遙から得たもの-05(142)【第二部完】
彗の剣に圧され、じりじりと恭の傍らまで追い詰められてしまった皓は、ついでとばかり、恭に話しかける。
「しかしいつまで続けるつもりだ、彗の奴?」
「だねー。もう限界近いかもー」
荒く弾む呼吸を最早隠すことも忘れ、思わず吐いた言葉に、恭が同感だと即答する。
「さすが、彗の野郎。息一つ上ってねぇな」
「うん。悔しいけど、彗は凄く強いね」
こなしてきた戦闘経験の数がそうさせたのか。 迫る彗の『気』を前に、満足な動きすら取れない。
「この強さで二番手とはな」
「……今更だけど斎の実力って考えたくないよねー」
複数の強者が存在する屋敷内で、遙を除いた一番強い遣い手は、斎だと皆から聞いた。
卵達の中では最年少で有りながら、郡を抜いた実力を有する彗でさえ、歯が立たぬ強さだと。
確かに昼間斎から指導される訓練は、半年以上経過した現在でも、講義交じりの内容で、実戦とは程遠い。
裏返せば、例え模擬戦とは言え、斎を相手に闘える状態にまで、自分達はまだ仕上がってはいない、と言う事なのだろう。
「まぁ、彗の師匠である斎が、更に強いのは当たり前の話か」
「ねぇ皓。俺達も強くなれるかな?」
素朴な問いかけに「当たり前だ」と答えようとして、皓と恭は同時にその場から飛び退る。
視界を掠める彗の長剣。 剣から放たれた軌跡が、遅れた皓の黒髪を何本か宙に舞わせた。
「危ねぇ!」
「訓練とは言え、戦闘中に無駄口が叩けるとは随分余裕だな、お前ら」
「余裕が有るかどうか見たら解るだろうが!」
片頬に笑みを浮かべながら楽しそうに話す彗に、皓が本気で怒鳴り返す。 体力は既に限界だ。
「降参なら『済みません参りました』って言えよ、皓?」
「――誰が!」
再び彗と真っ向から睨み合いながら、皓は奥歯を噛み締めると、萎えた気持ちを何とかして、奮い立たす。
『舐められたまま、引けるかよ』
動きすぎた筋肉に過度の負荷がかかって、全身の至る場所で小さな痙攣を引き起こしている。
何故に意地を張っているのか、皓自身にも実は良く解らない。
だがこの状態では後に引く訳にもいかないだろうと、皓は震える身体で一歩前へと踏み出した。
「行くぞ、彗!」
皓の発した言葉を合図に、彗が降ろしていた剣を掲げる事もなく、そのまま刃先を下にした状態で、正位置に構え直す。
「?」
胸元に吊るされた、まるで鎌のような剣の持ち方に、皓が不審な表情を浮かべた刹那。 それは波状のように押し寄せた。
「なっ!」
燃え上がる焔を模った、特異な形状を持つ、彗の剣。 これまでとは違って地面を薙ぎ払うような動きを、皓は確かに見た。
地面すれすれの低位置から、剣を媒介にした彗の『力』による攻撃が、一斉に皓へと押し寄せる。
「皓!」
悲鳴に近い恭の声が耳に届くが、避けようにも、広範囲に及ぶ攻撃に、成す術がない。
「くっ!」
観念して眼を閉じた瞬間、不意に強大な力が、皓に届く寸前で地上から上昇し、空中へと霧散する。
「?」
と同時に頭上に落とされた、一発の拳骨。
「つまらん意地を張って、この馬鹿が! 俺の力をまともに受ければ、怪我どころの騒ぎじゃないだろうが!」
「彗……」
開けた眼に映ったのは、想像していた結末とは違って、意外に心配そうな彗の顔だった。
「良く聞け、皓。己が敵わない相手だと判断したなら、時にはそこから逃げる事も覚えろ」
「逃げる、だと?」
「ああ。無駄な意地を張って、己の命を失くす事ほど愚かな事はない。また命と引換に貫くような意地は、絶対に持つべき物じゃない」
不満げな表情を満面に浮かべた皓に、彗は何故かにやりと笑うと、訓練は終わりだと告げた。
そして離れた場所で、まだ弓を握り締めている恭を、大袈裟な仕草で呼び寄せる。
「丁度いい機会だから、お前達に俺の昔話を聞かせてやろう」
「?」
緊張で強張った表情を浮かべたままの恭と、皓の顔を見比べながら、彗は過去に思いを馳せると、口火を切った。
「少なく見積もって、ざっと二百年ほど前の話だが、俺は初めて一人で魔物退治を任された」
「お前一体いくつ――」
馬鹿な皓の頭にもう一度、今度は音のたつ拳骨をお見舞いしてから、彗は話を前へ進める。
「訪れた現場には事前の情報と違い、桁外れの強さを持つ魔物が俺を待ち受けていた」
