【第三部】 貴女を生かす為に……-01(143)
ただいま第三部143話~150話を修正中に就き、大変お手数ですが、初めてご覧になる方は、このまま最下部(185話)までジャンプして、150話までご覧下さい。
「なるべく早く完成すると良いな」
遙のこの言葉を耳にして以来、不眠不休に近い状態で、來はひたすら実験に明け暮れる。
何に対しても、稀薄な感情しか持ち得なかった遙。 恐らく彼女は現在まで『生きる』という事にさえ、執着した事はなかった筈だ。
だが、先日返された遙の言葉は、來の耳には『生きたい』と言う意味に聞こえた。
一体どういう心境の変化が齎した産物なのかは不明だが、來としては歓迎すべき事態である事は確かだろう。
不時着当時、食糧のないこの惑星で、生きる意欲のない遙を一人にすれば、真っ先に息絶えてしまう事は明らかだった。
遙の生存率を高める為に、來がこの地に降りて最初に行った、事故に見せかけた同族殺し。
遙を護りたい、ただそれだけの一心で、何の躊躇をする事も無く、次々と同胞に手をかけた。
『それもこれも全て、貴女を生かす為の処置だ』
「教えてくれ、來! 何故私達だけが生き残る?」
相次ぐ仲間の死に、激しく慟哭する遙を尻目に、來は迫られた新たな食糧開発を、日々繰り返し続けた。
数え切れない程の試行錯誤を繰り返し、少しずつでは有るが、食糧開発は成果を生み出し始めた矢先。
「無理だ、來。私にとって彼等を摂取すると言う事は、とても難しい事なのだよ」
苦しそうな表情でそう告げた遙が、餌の摂取を拒み出したのは、いつ頃からだっただろう。
『私達がこの世界に生きると言う事は、そんなに罪な事なのか』
決して無闇やたらに乱獲している訳ではなく。 最低限の餌の摂取さえ拒めば、当然ながら我らの命とて、いずれは潰える。
自らが決めた理に縛られて、緩やかに、だが確実に、摩滅していく遙の精神と身体。
「愚かな人間共に、これ以上肩入れするのは、お止しなさい」
幾度となく繰り返す忠告は、虚しく空に消え、返された遙の笑顔は、來の干渉をやんわりと拒絶する。
「ねぇ來。私は私の考えを、お前にまで押し付ける気は無いのだよ」
過酷なこの状況を、積極的に受け入れる訳でもなく、強硬に拒絶する訳でもない、不可思議な遙の行動。
いつからか二人の間に設けられた曖昧な距離は、全ての決断を鈍らせる枷となり、身動きが取れない。
少しずつ崩れていく関係は、やがて緩慢な痛みを生み、張り巡らされた糸の上、気付けば歩みよる術すら見出せない。
『――貴女と言う生きる糧を失いたくはない。けれど貴女を生かせば、貴女を失う――』
出口を失い、果て無い思考の堂々巡りの中、胸を占める確かな想いは、ただ遙を失いたくない、それだけ――
「……遙。私は貴女を死なせはしない」
楽園で暮らす夢は、最早跡形もなく潰えた。決して後悔はしない、己だけの絶対の秘め事。
「私は貴女を生かす為なら、何も迷わない」
例えこの手がどんな罪に塗れても、貴女だけは綺麗なままで、いさせてあげるから。
研究室から、地下へと続く秘密の階段を、材料を求めて、黙々と來は下り続ける。
やがて行き着く厚い防音扉の向こう側。
「いやっ! お願い助けて!」
地下には大量の人間ども。 生きた実験材料は欠かす事が出来ない。
こうして無作為に選んだ材料を、意図も簡単に牢屋から引きずり出して、來は毎日研究室へと運んで行く。
『このまま何も知ろうとせず、隣でただ微笑んでいてくれさえすれば、どんな穢れでも、全て私がこの手に引き受ける』
「いやぁぁぁー!」
材料が上げた悲鳴に、思わず閉じた瞼。 いくら慣れた行為でも、常に鈍い痛みは付き纏う。
瞼の暗い闇に浮かぶ、遙の笑顔。 時に酷く憎くて、けれど結局、愛しくて堪らない、遙の存在。
『だから――だからどうか、いつまでも貴女には微笑んでいて欲しい――』
「お帰り、皓、恭。討伐は上手く出来たかい?」
斎や彗の助太刀なしでの、討伐作業。
屋敷前で座ったまま出迎えた遙を見て、皓と恭は互いの顔を見合わせた。
「ああ、上出来だ」
「ただいま、遙ちゃん」
無愛想な皓に変わって、横から恭が遙に笑顔で帰館の挨拶をする。
そんな恭の様子を横目で窺いながら、皓は慣れ始めた生活を改めて感じていた。
この屋敷に滞在して、約二年の月日が流れた。
が斎の講義や、彗からの模擬戦は相変わらず続けられ、日常に大した変化は見られない。
遙から定期的に貰う『力』の液体も、周期が延びた程度で、摂取行為自体は未だに欠かす事なく続けられている。
大きな変化と言えば、恭は『無』から『有』を生み出す方法を習得し、皓は『力』の行方を制御出来るようになった点だろうか。
「毎回毎回、迎えに出なくてもいいだろうに」
「うん?」
恭と二人で出掛ける討伐も、これが初めてではないのだ。
だが遙はいつも心配そうに皓と恭の帰りを待ち、こうして扉の前に座り込んでいる。
「お前達に与えた『血』は、まだ安定していないからね。私はとても心配なのだよ」
笑う遙はそう言って、扉前から緩慢な動作で立ち上がる。
刹那、細い身体が揺れて傾ぐのを、それぞれ別の方向から同時に差し出された二本の手が受け止めた。
「彗」
いつの間に現れたのか、別に差し出された逞しい腕の主を確認して、皓が彗の名を呼ぶ。
「皓、手をどけろ。遙を運ぶ」
「何っ!? どけるならお前が――」
反射的に言い返したものの、遙の顔色の悪さを知って、皓は素直に手を離すと、後ろへ下がって彗に場所を譲り渡す。
「私は大丈夫だから――」
小さく呟いた遙を、鋭い眼光で黙らせた彗は、軽々と遙を両手に抱え上げ、屋敷へと踵を返した。
「……遙ちゃん、最近結構頻繁に倒れてるよね?」
「ああ、確かにな」
屋敷内の通路を、遙を抱えた彗の後を追うような形で、恭と二人、中に入る。
以前から体調が思わしくない遙の容態は、ここ最近悪化の一途を辿っているように、二人には思えた。
「遙ちゃん、どこ悪いんだろう?」
「いや解らねぇ」
斎や彗に訊ねても、返らぬ答えは同じで、未だに皓と恭には明確な理由が解らない。
「彗も斎も絶対何か隠してるよね、俺達に」
「だな。案外卵と申し子の違いで、話せぬ機密事項でもあるのかも知れねぇし」
「――俺はお前達に教える気はないからな。それといつまで後を着いて来る気か知らないが、戻り次第講義を開始すると斎は事前に言っていなかったか?」
随分前を歩いているにも関わらず、返された彗の言葉に、皓が大袈裟な溜息を零して、肯定する。
「ちっ。彗の野郎。相っ変わらずよく聞こえる耳だな」
「だねー」
「無駄口叩かず、さっさと斎の所へ行け! この馬鹿どもが」
「……」
言い捨ててそのまま遙の私室へと向かう彗の背を、諸々の感情を込めて見送りつつ、皓と恭は斎の部屋へと足早に向かった。