そして生まれる『もの』-03(178)
断絶された緑の壁の中。 去り行く皓の足音を正確に捉えて、彗は置かれたおよその距離を測る。
互いの力が影響を及ぼす範囲を的確に見抜くと、彗は扉から離れ近寄ろうとした恭に声を投げた。
「いいか恭、それ以上一歩も動くなよ」
眼に映らない個所で発生した音を、実際の映像として転換する、彗だけが持ち得る特殊な力。
起こした行動を正確に言い当てられた恭は、一瞬ひるんだものの、懸命に口を開いた。
「けど!」
気だけが先走り、上手く言葉に出来無いのか。
援護したいのだと訴える恭の心は、言葉にするまでもなく伝わったが、敢えて気付かぬフリを押し通すと、彗は極めて冷酷に言い放った。
「悪いが馬鹿な弟子を庇える余裕は、俺にはない」
これほどの騒ぎに遙が気付かない筈はない。
恐らく遙の結界に護られた屋敷の内部に、斎が更に結界を重ねて張ったに違いない。
周到に練られた計画に、本気だという斎の強い意志を読み取って。
「……」
悔しいのだろう、言葉に詰まりくっと喉を鳴らした恭の様子に、彗の視線が僅かに下がる。
何かしたい、助けたい。 恭の気持ちは痛いほど理解出来るが、実力が伴わないただの志だけでは、現実には何の役にも立たない。
力無き者が近寄れば巻き添えは避けれず、結果強者の足手纏いと成り下がるだけだ。 幼い恭を確実に守る為には、現場から遠ざける以外に方法はない――
「全てが終わったら、遙の下へちゃんと行かせてやるから、そこで大人しく待ってろ」
他の仲間と比べると、まだ赤子のように若く弱い二人。 だが遙との心の結びつきは、屋敷内のどの人間よりも強く固い。
卵達に取って余りに恵まれた立場にいる彼等に、風向きは必ずしも優しい訳ではなかったが、遙にとって大切な存在で有るならば、どんな事をしても自らが護ろうと彗は決めた。
「なぁ斎、俺に取って何より大事なのは、遙が心から笑うことだけだった」
作り笑いも、強がりも。 揺れる華奢な身体一つさえ、抱き締める腕を許されない卵達には、叶わない永遠の夢――
「俺とお前は、あいつらに同じ夢を見た訳ではなかったのか」
卵が望むのは、ただ創造主である遙の幸せだけだと説いた斎が、過去の幻だと考えたくはない。
「……馬鹿が……」
視界に映る蔦の醜悪さに、込み上げる抑えようのない怒りと哀しみ。
皓や恭よりも。本当に護りたい者は別に居ると、叫ぶ心に苦い痛みを感じながら、彗は吹っ切るように視線を上げた。
胸中を渦巻く感情のまま、右手の長剣を軽く振りあげ、天高く昇る焔を模った刃に文字通り灼熱の『力』を載せて、周囲を取り囲んだ蔦の集合体へと放射状に放つ。
「隠れてないで、早く出て来い斎!」
予備動作のない突然の素早い動きに、虚を突かれたのか。
避ける事もせず真っ向から彗の力を受けた蔦は、全てを焦がす白い業火に焼かれ、内部から熱を受けて崩れるように端から分離を始める。
燻りながらうねうねと不気味に地面を這う仕掛けは、予め制御された動きを自動で倣っているだけなのか、それとも――?