初めて任された仕事から、逃げ出す訳にはいかないと、多少の無理を承知で、討伐に打って出た。
「仲間に救援を乞う、と言う手も有ったが、俺はそうしなかった」
若さ故の、根拠なき過信。 あるいは仲間から早く一人前として認められたいと言う、焦りにも似た思い。
「そんな言葉に出来ない諸々の感情が俺を支配し、客観的な判断を鈍らせた」
結果、圧倒的な力を持って迫りくる魔物を前に、彗は手も足も出せず、散々なぶられた末、己の死を覚悟して、眼を閉じた。
「彗!」
――一瞬、遙の声が遠く聞こえたような気が、した。
訪れるはずの最期の衝撃は来ず、彗が再び眼を開いた時、一番最初に見えたのは、安堵の笑顔を浮かべた遙と、傍らに斃れた魔物の姿。
「良かった彗、間に合って……」
「やっぱり遙ちゃん、来てくれたんだ」と小さく呟いた恭に、彗は軽く頷く。
「ああ。白い衣に返り血一つ浴びていない遙は、本当に綺麗で、一瞬幻影ではないかと、俺は疑ったぐらいだ」
涙ぐんだ遙を、思わず抱き寄せようとした瞬間、遙は容赦のない張り手を彗に喰らわせた。
「何故逃げなかった!」
初めて遙に打たれた頬を押さえて、愕然としながらも、まだ己は強い男を演じたかったのだろう。
口から飛び出した言葉は謝罪の言葉ではなく、ただの言い訳に過ぎなかった。
「俺は目前の敵から逃げるような、そんな恥ずかしい真似はしたくない」
遙の顔を直視する事も出来ず、在らぬ方向を向いて呟いた彗を、背中からやんわりと、遙は抱き締める。
「敵に背を向けることは、決して恥ずかしい事ではないのだよ、彗。万全の体制を整えてから、改めて挑めば良いのだから」
無数に傷ついた彗の身体を、一か所ずつ掌で触れながら癒す遙は、作業の手を止める事無く、囁いた。
「それにね、逃げる事と、一時の撤退は違う。相手の実力を正直に認める事が出来るのも、また己の強さの証だよ――」
例え眼の前の敵に怯んでも、再び立ち向かう勇気があるのなら、それは逃げる事とは、違うのだ。
逃げると言う事は、敵わないからと、戦いそのものを諦めて、やめてしまう事。
「もっとも、眼を閉じて戦う事を放棄したお前の行動は、一種の『逃げ』だけれどね――」
『とても心配したのだよ』と最後に付け加えられた遙の言葉は、己だけの物だから、皓達に教える必要はないだろう。
そう考えると彗は、神妙な顔つきで耳を傾ける皓と恭を相手に、過去の回想を打ち切った。
「これで解ったか、馬鹿ども。二人とも無駄な意地は張るなよ」
「けっ! 意地を張って死にかけた奴に言われたくはない」
「何をっ!」
小競り合いを始めた彗と皓のじゃれ合いを横目で眺めながら、恭はそっと笑みを零す。
自ら無茶な攻撃を放っておきながら、動かない皓の怪我を本気で心配した彗を、恭は知っている。
恐らく皓も、そんな彗の気持に気付いたはずだろう。
漆黒の訓練で見えた、互いの心を繋ぐ強い光。
出逢った頃には、細く心許なかった光が、徐々に輝きを見せながら、日々より強く、より確かな絆へと変化を遂げていく。 それが恭には、とても嬉しくて。
「うん、頑張ろうね、俺達」
「恭?」
思わず口を衝いた恭の言葉に、一瞬呆気に取られた様子の皓と彗だったが、やがてどちらともなく頷いて。
「ああ。同じ仲間同士だから、協力しないとな」
「彗……」
何気なく彗の口から零れた『仲間』という言葉。
初めて聞いた仲間という言葉が、心にこんなにも嬉しく響くなんて、正直、考えもしなかった。
溢れる優しい気持と、何故か泣きたいほどの幸福感は、きっと皓と恭の、共通の感情に違いない。
『――そうか、俺達はやっと彗に受け入れられたんだ』
どちらからともなく呟いた、二人の気持ち。
まだまだ待ち受ける問題も山積みだが、何とか一歩ずつ、こうして越えて行けるだろう。
「この先もずっと頑張ろうな」
誰に対してでもなく、自分に向けてでもなく、その場の全ての『もの』に対して発せられた、皓の言葉に全員で頷いて。
三人は新たに築いた道を歩きだした。
≪第二部完≫
皆様の応援のお陰で何とか第二部まで終了する事が出来ました。
第三部にむけて引き続き頑張りますので、応援宜しくお願いします。(出来れば感想など頂けるととても励みになります)
連載再開予定は体調により確約は出来かねますが、4/15(火)を目指して頑張って書きだめしてみますね。
ではまた皆様がお越し頂く事を願って。
高村