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明ける空-09(160)

「遙、あの灯りがそうだ」

 明け暮れの中、地上で儚く揺れる無数の灯火を指して、斎が遙に告げる。

「……」

 流した視線で正確な村落の位置を確認すると、遙は初めて小さく息をついた。

 

 執拗なまでに張巡らされた來の結界。 阻む障害に近距離を翔ける事も許されず、來に導かれる形で、道程を辿った。

 翻弄され、通常よりも長い時間をかけて、ようやく着いた(くだん)の村。

 谷間に沈む小さな集落は、希望の夜明けに染まらず、暗い色をその身に宿していた。


「斎、待て。……様子が変だ」

「遙?」

 体重を全く感じさせない軽い動作で、遙は空から地面へ滑るように降り立つ。

 柔和な顔立ちに珍しく険しい表情を浮かべると、遙は辺り一面を(すが)めた視線で見渡した。

「斎……どう言う事だ」

「?」

「何故この村から血の臭いがする?」

 澱んだ空気の中、(まとわ)りつく程の濃密さで。 人間(ひと)の血生臭さに交じって、嗅ぎ慣れた甘い匂いが、交差する。

 いや、何よりも村中に漂う、この荒んだ気の流れはいったい――?

「……遙」

 躊躇いがちに肩に置かれた斎の手に、(いぶか)しげな視線を送ろうとして、遙の動きが止まる。

「來!」

 遠目に映る、薄闇においても、なお眼を惹く、鮮やかな銀の髪。 緩やかに羽織った長衣を風に靡かせ、艶やかに來が笑う―― 

「遙」

 呼び掛ける声は限りなく甘く、優しく。 普段通りの表情からは、一片の冷酷さすら、感じられない。

 だが漂う空気は紛れもなく、不穏な気配を含んで來を取り囲んでいた。

「遙、駄目だ」

 行くなと言う斎に、遙はその場に止まるよう指示を出すと、迷う事なく來へと足を向ける。

 手の触れる近距離で立ち止まり、遙は逸らす事なく正面から、來の視線を受けて立った。



「随分と遅かったようですが、行程は大変でしたか?」

 心底心配そうな声音に、偽りなき柔らかな笑いを刻んで、來がごく自然に問う。

全ては終わった後だと雄弁に語る態度に、「來、お前は彼らに何を――」した、と呟きかけて、遙は強く唇を噛んだ。

 これまでも何度となく向えた展開は、思いを聞く迄もなく、互いの立場を知らしめる。

「いえ何も。私はいつだって何もしてはいない。……でしょう? 遙」

「……」

 幾度となく繰り返した台詞を、まるでその身に覚え込ますかのように。 蒼白な顔色で立ちすくむ遙を見つめ、一語も違える事なく、來は同じ言葉を織り上げる。

「私達はただ人間を導くだけで、選び取るのは奴等自身に過ぎない。違いますか?」

 何度も重ね聞いた來の静かで諭すような物言いに、遙の視線が力なく宙を彷徨う。

「そう……だね。お前が何かした訳ではない」

 來も、遙も。歩むべき道を示し、導きはするが、結果を選び取るのは、所詮彼ら自身。 そんな事は、嫌と言うほど理解している。……けれど。

 未熟な彼ら。來の関与の仕方次第では、得たい結果は容易くその掌に舞いこむだろう。

「來……」

 揺れる瞳に、浮かぶ迷い。 (すが)りつく感情は、來と人間(ひと)の、どちらに対するものなのか。

『ねぇ來。――私達は一体いつから、こんなにも遠い距離を抱えるようになったのだろう?』

 不意に胸を締め付ける、痛いほどの想い。 來の行動も思考も、全て把握出来ていると、ずっと遙は信じていた。

『いや違う。私がそう信じていたかっただけなのだろう』

 互いに失った、沢山の過去と未来。 最後の仲間である來を、出来れば理解したかった。

 だがいつからかすれ違いだした感情は、もはや交わる術すら持たず、闇だけが重く狭間に横たわる。

「……來」

 ――もう一度、離れた仲間の名を呼んで。 無意識に伸ばした腕の行方を絡め取られ、遙は來を見た。

 刹那、暗褐色の瞳が宿した激情を、遙は知らない。





「遙……」

 頼りなげに揺れる碧の双眸に囚われたのは、一体いつからか。

 安定に欠く儚い遙の姿は、時に無償の庇護欲を、時に残忍な支配欲をかきたてる。

 白い肌を力尽くで捩じ伏せ、芯まで汚したい欲望と、ただただ大切に想い、全力で守りたい愛おしさ――

 見事に相反する感情は、日々暗く歪んで狭窄し、当てのない出口を求めては、荒れ狂う。

 何度諦めようとしただろう。 けれど遙の弱さは、いつも無意識に來を誘い、離さない。

『なのに貴女は――』

 砕ける程の強さで噛み締めた奥歯が、ギリリと耳障りな音を立てる。 引き寄せた遙の顔にとっさに浮かんだ表情が、堪らなく憎らしい。

『どうして私を拒む?』

 綺麗な貴女を汚さない為に、どれだけこの掌を罪に濡らしてきた事か。

 爪先まで染まった汚れはいまや、大きな穢れとなり、己の魂にまで染み付いた。

 全身に隈なく絡んだ闇は執拗で、いくらもがいても、決して断ち切れはしないだろう。

 ――それでも、それでもいつか貴女が笑いかけてくれたなら、それだけで――

「來?」

 間近で見る、遙の表情に。 互いを隔てた遠い何かに。

 漠然と形を変えつつ有る関係は、どうすれば再び修復出来る?!

「來、いい加減に手を離せ」

 答えず浮かべた苦い笑いに苛立ったのか、捉まれた腕を跳ね除けようとした遙の動きを來は利用し、逆に更に細い身体を胸元深く引き寄せた。

 抵抗する華奢な背を撓るまで強く抱き締め、苦しげに上向いた顎を、そっと捉える。

「遙」

 映る瞳に見える、驚きと怯えと、悲しみに――

 見たかったのは、貴女の笑顔だけ。 そんな顔をさせる為に、貴女と二人、この地へ堕ちた訳じゃない――

「ら……!」

「遙、避けろ!」


 背後から響く斎の怒号と共に、足元の地面が激しく揺れ、隆起する。

 次の瞬間、地表からあらゆる植物が狂ったように芽吹き、先端を鋭利な凶器と化して、一切に來に襲いかかった。

「! 斎お前っ!」

 全神経を、大地に着けた左手に。 斎は植物を巧みに操り、なお遙を離そうとしない來を追い詰める。

「來様、その手を離して下さいませんか」

 表面上の穏やかな言葉とは裏腹に、斎の纏う気は露骨な殺気さえ漂わせ、的確に狙いを定め、攻撃を繰り返す。

「……」

 この状況では、さすがに己に分が悪いと判断を下したのか。

 それとも、万が一にも斎の攻撃で、遙の身を傷つけたくはなかったのか。

「遙……贄となった赤子をどうぞお食べなさい。さもないと全ては無駄に終わってしまう」

 耳元にそう囁いて。 來は遙の身体から名残り惜しげに掌を離すと、白く明けた空に消え入るように輪郭を滲ませた。

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