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明ける空-05(156)

「いい加減手を離しなよ! あんた達が気安く触れていい存在じゃないんだよ、あたしは!」

 礼儀を欠いてはならないと、屋敷への神の降臨は、瞬く間に村人全員に知らされたはず。

 にも関わらず、女の金切り声は無遠慮に大きく、客間まで届くとその到着を男に告げた。

「あの女、來さまの御前で!」

 赤子を腕に抱いたまま血相を変えて立ち上がった村長に、來は片手を上げて、その場に留まるよう指示する。

「良い。……どうやら私が黙っていた所為でお前に要らぬ心配をさせたか」

 不可解な沈黙を続けていたのは、どうやら腹を立てていた訳ではなさそうだと知って、村長は密かに安堵の息をついた。

 どんな事由であれ、神を怒らせるのはそら恐ろしく、生きた心地がしない。

『……あの赤子は何一つ遙さまに似てはいなかった。きっと彼ら夫婦の赤子に違いない。だが來さまの面前で問い詰めて、もし女が虚偽を認めてしまったら? 村は、ワシは、いったいどうなる?』

 女が嘘をついていた場合、即ち生まれた赤子が彼ら夫婦の子供であった場合、神の怒りは必至だ。 飢饉や災害、あるいは疫病か。

 どのみちこの村は、平穏無事ではあるまい。

 疑惑は不安を呼び、多大な恐れを男の中に生み出して。

 恐怖に自然と震える身体を、止める事も出来ない。

『この先村に起こる得る災厄を考えると、來さまを女に会わすべきではないのではないか?』

 怒りのまま屋敷へ女を呼び寄せた事は、早急過ぎたかも知れない。

 むしろ時間を稼ぐ方法を模索すべきだったのでは――? 

 後悔は波のように押し寄せるが、まだ回避は間に合うかも知れないと、村長は胸中で計算を続けた。 




『是が否でも離れに女を移し、來さまより先に、事の真偽を確かめるのじゃ』

 全ての嘘を見抜く、神の眼に触れる前に。

 先に女の身柄を確保しようと、村長はさも申し訳なさそうな口調で來に侘びを入れてから、大きな声を上げた。

「まったく騒々しい女じゃ。すぐに別室へ移します故、何卒ご容赦を下され」

 続間に控えている家人に、即刻女を離れに移すよう、影ながら指示を飛ばす。

 が村長の言葉が終わるより早く、來の滑るような口調が命令を下した。

「いや私も女に聞きたい事がある。その女をここに呼ぶが良い」

「しかしあんな下品な女を、來さまの眼に触れさす訳には――」

 絶望的な心情で紡ぐ言葉すら最後まで言わせず、來は薄く微笑みを浮かべると静かに呟く。

「構わん。子を産んだばかりで気がたっているのだろう」

 ――厳しい(とが)ばかり想像していた。 けれど予想に反して囁かれた、温かな男神の言葉。

 度重なる女の非礼を責めるまでもなく、全てを(ゆる)すような穏やかな來の声音に、村長は思わず礼儀を忘れて顔を上げた。

『……なんと……』

 間近に見えた神の姿は何と慈悲深いことだろう。 優しい微笑みは愛情に満ちて美しい。

 性別を超えた息苦しいほどの美しさに魅せられて、不躾な視線を外す事も出来ない。

 眼を大きく見開いて凝視を続ける村長の態度に、來は(いさ)めるどころか、更に色濃く微笑んでみせた。

『このお方なら女の過ちを赦して下さるかも知れん。遙さまはそのお優しい外見に反して、意外と厳しいお方だと聞く。だが來さまならば、ワシらの事をきっと遙さまにとりなして下さるじゃろう――』

 水面下で激しく揺れ続けた村長の心は、來の微笑みの前に決まった。

「解りました。……では女をここへ」





「何だってんだよ!」

 後ろ手に廻された両手は、いつの間にか縄で縛られた。

 両脇を屈強な男達に支えられ、引きずるようにして、女は客間へと通される。

「痛いっ」

 部屋に足を一歩踏み入れるなり、力づくで硬い床へと直に座らされ、頭を上から押え付けられた。

 余りの乱暴さに額が床にぶつかり鈍い音を立てたが、一向に男達は力を緩める気配がない。

『いったいどうしたっていうのさ――』

 大切に敬われる立場から一転した扱いに、女は胸中の不安を隠せない。

 触れた腕から伝わる男達の気配は、露骨なまでの怒りと憎しみに彩られ、女を心底から怯えさせ始めていた。

「そのまま顔を上げるでないぞ。來さまの御前じゃ」




「……お前か? 赤子の母親は」

 深く平伏させられた耳朶に響く、気怠くて甘い低音は、見るまでもなく十二分に美しい男神の姿を、女に想像させた。

「ええ、そうです」

 ――男神の声を聞くだけで、まるで乙女のように身体が震えるのは、何故だろうか? 

 少しでも男神に与える印象を良く見せたくて、女は無理な敬語を口に乗せて(かしこ)まる。

 だが酷く浮ついた精神は、男神を一目見たいと理性を超えて盛んに訴えていた。

「か、顔を上げても宜しいでしょうか?」

「ならん!」

 堪らず出した言葉を一刀の下に村長に切り捨てられて、女は強い屈辱感に唇を噛み締める。

「……それが神の子を生んだ母親に対する言葉かい?」 

 無意識に。 気が付けば女の口を衝いて出た呪い言。

 繕った仮面は容易く剥がれ、暴かれた本性は、白日の下に曝される。

「あたしは『選ばれた女』なんだよ!」

 突然の女の豹変に対応が遅れたのだろう。 一拍置いてから村長の激しい叱責が飛んだ。

「ええい黙らんか! 神の御前で許可なく喋るんじゃない!」

 ――その神の子を、あたしは生んだのに――

 後ろ手に回された拳に、知らず強い力が入る。

 歯軋りをしても収まらない怒りは、女の中に、重く冷たい怨嗟を生んで。

 ――まるで罪人じゃないか。あたしが、こんな扱いを受けて良いはずが無い――

「何を偉そうに! あたしの方があんたより数倍偉い――」

「こいつっ!」

 村長が止めるより早く、後ろにいた男達に容赦なく背を蹴られ、女は悲鳴を上げた。

「両者とも止めんか!」

 女をかばうと言うよりは、見苦しい様を見せて、來の機嫌を損ねる事が一番危険だろう。

 村長はそう判断すると、後ろの男達にこの場での乱暴は控えるよう指示を出し、女の顔を上げさせた。



 一方眼の前で起こる(いさか)い事に、來は一切の興味をそそられないのだろう。

 醜い争い事を気にする事もなく、何一つ変わらぬ態度で、來は穏やかな声音で女に問いかける。

「……女よ。神の子だとお前は言ったが、証拠はあるのか?」

 尋問に近い言葉にも関わらず、來が紡ぐ言葉は甘く優しく、激しく揺れる女の精神を意図も容易く、手に入れた。

「……証拠?」

「そもそも最初に、お前は何がきっかけで神の子を身篭ったと思ったのだ?」

 後ろ手の拘束は続いているが、間近に見える男神の美貌に魅せられて、痛みは失せた。

 現実と虚構の境界線が急に曖昧で、自我の意識の把握は困難だが、不思議と気にもならない。

『きっかけ? 神様なのに何故わからないんだろう』

 意識の底は矛盾を示唆し、警告を与える。

 けれどただ目前に見える綺麗な紫紺の瞳に捉われたいと、女は強く願った。

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