表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
157/184

明ける空-06(157)

「最初にお告げが有りました。お前は神の子を身篭ったのだ、と」

 まだ何の兆しもない段階で、声は女に妊娠を告げた。 半信半疑な気持ちは、月日の経過と共に大きくなるお腹の前に打ち消えた。

 村の掟に則って、夫婦間に子供が出来ぬよう、十二分に注意は払ってきたつもりだから、お腹に宿った赤子は、なるほど神の御子に違いない。

「声は常にあたしを見守り、御子を最高の環境で産むよう、勧めました」

 ――お前は『選ばれた者』なのだから、他者より秀でた暮らしを送るのは、酷く当たり前の事――

 どんどん増える要求に、最初は軽い戸惑いを。 けれどいつしか当然の事と考え、声無き時は、自らが要求を口にした。

 ――恐れるな、お前は『選ばれた者』なのだから。 もっと待遇のよい環境をその身に望めば良い。 お前には光り輝く生活が相応しい――

『そう。あたしは選ばれた特別な女。ただの人間に対して、何の遠慮も恐れもいるもんか。あたしは皆とは違う存在なんだ』



「來さま! あたしはお告げに従っただけで、何も悪い事はしていません。なのに……」

 縄で縛られて、力尽くで外へと引きずり出された。

 村長の屋敷へと引き立てられる間、騒ぎを聞き付けたのか、一人、また一人と村民は戸口に出て来て、女の姿を憎憎しげな視線で絡め取る。

 向けられた数多の視線は何故かどれも酷く冷く、女に一層の混乱を招いた。

「彼らに言って下さい。あたしは『選ばれた者』なのだと。敬われて当然なのだと、教えて下さい」

 ――あたしは大切な御子を生んだ母親だ。 あたしにこんな扱いをした彼らを、許してはいけない。 神に罰せられるのは、あたしではなく、村長全員なんだ。そうでしょう?――





