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羨望-01(150)

「この辺りで良いだろう。生半可に近付き過ぎると遙に気付かれるからな」

 自然が成せる技か、切り立った岩場が無期則に乱立する開けた高台で、突然彗が走る速度を緩め、「ここに潜むぞ」と背後の二人に告げた。

 迂闊に手を触れれば、切れそうなほど鋭く尖った巨大な一枚岩は、確かに存在を隠すにはもってこいの場所なのだろう。

 夜明けがまだ遠い、仄白い闇の世界で、皓は岩場から微かに見える集落の灯を、見るともなく見つめた。



「畜生ここからじゃ何一つ見えやしねぇ」

 各戸に掲げられた瞬く灯りは澄んだ大気に滲み、虹色の輪を明け暮れの空に描く。

 家屋などの大小は判断出来るが、そこに住まう人々の表情までは、小さな灯りでは難しい。

 何が起きるにしろ、これでは潜んだ場所が余りに遠過ぎるように、皓には思えた。

「もっと近くに移動出来ねぇのか?」

 (はや)る精神が、焦りを生むのだろう。 落ち着きなく背後を振り仰いだ皓に、彗は大仰な仕草で頷くと、呟いた。

「……俺の身体に触れておけ。どのみちお前らの視力や聴力では、急いたところで何も得られるものはない」

 現実世界に置かれた距離を、ものともしない彗の特殊能力。

 触れた箇所から伝わる彗の力は、申し子である皓と恭の、視界だけではなく、聴覚すら補足する。

「ちっ」

 与えられる擬似的な力が面白くないのか、皓は苛立しげな表情を隠す事なく前面に覗かせてから、やや乱暴に彗の腕に触れた。



 一方苛立つ皓とは対照的に、彗の身体に素直に触れた恭が、ごく(わず)かな溜め息を落とす。

『彗はきっと特別なんだろうけど』

 全身を均等な筋肉に覆われた、無駄のない逞しい彗の身体は、細身の恭からしてみれば、純粋に憧れの域に達していて。

『やっぱ羨ましいかも……』

 皓も彗も。 戦士としては申し分ない屈強な身体つきで、そっと横に並んだ自分の全身は、彼等に比べれば、こんなにも細い。

『まぁ人それぞれだし、考えても仕方ないかなー』

 一般の守人と比べると、それでも遥かに鍛えられた腕を見ながら、恭は無理に気分を切り替えた。





「見えるか」

 訊ねた言葉に、皓と恭は深く頷く。 彗の身体を通じて、妙にざわついた村の様子が伝わってくる。

 多くの村人がまだ寝静まっていても不思議ではない時間帯だから、既に村内で何かが起きているのだろう。

「ねぇ? この能力は彗だけに許された特別な『力』なのかな?」

 手を離し小首を傾げた恭に、彗が答える。

「いや。俺ほどではないが、慣れればお前らでも、多少の距離は操れるようになるだろう」

 遙の『血』を本来から受け継ぐ卵に比べれば、申し子の『力』は制限が多い。

 中でも卵のみが持ち得る特殊能力は、生粋の『器』の深さに左右される代物だけに、力の種類も強さも、千差万別だ。

「特殊能力と一言で(くく)ったところで、実際俺達卵が持つ能力は、各人それぞれだ。例えば聴覚一つ取っても、俺は実際の音声の聞き取りには優れているが、斎のように人の心の中の叫びは聞こえない」

「心の叫びだと?!」

 猜疑(さいぎ)の声を上げた皓と、驚いた表情を浮かべた恭の顔を見て、彗が「何をいまさら」と怪訝そうに言葉を繋ぐ。

「何だ? もしかしてお前ら斎の力に気付いていなかったのか?」

「ああ」

 互いの顔を見合わせ、頷いた二人に、仕方なく彗が言葉を補足する。

「斎は人間が強く心に思い描いた感情を、ほぼ正確に読み取る事が出来る」

「げっ?!」

 皓と恭の表情が僅かに強張るのを見て、『こいつらは日頃から斎に対して、よほど良くない事を考えているのか?』と彗が密かに感じたのも無理はない。

「……そんなに敬遠しなくても大丈夫だ。斎は普段の生活でその力を使う事はない」

 いつまでも強張ったままの二人を見兼ねて、彗は苦笑を交えながら詳細を教えてやる。

 知りたくはない他人の内面。 (かたよ)りの有る能力故に、斎が無意識下で能力を駆使する相手は、恐らく遙ただ一人だけだろう。

「卵ってやっぱ俺達申し子と違って、本当に凄い存在なんだね……」

 羨望の響を隠しもせずに告げた恭に、皓がほんの一瞬だけ、鋭い眼光を光らせる。

 その様子を視界に捉えながら、彗は肯定の印とばかり、傲慢な笑みを頬に刻んでみせた。

「悔しかったら、少しでも近付けるよう精進しろ」

 項垂(うなだ)れた皓と恭に、お前らなら大丈夫だと告げようとして、不意に思い当たる、忌むべき真実。

 ()ぎる不安は、その先に続くべき温かな言葉を唐突に奪って、冷たい思考へとすり変わる。

『お前らが本当に(はぐ)れなら、いずれ間違いなく俺の力をも(しの)ぐ存在になる』

 現在(いま)はまだ、単にお前らが力の遣い方に慣れていないだけだ、と胸の内で吐き棄てた言葉を、彗は決して教えようとはしない――





「そういえば、遙達はまだ来ねぇのか?」

 これといって進展のない状況に厭きてきたのか、取り囲む生暖かい空気に身を(さら)しながら、皓が思いついたように彗に問いかける。

「ああ。遙はお前らと違って、歩く必要がないからな」

 空間を自在に捻じ曲げる事が出来る遙に、移動する際の時間など必要ないのだろう。

 遙から与えられた『力』を難なく遣いこなせれば、申し子でも空を翔ける事ぐらいは容易いそうだが、未だ皓と恭の移動手段は、徒歩に限られていた。

「遙は神様だから、俺達とはそもそも力の種類が違う、ってやつか」

「皓?!」

 ふとした場面で否応なく感じる、遙や卵との、歴然とした力の差。

 横たわる溝は深く、ともすれば些細な出来事からでさえ、皓は自己の存在意義を見失ないそうになる。


『何で俺達は――』

 同じ遙の眷属なのに、どうして卵と能力がこんなにも違うのか。 どんなに努力を積み重ねたところで、卵達の誰にも追いつきはしない。

『俺達がもっと強ければ、遙は俺達を信用してくれるのか?』

 何が起きるのか説明してくれと頼んでも、一言も状況を説明しようとはしなかった遙。

「良いかい、お前達は決して來には関ってはいけないよ」

 微笑みながら告げられた遙の見当違いの言葉に、力になりたいと言う強い思いは、(もろ)(つい)えた。

『どうしていつもそうやって肝心なときに俺達を遠ざける?』

 互いを隔てる距離は、あの日遙を腕に抱いた瞬間(とき)に、消えたものだと信じていた。

『だが結局何一つ変わっちゃいねぇ』

 遙が一人で背負う荷物は日々重さを増し、課せられた負担は身体の制限と、精神の拘束を生んでいる。

 それでも頼ろうとしない遙に、甘えようとしない遙の姿勢に――

『くそっ!』

 ――いったい何が神経をこんなにも刺激するのか? 皓自身にさえ、明確な理由は掴めない。

 募る苛立ちから少しでも解放されようと、皓は(たまご)から視線を()らした。

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