何なる例外も認められず、
必ずその責務を果たさなければならないそうだ。
長い祈りの間、巫女は村の中心部に在る六角形の祠の中に入り、たった一人で唄い続けなければならない。
また、神の託宣が下される日迄、そこから一歩たりとも外へ出る事は許されていない。
そして何日にも亘る長い祈りの時間を終えた後、厳しい責務から解放された筈の巫女は、
家族の元へ帰る事を望まず、自ら進んで神の住む山へとその身体を移し、そこで満ち足りた幸せな余生を、
送るそうだ。
「だからあの山には巫女が沢山、住んでるんだよ」
ここから僅かにしかその形を確認する事が出来ない程、遠く離れた険しい山の方向を俺は指で差し示す。
もっとも、今は暗くて山の姿は確認出来なかったから、ずいぶん適当な位置だったけれど。
「いいか、この話は絶対、内緒だからな!」
途中からこの話に厭きたのか、返事を碌に返さなくなったそれに、俺は念を押す。
「キュッ」
相変わらずタイミングの良い返事に(あれ? やっぱり聞いてたのかな?)とも思ったが、
どうせ動物に内容を理解出切る筈も無いし、余り拘らずに俺は日頃疑問に思っている事を口にする。
「けど俺なら、家族と二度と逢えなくなるのは寂しいな」
俺だったらきっと責務を全うした時点で、真っ先に家へ帰ろうとするだろう。
一人で幸せに満ち足りた人生を送るより、家が狭くても兄弟で喧嘩しても、やっぱり家族と一緒にいたいと思うから。
「巫女達は全員神の山へ……か。けど家族の元へ帰りたいと思う巫女が一人位いても、不思議はないよな?」
「キュー」
けれど大人達は俺のこの質問にいつも黙り込むか、話自体を止めてしまうのだ。
そこに何か知らない事実が隠されている気がして、俺は口にこそ出さないが、この儀式に心の底では反対だった。
「今年は儀式の当たり年だから、女の子が居る家は皆、ピリピリしてる」
思えば両親が塞ぎ込むのも当たり前かな、と其処まで考えた時だった。
「! キュッ!」
懐から大人しく顔を覗かせていたそれが、急に短い威嚇の声を発する。
「? どうし……」
毛を逆立てたその只ならぬ様子に、俺は耳を澄まして、周囲を探る。この辺りには稀にだが、
大型獣が出没する危険が有るからだ。
怪我をさせない様に無意識にそれを更に懐深く押し込んで、俺は声の聞こえる方向に注意深く、
意識を集中させる。
「嫌――! お家に帰して。放して――」
けれど風に乗って遠くから聞こえて来たのは大型獣の咆哮ではなく、幼い女の子の泣き声と
複数の人間の足音だった。
良く知ったその泣き声に、俺の心臓が俄かに跳ね上がる。
「結衣!」
――間違える訳が無い。あの声は――