遙から得たもの-01(138)
「俺を相手に、毎日実戦を繰り返していれば、お前達のような粗忽者でも、ある程度武力の上達は見込めるだろうよ」
彗の「粗忽者」という言葉に、昼間の度重なる訓練で疲れた、皓と恭の肩が、がっくりと落ちる。
夜も深けてそろそろ就寝しようかと考えていた矢先、突然私室に彗が乱入してきたと思えば、この態度だ。
「彗……俺達は日中斎を相手に、散々模範試合をした後なんだが」
体力が戻ったと、斎が講義のみならず、皓と恭の相手を務めるようになってから、早半年余り。
何が気に入ったのか、彗は斎が本格的に復帰した後でも、今夜のように脈絡もなく皓と恭の私室を訪れては、
「いまから訓練を開始するぞ」と、二人に呼びかける。
「それが、何だ?」
何の問題もないだろう、とさらりと返す彗に、皓と恭の口から、ほぼ同時に溜息が漏れる。
「いや……解っててやってるなら、良いんだが」
皓のどこか疲れた返事に、彗は「ふふん」と笑うと、いつも通り両腕を組んだまま、強気の言葉を吐き出した。
「お前達の昼間の行動を、俺が知らない筈ないだろう。この馬鹿共が」
「くぅぅっー」
「落ち着け、恭!」
放たれた嘲りに、全身で身悶えする恭を宥めながら、皓はもっともな疑問を投げ掛けた。
「ところで、彗。俺はいまの時間帯は、訓練には不向きだと思うんだが?」
外はすっかり夜の帳に覆われて、細い月明かりだけが、白く辺りを照らしている状態だ。
幾ら屋敷の灯りが点いているとはいえ、この暗闇では視界の悪さは補い切れないだろう。
「夜だから、だ」
「?」
「襲ってくる魔物たちは大概にして昼間は暗闇に潜み、夜を待って行動を開始する事は知っているな?」
彗が告げた言葉の意味を読み取って、皓と恭の顔つきが瞬時に真剣な表情へと変わる。
「お前達はまだ半人前以下だから、斎は昼間の訓練しか付けれない」
「……」
「だから特別に俺が訓練をつけてやろうと、わざわざこうして出向いてやったのに」
言葉を途中で切って、二人をわざとらしく見遣る彗の態度に、皓の拳が僅かに震える。
「……」
「……」
そのまま無言で互いに見詰め合う事数秒。 いつもの如く先に折れたのは、我慢の効かない皓だった。
「いちいち勿体ぶんじゃねえよ!」
「何っ! たまには素直に『どうか教えてください、彗様』ぐらい言えないのか、お前は!」
「くっ! やるか!?」
狭い室内で大の男が二人。 互いに譲らぬ様を、醒めた眼で観察していた恭が、彗と皓の間に割って入る。
「あー。じゃあ決着は外で付けよう、ね?」
室内を滅茶苦茶に壊すと、また遙ちゃんから凄く怒られるよ? と重ねた恭の台詞に、彗と皓の行動が計ったように、揃って止まる。
『こー言うところは、即座に意気投合するんだけどなー』
若干うなだれた様子に笑いを堪えつつ、恭は二人に外へ出るように促すと、部屋を後にした。
「ところで恭、お前、俺が教えた弱点は克服出来たのか?」
不意打ちのような彗の質問に、恭が答えるより早く、皓が横から口を出す。
「仕方ねぇよ。俺だって結構時間かかったし」
恭より先に彗から弱点を指摘された皓は、重心移動における揺れを見事克服し、半年絶った現在では余程の事がない限り、
移動時に身体が左右に揺れる事はない。
「皓よ。俺は恭に質問したのだか?」
再び小競り合いが再燃しそうな二人を前に、恭はこの二人は果して、仲が良いのか悪いのかを、密かに模索する。
「で、実際はどうなんだ恭?」
「うーん。努力はしているんだけど、中々ねー」
彗の言葉を奪って真顔で尋ねる皓に、恭は少し、言い淀む。 彗から指摘された弱点。
それは恭自身、思いもかけないものだった。
皓の弱点が顕になった翌日、早急に是正するようにと皓に命じた彗は「今度は恭の弱点だが」と、告げたのだ。
「恭、だいだい何故お前はいつまでもそんな矢を使っている?」
「えっ?」
そんな矢、と言われても、この矢は屋敷の武器庫から定期的に補充される代物で有って、恭が用意した訳ではないのだが。
「違う材質の方が良いのかな?」
それでも賢明な恭は敢えて彗には逆らわず、思いついた言葉を何気なく口にしてみる。
「馬鹿か、お前は」
「……」
他人から面と向かって、これだけ「馬鹿」と言われる機会はそうそうにないのではないか、と恭は束の間、
心寂しい寂寥感に囚われる。
「いいか、良く聞けよ」
思わず俯いた恭の顔を、彗は強引に顎を掴んで上向かせると、しっかりと顔を覗き込んで、区切るように問いかけた。
「お前は矢を全て放った後に、敵に襲われた場合、一体どうやってそいつと戦うつもりだ?」
「!」
考えても見なかった事を訊ねられ、恭の思考能力が一瞬、停止する。
「有り得ない話じゃない」
「……」
「お前は皓と違って剣が扱える訳ではない。まぁ特別に俺が教えてもやってもいいが、その体重では使いこなせはしない」
彗は言うまでもなく、やや細身の斎も。 そして少年で有る皓ですら、体重と筋肉量はそこそこに保有している。
「第一お前は、矢を放つまでの時間がかかり過ぎている」
「それは!」
彗と皓が戦っている場面に、遠方から矢を打ち込むのだ。
巡るましい双方の動きに惑わされ、中々目標を捉える事が出来ないのは、恭の技量の問題ではないだろう。
「……皓に、仲間に当たるのが怖い、か」
彗の言葉に、恭は黙って小さく頷いた後、自分の掌に握られた弓矢へと、視線を落とす。
万が一自分が放った矢が、彗ではなく皓に当たったら?
何かのきっかけで胸の内に芽生えた恐怖心は、中々簡単には消えてくれない。
「彗……俺はどうすれば良いのかな?!」
遙からの血を受け入れて、契約は遠いあの日に、交わされた。
今更弓遣いは使い物にならないと宣言されたところで、恭自身どうしようもないのが、現状で。
くしゃりと歪んだ、泣きそうな表情を浮かべた恭に、彗は顎を掴んでいた手を離した。
「どうすればいいか教えて下さい、だろうが」
と、言葉上は荒く呟きながらも、彗は皓と恭に向き合うと、真剣な顔で説明を始めた。
「そもそもお前達は何の為に、遙との契約を結んだ?」
「強くなるために決まってるだろ」
即答した皓に、恭も大きく頷く。
「遙は契約時にお前達に何と言った?」
――私に極めて近しい身体へ、つまり人間に在らざる者へと、その身を変えるのだよ――
彗の問いに、それぞれが胸の内で反芻する、あの日どこか哀しげに告げられた、遙の言葉。
「その言葉の真の意味を、考えた事はないのか?」
遙に極めて近しい身体。 人間に在らざる者とは、何を指しているのかを、お前達はその身で直に知るべきだろう。
「?」
遙との契約を結んだからこそ、得る事の出来た、特異な『力』。
それを最大限に生かし、活用する具体的な方法を、この日彗は、初めて皓と恭に教えようと動き出した。