新たな流れ-04(171)
「……皓には本当に何も?」
「あぁ、いったい何が?」
地面を隙間なく埋め尽くす、夥しい数の細い蔦。
待ち受ける罠の中に一たび獲物が入り込めば、硬く鋭利な先端は鞭のようにしなり、捕獲に向けて一斉に立ち上がる。
生き物のように蠢く『それ』を、なんと表現すれば良いのかが掴めなくて、恭は言葉に詰まる。
「えっと……地面に無数の細い蔦と、見た事の無い草木が一杯生えているんだけど、それがどうやら皓に攻撃したみたい」
「なっ? 蔦って……斎のか!」
「うん。多分形状からして、そうだと思う」
皓も恭も斎の『力』を知識として学んではいたが、実際に対峙するのは、これが初めてだ。
「何でそんなもんが廊下に有る?!」
「……絶対にそこから動かないで聞いてね、皓」
斎の術は、ほんの微かな身動ぎさえ見逃さないと聞いた。 無数の鋭い蔦で貫かれれば、無事では済まないだろう。
「動きたくとも、これじゃ動きようがねぇ」
それでも皓が怒りの余り無闇に動く事を心配して、もう一度念を押した後に、恭はゆっくりと真実を告げる。
「もしかして俺達をここから外に出さない為に、仕掛けたんじゃないかな」
「なっ! たかが待機処分で、そこまでする必要があるのか!?」
「うーん斎にしか解らない事だけど……きっと部屋から出したくない、何か特別の理由が有るんだと思う」
標的を外す事のない絶対の『力』 だが迂闊に踏み込んだにも関わらず、蔦は皓を脅しただけで、傷つける事はなかった。
敵意を読み取る事が出来ないのは、蔦が機械的に動く仕掛けだからか? ――それとも影で斎自身が操っているからなのか。
初めての経験に判断が下せず、どちらが正解なのか恭には正しい答えが見えてこない。
「恭?」
突然黙り込んだ為か、戸惑うようにかけられた皓の声に、止まった思考を働かせると、恭は取り敢えず分析できた事だけを先に口にのせた。
「だって、ただ単純に仕掛けられた罠なら、間違いなく皓は拘束されていたと思うんだ。それに行動の遣り口が、斎らしくないしねー」
冷静な斎が、何の理由もなくこんな危険な罠を用意する筈はない。 絶対に何か隠された真意があるに違いないから、と恭は言葉を重ねた。
「……ならどうすりゃいい? とにかくここから前に進まない事には、どうにもならねぇ」
「だよね……」
ざっと見回したところ、白い蔦に占拠されていない箇所は両側の壁と天井だけだが、肝心の蔦の高さが何処まで伸びるかが定かではない以上、迂闊に動かない方が良いだろう。
「そうだ皓! 見えなくても、気配を察知する事は可能かな?」
止まれと発した警告と、皓が動きを止めたのが、ほとんど同時だった様な印象を受けた為、恭は真偽を確かめる。
「いや俺が気配を感じる事が出来るのは、どうやら攻撃を受ける一瞬の間だけに限られるらしい」
何かが眼の端を掠めたのは確かだが、正体すら掴めなかった。 感じたのはただ、間近をすり抜ける空気の流れと、複数の蠢く『何か』
反射的な動きで攻撃を試みたが、皓が『何か』に意識を向けた瞬間、一握りの手掛かりすら残さず、それはかき消すように霧散した。
どれだけ眼を凝らしても、何の気配も感じ取れない白い床から、苛立たしげに顔を上げて、皓は周囲に視線を彷徨わせる。
「くそっ! 何か方法はねぇのかよ?」
激しく焦る気持ちとは対照的に、長く真っ直ぐに続く無機質な廊下の先。
罵りながら見渡した皓の視界に映る、見慣れた特異な剣を持つ男の姿。 得物を構えて立つ彼の存在が、これほど逞しく思えた事はなくて、皓はほとんど叫ぶような勢いで名を呼んだ。
「――彗!」
何事かを思案していた恭が、皓の言葉に驚いたように首を巡らせて、曲がり角に佇む彗の姿を確認する。
固い表情でこちらを見た彗が何事かを呟いたように見えるが、距離が有り過ぎて、何を言っているかまでは聞こえない。
「何だ? 聞こえねぇぞ彗!」
「皓待って、様子がおかしい」
これだけ距離があるのだ。 彗のように特別な聴覚がない限り、声を張り上げないと会話が通じない事が、まさか理解出来ないとは思えない。
斎の力の特性を誰よりも知り尽くしているのは、相方である彗に他ならないのでは?
では何故その彗が、大きな声ならいくらでも出せるはずなのに、小声で喋ろうとしている?
それは即ち――
導き出した結論を恭が口にするより早く、皓がより一層大きな声で彗に呼びかけた。
「もっと大きな声で言ってくれねぇと――」
「皓、駄目だ!」
焦れているのだろう。 恭の制止も聞かず喚く皓に、黙れと鋭く怒鳴り返す彗の声が重なった瞬間、四方の地面が津波のように盛り上がり、膨れながら一斉に彗へと押し寄せる。
「ちっ!」
「! 逃げて彗!」
だが蔦の動きをあらかじめ予測していたのだろう。 短い舌打ちと共に、彗が手にした剣を素早く縦ではなく真横に構えなおす。
恭が上げた悲鳴のような叫びに、彗は不敵な笑みで応えると、間近に迫った蔦の壁を真一文字に長剣で薙ぎ払った。
「これならどうだ斎!」
烈風に切断された蔦が修復するよりも尚早く、同じ個所を間髪入れず放った『力』で二重に切り裂いていく。
異なる力と力が正面からぶつかりあう状況で、意表を衝いた彗の力が、ほんの僅かながらに斎の力を上回る。
再生するよりも早い速度で壁に込められた『力』は、彗の力の特性でもある灼熱を伴って、立ち塞がる蔦を端から蒸発させ、消し去った。
「……」
巨大な壁を目前で消し去って、息をつこうとした刹那、トンッと前に押されたような軽い衝撃を右肩に感じて、彗は後ろを振り返る。
「?」
背後から肩を貫き生える蔦に意識が逸れた瞬間、息つく間もなく手足を絡め取られ、彗の身体は壁に叩きつけられた。