そして生まれる『もの』-02(177)
「……だね。俺達は、絶対負けない」
揺るぎない自信に溢れた皓の声に、眼を閉じて。 再び深く潜る、精神の奥の奥。
深淵で繰り返す意識の明滅は、生命を産み出す海にどこか似ていると思いながら、恭は静かに眼を開けた。
現実の眼に鮮やかに映る、誰よりも身近な親友の背中。
幼い線を残した身体は、いつしか恭が見慣れた皓本来の姿を取り戻しつつあって、二人で過ごした時の長さを、改めて突き付ける。
「皓……」
与えられた理不尽な立場に向き合い、孤独を受け入れる強さに、出逢って直ぐに惹かれた。
抑圧された叫びが喉を衝いて込み上げる日も、軋んで行き場を失くした魂が、迫る孤独に押し潰されそうな夜も。
二人一緒だったからこそ、乗り越えてこれた。 ――だから。
『恭、お前は俺を信じているんだろう?』
胸を震わす、その強い言葉に。 預けられた固い信頼に。 何としても応える必要が有る――
譲れないもの。護りたいもの。 どんなに相手が強くても、刻んだ想いだけは、負けたくはない。
引き絞る腕に力を。 的を射る矢に信念を。 必ず穿ってみせると、ただ強く脳裏に描いて。
向けられた背中に託す、二人の想い。 大切な人と交わした約束を果たす為に、いま恭が宣誓する、迷いなき言葉。
「俺達の力は絶対、斎には負けない! 俺達を止められるものなんて、何も存在しない!」
「恭?!」
驚きを含んだ皓の声を聞き流し、標的を真っ直ぐに見つめる恭の瞳に、宿る鮮やかな契約の証――
「いまだ皓! 行って!」
恭の怒号を孕んだ合図と同時に――射られた大量の矢が奏でる乾いた音の間を縫って、どこからか微かに皓の耳に届いた、「行け」という酷く短い言葉。
後押しする強い意志に、躊躇なく走り出した皓の身体を追って、巨木が重く鋭利な触手を億劫な様子で、高くもたげる。
狙いを定めた余裕か、ゆらりと鈍く揺れる凶器は、不気味に蠢きながら逃げる獲物の背後を捉えた。
一方彗は長剣を即座に振れるようしっかりと構えると、皓が動き出すのとほぼ時を同じくして、凶器へと一直線に早駆ける。
足元に遮る罠が存在しない分、目的を遂げる事は容易く、彗は瞬く間に皓と、その後ろでざわめく触手との距離を詰めた。
「こっちだ来い!」
「彗? 何をする気――」
驚いた顔で速度を緩めた皓に、全力で走るよう促して、彗は強引に言葉の先を奪い取った。
「蔦は俺が引き受けるから、お前は先に行け! いいな!」
前方から走ってきた皓に、有無を言わせない厳しい口調で命令を告げると、彗は皓の真横を駆け抜ける。
傍らをすり抜けた皓と入れ違うような形で、彗は皓の背後に素早く回り込むと、彼の背を追う凶器と向かい合った。
斎の技を知り尽くした彗だからこそ、衝く事の出来る唯一の盲点。
――個々の認識よりも先に、一番近くに居る標的から呑みこむ罠の習性を利用し、注意をこちらに向けさせる――
前方を遮るようにして立ち塞がった姿に、狙い通り斎の罠は、あっさりと襲う標的を彗へと切替えた。
「単純な仕掛けだな。……ちよっとぐらいは襲う相手を選べ」
恭の矢を巧みに掻い潜り、正面から迫りくる触手を、彗は特に何をする訳でもなく、武器を構えたまま平然と待ち受ける。
先手必勝を主とする彗だが、右腕から伝わる鈍い痛みが、深く傷めた肩では、長時間戦う事は不可能だと教えている以上、無理は効かない。
少ない攻撃で一気に片を付ける為には、蔦の本体を出来るだけ引き寄せる必要があると、仕掛けたい気持を強引に抑えて、彗は触手の動向を正確に見据えた。 だが――
後少しで攻撃範囲に入る絶妙の位置で、それまで横一文字に押し寄せた蔦の枝葉は、突然左右に別れ、素早く円形状に廻り込みながら緑の壁を築き上げると、彗の周囲をぐるりと取り囲む。
「?!」
獲物の捕獲前に退路を断つ、その計算された動きに、どうやら単純なだけではないようだと、口元に刻む、薄い笑い。
「彗!」
名を呼んだきり立ち止まった皓を視界に映して、波打つ触手の隙間から、彗は普段通りの表情で先を急げと促した。
「目障りだ、馬鹿は早く行け」
冷めた口調と共に、嘲りを込めてひらひらと、まるで虫を追い払うように高く振られる彗の左手。
だが蔦の垣根越しに一瞬だけ見せた鋭い視線は、契約の紅を薄い菫に纏って、鮮やかな色合いを浮かべながら窮状を訴えていた。
「けど――」
「それとも何か? 俺が手を引かないと、お前は満足に走る事も出来ないのか?」
進むべきか戻るべきか、動きが取れず逡巡する皓に、彗はわざと嘲笑を重ねて怒りを誘う。
長く繰り返した日々の中で、どうすれば皓を苛立たせる事が可能か、身近で接して来た彗に解らない筈はない。
案の定一瞬唇を強く噛んだ皓が、吐き捨てるように叫んで、身を翻す。
「……ったよ、行きゃいいんだろうが!」
振り返らない皓の様子を見届けて、彗は改めて四方に立ち上がった蔦の壁に視線を戻すと、さも鬱陶しそうに切れ長の眼を眇めた。
「俺の力を舐めるな」
歴然とした実力の持ち主に、全力で戦いを挑むのはいつ以来か。 意味もなく昂る高揚感に支配され、不利な状況にも関わらず、どこか楽しんでいる精神を自覚する。
「――久し振りに本音で話すとしようか、斎」
囁きよりもなお、低く呟いて。 剣を握る掌に流す力の大きさに、彗は微かに全身を奮わせた。