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明ける空-04(155)

「ええい、早く御子を渡さんか!」

 この期に及んで新たな要求をする女から、ひったくるようにして赤子を取り上げる。

「村長様、あたしが御子を生んだって事を忘れないでおくれよ!」

 (しとみ)越しに上った女の大声を無視して、懐深く大事な赤子をかき抱くと、村長は來の元へと、とく急ぐ。

 白む空に見守られ、長い距離を戻る間に胸に募るのは、御子を産み落とした女への不満の数々。

 季節がら軽い飢饉(ききん)も手伝って、村民等分に配給される食糧は少なく、誰もが餓えていると言うのに。

 あの女は一人身体中に嫌らしい贅肉を(まと)い、事あるごとに何かしらの要求を突きつける。

「あの女……村で一番偉いのは自分だと思っているに違いない」

 不作にも関わらず、女は大量の食物や、新鮮な水果を貪欲なまでに求め、手に入れてきた。

 周囲の状況などお構いなく、ただただ自分の要求を満たすことに専念する醜い女。

 見兼ねて意見した村長の妻を相手に、公衆の面前で女は唾を吐き、あろうことか貴重な食べ物を投げつけた。

「あたしは神に選ばれたんだ! あんた達とは扱いが違って当然なんだよ」

 通常神の子は、産声を上げるまで、その存在を祝福される事は無い。

 人血に混じる高貴な血は多くは人間の姿を(かたど)らず、赤子はただの物体として生まれ()でるからだ。

「御子が生まれる前から祝福を受ける、あたしの特別さを良く考えるんだね」

 その場にいた、村人全てに言い聞かすように。

 殊更腹を突き出し、叫んだ女の言葉に一言も言い返すことが出来ず、力なく項垂(うなだ)れた妻の背中が忘れられない。

 なによりそんな妻を表立って庇えなかった、己の不甲斐なさも。

「あんな女が遙様の御子を身篭るとは……。まったく遙様はワシらを試されているとしか、考えられんわい」

 盛大な溜息と共に、胸中に鬱積(うっせき)した不満の全てを、女に対する(ののし)りを。 立場を忘れ、大声で男は鬱憤(うっぷん)を吐き出した。

「あんな女――」


 おぎゃー! 


 抱かれた胸を通じて、怒りが伝わったのだろうか。

 敏感な赤子は突然激しい泣き声を上げ、いきり立った男の狼狽を招き、正気へと導く。

 ――ワシはどうしてこんなに興奮しているのじゃろう? 御子さえ手に入れば女はいらないなどど、一時(いっとき)()りとはいえ、どうして考えたりしたのじゃろう?――

 一瞬で身を焦がした圧倒的な怒りの正体が見えなくて、男は赤子を抱えたまま、一人身震いを繰り返す。

『……何かがおかしくはないじゃろうか?』

 己の性格など熟知している。 温厚な性格であるワシが、人を殺めたいなど――

 再び赤子に大きく泣かれ、男は慌てて柔らかな身体を腕に抱き上げる。

 あやす為に間近に見つめた赤子の顔に、何故かふっと過ぎった一抹の違和感。

『はて? あの女は一体いつから、あんな態度を取るようになったのだろう』

 ――どうしても思い出せない。 女の身勝手さに憎しみだけが焼きついていたが、確か最初からあのような性格では、なかったような気がするのだが――





「來さま、大層なお待たせを。ただいま御子を連れて参りました」

 男は床に膝をつき、赤子を両手で頭上高く捧げ持つと、來へと(うやうや)しく差し出した。

 客間に入るまでは火のついたように泣き叫んだ赤子は、いまや不思議と声すら立てない。

「……おや? よもや黒髪とはな」

 連れ帰った赤子を男の腕から受け取る事もなく、軽く一瞥しただけで、來は不機嫌そうに美貌を歪ませた。

「來……さま?」

 憮然とした表情を宿し、それきり何も言わない來の態度に、村長である男の胸に急速に不安が広がる。

「あの……何かワシらに不手際でもございましたでしょうか?」

 何故來さまは御子を受け取らない? 村の永久(とこしえ)の繁栄と引き換えの、選ばれた赤子。

 約束される未来の為に、ワシら村民はどれだけ理不尽な我慢を強いられた事か。 なのに――



 沈黙を続ける來を前に、赤子をひとまず胸の位置まで抱き直し、男はその小さな顔をそっと覗き見る。

 村で生まれる痩せた赤子と違い、ずしりと重い身体は、女が如何(いか)に贅沢を続けたかを如実に物語っていた。

 艶を放つ漆黒の髪は軽くうねり、生まれたばかりにも関わらず、空色の瞳をしっかりと見開いて。

 整った顔立ちはまるでもう何か月か経った赤子かのように錯覚させる。

『よもや黒髪とはな』

 男神を怒らせた原因を探ろうと、來の言葉を忙しく反芻(はんすう)する男の脳裏を横切る、鮮やかな遙の黄金色の髪と碧の瞳。

「!」

 ――身篭ったあの女は黒髪ではなかったか。 父親である男も黒髪で、瞳は薄い水色ではなかったか。

「……まさか」

 來の視線を避けるように、とっさに(うつむ)いた額に冷たい汗が(にじ)む。 まさかそんな事が――

「……誰か、いや誰でも良い! あの女を連れて来い、いま直ぐここに!」

 家人に大声で命令を下す男の、震える気配を感じ取って、來は人知れず微笑んだ。





「いったいなんだって言うんだい! あたしにそんな扱いをして、あんた達どうなっても知らないよ!?」

 村長から遣いの男達が訪ねてきたと聞いて、女はてっきり褒美を貰える物だと思い、手放しで彼らを迎え入れた。

 ――なんたってあたしは神の子を産んだ、特別な存在なんだ。

 身篭ったあの日から聞こえるお告げの声は、彼女にお前は特別だと教え、それに見合った生活をするよう説いた。

 貧しい村ゆえに、最初は生れ来る赤子の物だけを、おずおずと。

 けれど常に語りかける声に導かれ、いつしか要求は加速度的に増えていく。

 最高の食べ物を、新鮮な水果を、あたしに頂戴。それから――

 ――お前に相応しい衣服を。 お前に似合う広さの住居を。 恐れるな、お前は『選ばれた者』なのだから――


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