遙の腹心で、屋敷の総代でもある斎の『力』。
彼が離れた場所から、罠を意のままに操る事の出来る範囲を、彗とて正確に知っている訳ではない。 だが介入する斎の強い存在を感じて、彗は呼び掛ける。
「何を考えてる?! こんな遣り方は、お前らしくないだろう!」
一歩間違えれば、仲間を傷つけるばかりか、その貴い生命を奪う場合が有る――そんな危険を孕む方法を、斎が好んで採るとは思えない。
「ちっ!」
一瞬のうちに炭化した部分を切り捨てて、円形を解いた蔦は再び寄り合い、先程と同じ巨大な塊へと姿を変える。
押し寄せる緑の波を舌打ち一つで迎え撃つと、彗は腰を低く落とし、真横に押し出した刃で塊の中心を水平に薙ぎ払った。
「斎!」
滑りを帯びた蔦に、振るう剣は熱を放ち、乾いた音と微かな蒸気を周囲に発生させる。
僅かに白く滲む視界に映る緑は、誰よりも護りたかった相手が使役する、冷たい罠。
「そんなに苦しかったのなら、どうして俺に何も言わなかった!」
次々と攻撃を受け昂る精神の片隅で、未だ現実を直視出来ない、弱い心が揺れる。
大切な仲間を信じたい想いは、突然繰り出された裏切りを前に、正当な理由をつけようと躍起になっていた。
「……頼むから、何とか言ってくれ! 斎!」
答えを求め闇雲に振う刃に、腕を伝って流れる温かい液体が色を添え、体力を急激に奪われる。
鎖骨を貫ぬかれた肩はとうに限界を越え、溢れた血は指先の震えを呼んでいた。
「彗、横!」
鎖された思考の中で、耳障りな呼吸音だけが、衰えた体力を知らせるようで気に入らない。
脇腹を掠った最後の触手を片手で切り捨て、吐き出した荒い息は錆びた鉄の味を彗に教えた。
「……大丈夫だ、恭」
冷静さを欠いていた為か、想像以上に枯れた声が喉に絡んで、この上なく鬱陶しい。
「彗……」
「そこでちゃんと見てろ、次で終わらせてやる」
残る本体を潰せば、罠は消える。 操る物を失えば、さすがの斎も、一旦は退かざるを得ない。
その間に斎を捉まえ、然るべき理由を問い質せれば、見えなかった真意が明らかになるだろう。
「……斎、まだ俺とやるのか?」
虚しく空へ問う声。
斎の意識が正常であれば、そろそろ攻撃は終わらせる筈だと、どこかで期待していた。 だが止まる様子を見せない罠に、突き付けられた現実は厳しく、彗は眼を伏せる。
空虚で満たされた胸を過ぎるは、ただ一つの記憶しかなく、武器を握る手に力が入る。
「遙……許せ」
剣が振れるのは後一撃だと、零れる言葉に最悪の結果も踏まえて、彗は囁く。
遠い日、遙と交わした会話がいまも鮮やかに脳裏に残っているのは、深い意味があっての事だろう。
「うん? 闇に呑まれた者を正気に返す方法?」
あの日、斎の記憶を消去する前に、完全に闇に呑まれた魂を救う手段はあるのかと、訊ねた彗に遙が酷く寂しい笑みを浮かべた事を覚えている。
「ああ、教えてくれ遙」
「そうだね……所詮一時的なものに過ぎないが、その人間に取って相当の衝撃を与えれば、可能ではあるが」
「相当の衝撃?」
「……親しい仲間をその手で殺した者はね、皆一様に正気を取り戻す事が、過去の事例から解っている」
「!」
「だが結局仲間を手にかけた人間は、自らが犯した罪の意識に耐え切れず、最後には闇に染まってしまう。……だから彗。一度闇に呑まれた者を救うのは、どう有っても不可能なのだよ」
遺された仲間に出来る事は、闇に堕ちた者の魂を我が手で昇華させる事だけだ、と呟いた遙に明かされた真実の重さを感じて、それ以上の追及が出来ず彗は押し黙った。
「くっ……」
床に落ちる紅い雫の多さに、消費すべき力の源が間もなく尽きる事を他人事のように認識しながら、不屈の精神は決して手放しはしないと、頬に刻む尊大な笑み。
「斎……例えお前が闇に呑まれても、俺はお前を救うと決めた。だから絶対に諦めない」