貴女を生かす為に……-03(145)
扉が開いた訳でもないのに、背後にひらり、と空から人が舞い降りる気配。
突然の侵入にも関わらず、誰何を問う必要はないのだろう。 來は動じる事も無く、実験を続ける。
「來様、例の子供の確保は失敗に終わりました」
振り返る事もない來の態度に慣れているのか、どこからか忽然と現れた人物は、その場に膝を付くと、簡潔に結果を述べた。
「……逃げられたか?」
動作する計器類から、片時も眼を離さずに、來は背後に控えた部下へと、言葉を返す。
「ええ。どうやら既に力も制御出来るようですから、捕獲は難しいかと思われます」
「そうか」
頭を垂れた配下に、片手で下がるよう命じると、來は激務に疲れた目を、軽く閉じた。
『やはり無理だったか』
歳を取らぬ子供が、生き別れた肉親を探して彷徨っている、との報告がもう何十年も前から、來の下に多数寄せられていた。
蜂蜜色に輝く柔らかな猫毛と、碧の瞳。
明らかに卵と想定される子供は、何故か庇護を求める事なく、地上を彷徨い続けている。
『もし遙の卵で有るならば、彼女に気付かれる前に早急に保護して、加工をしてしまうのだが』
外見的特長は、遙の卵を容易に連想させる子供の姿。 しかし直に確かめて見なければ、どちらの卵かは解らない。
閉じた闇に想う、遙の姿。 來が気にかけていた綺麗な黄金の髪は色褪せ、肌は病的なまでに白い。
『このままでは、完成を待たずともなく、遙の命は潰える』
大量生産は、後一歩の工程まで既に完了した。 完成までの僅かな時間、何としてでも遙を生かす必要がある。
『何でもいい。何か打てる手立てはなかったか?!』
焦る來の胸中を掠めた、小さな記憶。
『……そう言えば、確か間もなく遙の卵が手に入る予定だったな』
初期の実験で奴等に植えつけた対象物は、もうそろそろ、この世に生まれ出でる頃だ。
『遙は生きた餌は決して摂取しようとしない。だが死んだ餌なら、私が摂取を勧めたところで、何の問題もないだろう』
意外と簡単に解決方法が見つかったものだと、來は薄く微笑み、眼を見開くと、動く機械を止めた。
『奴等と触れ合うのは気が進まぬが、遙の為だ。仕方あるまい』
重い溜息と共に、緩慢な動作で白衣を脱ぎ捨て、手直に有った外套を羽織ると、來は研究室を後にした。
のらりくらりと、追求を避ける遙を捉まえるのは難しい。
「何としても遙ちゃんから聞きだそうよ!」
眼を輝かして力説した恭と誓ったものの、皓も、そして恭も、逃げる遙を中々問い詰められずにいた。
「遙の野郎、徹底してやがる」
食堂に来るなり、荒げた口調で皓が恭にそう告げる。
「うん? また遙ちゃんに逃げられでもしたの?」
のんきな口調で返す恭を、八つ当たり半分で睨みつけ、皓は勢い良く隣に腰を下ろした。
皓の苛立つ感情を表すかのように、かけた椅子の背が、ギシリと耳障りな音をたてて、撓る。
「……いや、逃げはしてねぇ。けど聞き出せなかった」
問い質しているつもりが、いつの間にか、遙の巧みな誘導によって話題を逸らされ、結局は煙に撒かれた。
「そっか。遙ちゃん、話題をすり替える事にかけては、天才だからねー」
詳しい事情を聞くまでも無く、ある程度の状況が、恭には推測できたのだろう。
皓の鋭い眼光に怯む事なく、机に頬杖をついたまま、普段と変わらぬ笑顔でそう呟いた。
「……」
「焦っても駄目だからね、皓」
視線を外し、むっつりと黙り込んだ皓に対し、見透かしたような恭の言葉が、かけられる。
「けどよ」
「こればっかりは仕方ないから、ね?」
無意味に月日だけが経過し、これといった是正案もない。
相変わらず遙の顔色は悪く、斎に簡単だと告げられた治療方法さえ、皆目見当がつかない。
「……」
再び黙り込んで、意味無く流した視線の先に、通りかがった彗の姿を偶然発見した皓は、名を叫んだ。
「彗!」
かなり遠い位置にいたにも関わらず、片眉をピクリと上げた彗が、大袈裟な溜息を零してから、顎をしゃくってみせた。
「……気軽に呼び捨てにするな。俺はこれでもお前達の師匠だ」
近寄った皓と恭に対し、しっかり釘をさしながら、彗がいつも通り横柄な態度で応じる。
「で? 休憩中の俺に馬鹿者どもが何の用だ?」
「遙の事なんだが――」
「! 黙れ皓!」
「なっ!?」
喋りかけた皓の言葉を遮り、不意に何かに弾かれたように、彗が視線を在らぬ方向へと、転じる。
此処ではない、どこか遠い一点を睨みつけるような視線の強さに、憤りかけた皓の動きが止まった。
「彗? 一体どうした?」
抑えてはいるが、僅かに立ち昇る彗の戦意を感じて、皓と恭の身体にも、自然と緊張が走る。
「……お前達は此処にいろ」
何の説明も無く、そう言い捨てて、扉の向こうへと消えた彗を、素直に見送る筈も無く。
「どうする皓?」
「――行くに決まってるだろう」
互いに深く頷いて、皓と恭は彗の後を追った。
程なくして後を追う足音に気付いたのだろう。 外へと続く扉に手をかけた彗が、振り向きざま、怒鳴りつける。
「皓、恭! お前達には食堂で待っていろと言わなかったか!」
「彗!」
「ちっ! もう間に合わない。仕方ない、俺よりも前に絶対に出るなよ!?」
怒鳴りながらも、彗が開けた扉の向こう。
隙間から最初に見えたものは、背に負っている筈の大剣を手にした斎の姿と、その横に佇む遙の姿だった。