『この女……』

 暗く歪んだ考えに気付く事なく、女は現在もお告げが正しいと心から信じ込んでいる。

 交えた視線から女の浅はかな願いを読み取って。 その愚かさに、どれだけ助けられた事か。

『本当に、欲に彩られた女には、感謝してもしきれんな』

 ゆっくりと來は、女にだけ見えるように、口の端で残酷に(わら)う。

 神と称すには、余りに禍々しく凶暴な笑みは、女から瞬時に顔色を奪い、全身に堪えようのない怖気(おぞけ)を生じさせた。

「……來さま?」

 言い知れぬ恐怖に、自然と戦慄(わなな)く唇で、半ば懇願のように、女が沈黙を続ける來の名を呼ぶ。

「女よ。お前にお告げとやらを聞かせた声は、私の声だったか」

「……いいえ」

 來の問いに、女は改めて自分に語りかけてきた声を思い出す。

 來のようにこんなに甘く、痺れるような声では無かった。

 どちらかと言えば無機質に近い、感情の伴わない声に近かったような気がする。

「では私以外の誰かが、お前に語りかけたと言うのだな?」

「!」

 あくまでも優しく、けれど(ねぶ)るような來の言葉に、女が引き攣った表情を浮かべ、周囲に意味のない視線を泳がせる。

「良いか女よ。誕生前に存在を祝福された赤子など、私は現在まで一度も聞いた事はない」

「で、でも! 來さまもあたしを祝福にいらして下さったじゃないですか!?」

 悲鳴に近い声を上げ、女は立ち上がろうともがくが、周囲の男達に呆気なく抑え込まれてしまう。

 肩にかかる男達の力が更に強くなったように感じて、女は落ち着きなく瞬きを繰り返した。

「私は子が出来たという、お前の強い心の叫びを聞いて、この村に偶然立ち寄っただけだ」

「そんなっ! だって……村長さま! 村長さまも、來さまが祝福に来られたと……」

 もはや唇まで色を失くした状態で、女が救いを求めるように、村長に同意を呼びかける。

 何か女に返そうとした村長に、來はゆっくりと極上の笑みを浮かべると、横から遮るようにして問いかけた。

「では村長よ、私は一言でもお前に祝福の言葉を口にしたか?」

「あ……?」


 來の言葉に村長は、過ぎし日の遠い記憶を懸命に辿る。

 ――はて? あの日現れた男神は開口一番何と言ったのだったか。 ……そう確か、お前の村の女が神の子を宿したらしいな、と――

 噛み締めるように、過去の來の言葉を脳裏で反芻(はんすう)した村長は、やがて「あっ!」と大声を上げた。

「そうか! ワシが迂闊じゃったが、來さまは一言も御子が出来たとは断定されていない」

 來は村の女が神の子を宿した、とは一言も言わなかった。 宿したらしいな、と村長に訊ねただけだ。

 だが神の降臨に平静さを欠いた村長は、來の告げた言葉に隠された意味を、深く考えはしなかった。

「私の赤子ではないがな」と後に続けた男神の言葉を安直に受け取り、ならば腹の子は女神の御子だろうと単純に考えた。

 直前までは、女が腹の子を守りたい為の嘘だと疑っていたにも関わらず、現れた神を前に都合のよい解釈を選択したのだ。

 ――では……では全て最初から、ワシとこの女が遙さまの御子だと、勝手に思い込んだだけじゃと?! だから來さまは生まれた御子を受け取りもせず、証拠は何だと糾弾されているのか?――

「……」

 行き当たった答えは村長も女も同じだったのだろう。 蒼白な顔色をした両者の全身を、細かい震えが走る。

「お前達の言葉を信じ、遙は間も無くこの村に赤子を引き取りにやって来るぞ」

「遙さまが……」

「もしお前達の言った事が真実なら、何の問題もないだろう。だが偽りで有った場合――」

 最後まで言葉を続けずに、思わせぶりに黙った來の様子に、村長の頭の中を最悪の事態が駆け巡る。

「來さま、どうすればっっ! お願いです、哀れなワシらをどうぞお助け下され!」

 神の祟りから、遙さまの怒りから逃れる方法を。 疫病も厄災も、何一つ(こうむ)りたくはない。

 輝ける未来がないのなら、せめて現在の平穏無事な生活をワシは守りたい――


「助ける? 何故私がお前達を助ける必要が有るのだ?」

「このままでは、遙さまの怒りは必至。どうぞお情けを!」

 形振(なりふ)り構わず哀願の言葉を口にする村長に、日陰に咲く花のようにひっそりと來は嗤うと、計画通りの言葉を口にした。

「良く考えるが良い、村長よ。古より神の望むものはなんだ。神の怒りを鎮める為に、お前達は私に何を捧げて来た?」

「捧げ……もの?」

 男神の要求しているものを、今度こそ間違えてはならないと、村長は死に物狂いで頭を働かせる。

 ――神に捧げる聖なる捧げもの。

 荒ぶる神の怒りを鎮めるには、無垢なる魂が一番だと聞くが、巫女もいないこの村にはそんな者なぞ……。

 途中まで考えて、ふと感じる腕の中の重み。

 柔らかい生まれたての赤子は、無垢なる魂そのものではないのか?

 どうせ御子ではない赤子など、村の掟により処分されるだけだ。

 むざむざ死を迎えるよりは、赤子も村の役に立てる方が幸せだろう――


 血走った村長の視線が、どこに注がれているかのを察して、女が大声を上げて抗議する。

「私の子供に何をする気なんだい!」

 神の子だろうとなかろうと、生まれた赤子は女の愛しい子供に違いない。

 だが興奮した周囲の人間には、女自らが「このこは神の子ではない」と認めたようにしか聞き取れなかった。

「こいつ!」

「やはり手前の子と認めたか」

「いやっ!」

 殴られながら、複数の男達の手によって外へと無理やり引きずり出される女を、村長は止めもせず、沈痛な眼差しで見送るだけに済ませた。

 集まった村民の最後の一人が客間を辞する際に、村長は腕の中の赤子をそっとその男に託し、頷いて見せる。

「時間は一刻も争うのじゃ。遙さまが来られる前に事態を収拾せねばならん。良いか」

「はい。村長さま。全ては神の御心のままに……」

 受け取った赤子をしっかりと胸に抱いて。

 男は貢物を捧げる祭祀場へ向かうために、他の男達とは違う方向へ足を向けた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