企み-01(148)
まるで何事も無かったかのように、いつも通り静寂だけが支配する夜の帳の中で、遙は軽く眼を閉じる。
『明朝、必ずおいでなさい』
告げられた來の言葉と、不可解な一連の行動。
人間に独自の意思で関与してはならないと、遙は遠い過去において、來に宣誓を求めた。
『なにか酷く嫌な予兆を感じるが……』
夜明けを待たずして、來に詳細を詰問することも可能だろう。
來の残した軌跡を順に追えば、來がどこへ移動しようとも、正確な位置は測定出来る。
消えた來を捕縛する事など、遙には至極容易な動作だ。
だが來との関係をこれ以上悪化させて、残された最後の仲間でもある彼を、失いたくはない。
『……そう。來は敵ではなく、私のたった一人の同族なのだ』
ともすれば猜疑心に苛まれる精神を、遙は胸中で小さく叱咤する。
『誓いはあの日に立てさせた。ならば來を信じるしかあるまい』
生温い風が周囲を吹き抜ける中、暗闇の先にある更に深い闇を胸中で見据えて、遙は溜息と共に閉じていた眼を見開いた。
「遙」
來が去った空間を、厳しい表情で見つめたままの遙に、斎が躊躇いがちに声をかける。
「うん? どうした?」
けれど一拍おいて振り返った遙の顔は、もう普段通りの表情を宿していて、斎は思わず苦い笑いを頬に刻んだ。
『いつもそうだ。遙は決して誰にも、内心を明かそうとはしない』
仲間に余計な心配や負担をかけない為の、遙なりの配慮には違いない。
が、誰も頼ろうとはしない遙の態度は、斎や他の仲間達に一抹の寂寥感を与えるのも、また確かな真実で。
『もう少し、遙が周囲に甘えてくれたなら――』
斎だけでなく、仲間達の共通の願いは、しかし悲しいほど遙には届かない。
現にいまも、斎の頬に浮かんだ苦笑の理由が、遙には解析不能らしく、小首を少し傾げてからゆっくりと口を開いた。
「斎?」
返事を返さない斎の態度に、何かを感じ取ったのか、遙の瞳が僅かに不安定に揺れる。
流れる遙の混乱を読み取って、斎は仕方なく言葉を返した。
「遙はいつ移動する?」
「おや? 私が現場へ出向くと、良く解ったね」
「時間の無駄遣いは互いに避けるべきだし、説得は端っから諦めている」
愛想のない言葉に添えて伝える、確かな信頼関係。
遙にとって必要な人間は、共に前へ進む仲間で有って、胸を貸す異性ではない。
痛いほどそれを理解している斎には、遙の行動を傍らから助ける以外、隣に並ぶ術はない。
「……寒くはないが、夜風は身体に良くないな。屋敷へ戻ろう遙」
「解った」
身体中を取り巻く湿気に不快感を覚えるのは、遙も同様なのだろう。 斎の言葉に素直に頷くと、華奢な身体を反転させた。
「ああそれと斎、明日は早いから時間に遅れてはいけないよ?」
「えっ?!」
屋敷へと戻る為に踵を返し、歩き出した途中で。 不意に囁かれた遙の言葉に、斎の足が止まる。
「私も無駄な時間は遣いたくない主義でね」
その場に立ち止まった斎を待つ事もなく、遙は笑いを含んだ声で告げると、扉前で待つ彗に向かって手を上げた。
「で……どうするよ?」
「うーん。どうしよう?」
就寝を装って、灯りも点けず暗闇の中、皓と恭は顔を突き合わす。
「お前達は部屋に帰れ」と、彗に半ば脅すような口ぶりで命令され、已む無く私室へ戻りはしたが。
「このまま寝ずに様子を見るのが、一番手っ取り早い方法か」
「けどそれじゃ、肝心な時に役に立たないかも知れないよー?」
至極もっともな恭の意見に、皓の口から短い嘆息が漏れる。
『明朝、遙達に同行するにはどうすれば良いか?』を議題に掲げ、二人は先程から進展の望めない会話を、延々繰り返し続けていた。
來が口にした遙の食糧とは、果たして何を示すものなのか。 何よりあの瞬間、來が斎に流した視線に、意味は有るのか。
『何で誰も答えねぇ?!』
募る疑問に、誰も明確な答えを返さない以上、全ての謎を確かめる絶好の機会を、皓達も逃す訳にはいかなくて。
「くそっ! 何か他にいい案ねぇのか、恭」
途切れがちになった提案を皓は強引に促すが、恭は言葉の代わりに肩を竦めて両手を上げただけだった。
「おいお前ら!」
「!」
何の前触れもなく、突然入口から室内へと差し込む眩い光と声に、皓と恭が眼を見開く。
「すっ……」
咄嗟に開いた恭の口を、乱入した彗が即座に逞しい腕で塞ぐと、いつも通り尊大な笑みを頬に刻んだ。