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新たな流れ-05(172)

 遠目にも確認出来た、鮮やかに散る、赤い花。 長身の逞しい身体が緩やかに弧を描き、容赦なく壁に叩きつけられる。

「――彗っ!」

 彗の名を叫んだ皓がその場から一歩も踏み出さなかったのは、奇跡に近い所業だろう。

 両者の流動を冷静に読み取ると、即座に恭が力任せに手近な壁を肘で強打する。

 バシッィ! すぐ側で響いた異質な物音に驚いて、皓の注意が彗から恭へと移行した。

「なっ!?」

「いいから黙れってば!」

 壁に両手をつき、上半身を部屋から乗り出すようにして、恭が喚く。

 普段の態度からは想像すら及ばない、半ば以上怒声に近い恭の声音に気圧されたのか、皓は遅れて口を噤んだ。

「……」

「そう、黙って皓」

 音もなく互いに見つめた顔は青く、目前で受けた衝撃の大きさを如実に物語っていた。

「恭……」 

 上辺だけは冷静に、けれど視線を交えて初めて解る、凄まじい恭の怒り。 いままで見せた事のない、秘めた感情の強さが皓を圧倒する。

「いい? 蔦は大きな音に反応する。だから絶対に大きな声は出さないでよ」

 激情を無理に抑えた声は低く、有無を言わせない迫力をもって皓を簡単に支配した。

「ああ、解った」

 初めて聞いた恭の頭ごなしの喋り方に、皓は素直に頷きながら、荒れた息をゆっくりと整える。

 激しく脈打つ血流は、繰り返す息吹とともに落ち着きを見せ、皓は少しずつ失った冷静さを取り戻した。

 見渡した視界に嫌でも映る、壁に描かれた一筋の血痕。

『斎の力を相手に、彗が何の対策もしていない訳がねぇ。だが』

 恐らく強化している筈の彗の身体を、背後に回り込んだ蔦は難なく貫いた。

 彗の特殊能力を簡単に上回る斎の力に、今更ながら格の違いを見せ付けられる。

「皓、彗は?」

 身を乗り出し、精一杯覗き込んだところで、置かれた場所からは彗の様子が今ひとつ見えなくて、不安な声音を隠す事なく、恭が訊ねる。

「解らねぇ。まともに壁に当たったからな」

 四肢を絡め取られ、受身が取れなかった身体は、激しい衝撃を受けたに違いない。

 うつ伏せに倒れた状態で、ピクリとも動かない彗の肩に、じわりと広がる不吉な赤い色。

 やはり意識を手放したかと考えた矢先、均整の取れた腕が僅かに動いて、掌が安全を確かめるように地面に押し当てられた。

「彗!」

 皓の呼びかけが聞こえているのだろう。 痛みにしかめた顔を上げて、彗が小さく頷く。

 背中から相当な勢いで壁に激突したにも関わらず、彗は身動ぎを何度か繰り返すと、半身を壁に預けながら自力で立ち上がった。

 出血した肩を押さえ、空に向って何事かを勢いよく(ののし)る彗の様子に、無事で良かったと思わず互いに洩れた言葉が重なる。

 だが仕掛けられた罠の終点から、改めて後方の位置に立った彗の様子に、斎の術が及ぶおよその範囲を汲み取って、皓は大きく息を吐いた。

「しかし斎も何でこんな厄介な代物を仕掛けやがったんだ」

「だよね。いくらなんでも、こんな乱暴な遣り方は許されるべきじゃない」

「恭?」

 静かに零れた恭の言葉が理解出来なくて、皓は首を傾げる。 動揺とは異なる恭の様子。

 理由は解らないが、一連の行為の中で、何かが激しく恭の琴線に触れた事は間違いない。

 彗から再び向けた視線の先で、相当苛立っているのか、恭は整った細い指を口へ運んで、無意識に爪を噛んでいた。



「ねぇ皓、俺には斎の考えが理解出来ない」

 蔦の特性を知っていた彗は、恐らく皓をかばうために、より大きな声で怒鳴ったのだろう。

 だが音に反応するはずの蔦は、彗を襲ったあと、力の限り叫んだ皓や、壁を殴り付けた恭を不思議と襲う事はなかった。

 ただ単純に捨て置かれた罠だとすれば、条件に当てはまった皓や恭も、いまごろ蔦に自由を奪われていたはずなのに。

 襲う対象を選ぶ、自動では決して有り得ない動き。 恐らく斎は意識して彗を襲ったのだ。

 直感でしかなく、確たる証拠が掴めた訳ではない。けれど感じた、意図的な蔦の動き。

 仕掛けられた罠は、いまこの瞬間も、どこかで斎が直に操っていると考えて正解だろう。

「……斎が何を考えてるかはともかく、こんな陰湿な遣り口自体が俺は好きじゃねぇ」

 吐き棄てるように言葉を返した皓に、胸のうちを伝えるべきかどうか迷った挙句、結局恭は口を噤む。

 斎の眼がどこかに存在する可能性がある限り、迂闊な発言は極力控えるにこした事はない。

『けどどうしても解らない。何故斎はわざと彗を狙ったんだろう?』

 互いが互いを想い合う、年齢を超えた強い絆が二人の間に通っている事は、屋敷で生活を始めて直ぐに解った。

 恭は目指す皓との関係を斎達に見て、知れず二人を羨んだ時期すら有ったのだから。

『彗は斎にとって、特別な存在のはずなのに……』

 その最愛の友を傷つける事を、どうして斎は躊躇しなかったのか。 伏せられた狙いが見えない以上、渦巻く疑問に答えは出ない。

 手加減も何もしない斎の態度はまるで――そうまるで彗の憎しみを意図的に煽っているようにしか感じられず、恭は漂う違和感に再び爪を深く噛んだ。


「恭、あまり考えても仕方ねぇぞ。斎の事は斎にしか解らなくて当然なんだからな」

 一見無意味な事に見えたり、無謀な事に思えても、必ず事を起こした本人だけが、正当な理由を知っている。

 部外者がいくら詮索したところで、所詮全ては推測に過ぎない。

「斎の事は斎にしか解らない……か。確かにね」

「いいか恭。俺達は遙みたいに全部を見通せる訳じゃねぇ。だからどうしても理由が知りたいなら遙のところに行くついでに、斎を捉まえて納得がいくまで話を聞けばいい」

「……皓ってば、それってさっきと同じ事言ってない?」

 記憶を読み取る事も、他人の考えを分析する事も、皓にかかれば同じ部類なのだと知って、恭は微かな笑みを浮かべた。

「何だ? 俺の言い分は間違ってるか?」

「ううん」

「負傷した彗には負担をかけれねぇ。取り敢えずここから動く方法を、自力で考えようぜ」

 呟いた皓の言葉に、蔦の群生をしばらく無言で見つめた恭が、ぼそりと呟く。

「……だね。そうだ皓、ちよっと待っててくれる?」

 動けない皓をその場に置いて、恭は室内に取って返すと、ほどなくして自らの武器を片手に戻ってきた。

「なにする気だ?」

「じっとしてて……周辺の蔦を射ぬいてみる」

 彗に鍛えられたとはいえ、この力が果たして斎の蔦にどこまで通用するか。

 右手に愛用の黒い手袋を填めながら、恭の視線は狙い易い箇所を探して、床から壁へと気忙しく移動した。

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