責任の取り方-01(134)
「うーん、結局よく解らねぇ」
「皓!」
ちゃんと説明しているのに、一体全体何が解らないのかが、恭には理解出来ない。
「要するに、遙と來はそんなに仲が良くない、って事だな」
「……」
あんなに時間をかけたにも関わらず、皓が結局理解出来たのはそれだけかと思うと、恭は軽い眩暈に襲われた。
「何だ、間違ってるのか?」
「いや、間違ってはいないけど」
悪びれずに返す皓の態度に、恭は毎度の事だが、ついつい、つられて笑ってしまう。
皓といると酷く真剣な事でも、前向きに捉えられるから、不思議だ。
世間からはみ出すのが怖くて、他人の顔色ばかり窺い続けた恭は、皓の性格が、羨ましい。
「ねえ、皓」
「うん?」
長い話しに飽きたのだろう。 ゴロンと庭の芝生に寝そべった皓の隣に、恭は座る。
「俺の両親もね、最初から俺が好きな訳じゃあ、なかったんだよ」
「!?」
ずっと愛されていないと思っていた。
人間が持ち得ない強大な『力』を持つ自分を、両親は持て余しているのだろう、そう子供心に感じていた。
「……皓。俺はね、頼まれていない事でも、常に自分から進んで力を使っていたんだ」
愛されたいと、温もりを求め、伸ばした掌。 いままで何度振り払われた事だろう。
拒絶されるよりは、必要とされたい。 そう考え、自ら『力』を利用する道を選んだ。
「けどそれは、間違っていたみたいだ」
避けられていた自分が、何をきっかけに両親と打ち解けたのかは、未だに解らない。
ただ両親はある日突然、恭にこう告げたのだ。「私達は貴方を愛している」と。
特別な力が、例えその身に存在しなくても、私達は貴方をこんなにも必要としている――
「今更何言ってるんだろう、って思ったんだけど」
猜疑心に固まった恭の心に、逃げる事なく、正面から差し込まれた一筋の温かな光。
根気強く差し伸べられ続けた両の掌に、凍えた恭の精神が解けるまで、左程時間は掛からなかった。
「もう一度だけ、信じてみてもいいか、って思ったんだ」
言葉通り、何が起きても両親は二度と逃げなかった。
恭が問題を起こしても、住まいを移す事はなく、恭を受け入れて貰える様、周囲に積極的に働きかけ、理解を求めた。
「でも信じた事で、俺の手は、確かに家族と繋がったんだー」
「良かったな、恭」
惚気た幸せな家族の会話から、まるで逃げるかのように。
視線を逸らし、断ち切るように返された、冷めた皓の返事。
意識的に反対側へと返された皓の背中に、恭は本当に伝えたかった事を、語りかける。
「俺の両親は、俺の『力』ごと、俺を受け入れた」
「そうか」
「――だから皓の事も、俺と同じように両親は受け入れるから、大丈夫だよ」
これからは俺の両親が、皓の両親になるから。
「……」
一瞬、小さく揺れた皓の背中を見詰めつつ、口には出さずに、恭の胸の奥で囁かれた、とても大切な続きの言葉。
『だからもう、この世界に独りきりだと、皓は孤独を感じなくても、大丈夫なんだよ――』
「……そうか」
一拍の間を置いて、返された皓の言葉が僅かに震えた事を、吹き抜けた風の所為にして、恭は軽やかに笑う。
「早く中に入ろう皓。午後の講義も始まるだろうから」
「げーっ! まだ講義が有るのか?!」
素早く意識を切替え、何事もなかったかの様に、普段通り言葉を返す皓に、やはり皓の強さには適わないな、と恭は改めて思う。
皓の精神は、眼の前の事柄に対し、常に貪欲な程に前向きで、強靭さに溢れている。
自分を押し殺し、他人の意見を優先させる傾向が強かった恭は、皓と接した事によって、時として自我を押し通す必要性を、学んだ。
『皓はとても強い』
「男も女も、例外なく皆、遙を愛しく思う」 講義の中で、斎が告げた衝撃的な言葉。
申し子の契約を交わした俺達は、これから先悠久に近い時間を、遙の傍らで過ごす事となる。
俺達は卵ではないから、自己の感情は明確だが、一抹の不安は除けない。
『もし皓が、遙ちゃんを好きになったら?』
撓らない精神を保ち続ける、その強さに。 俺はどう有っても、皓には勝てない――
「恭?」
立ち上がりざま、不意に黙り込んだ恭の様子に、皓が不思議そうな表情を浮かべる。
「いや、やっぱり斎の話聞いてなかったなーって」
「?」
途惑う皓に再び笑いかけて。 「行こう」と恭は皓を促した。
申し子と卵は似て非なる者。 卵はより遙に近しい存在だ。
申し子が遙との契約を以って『力』を授かるのに対し、卵は生来から同じ様な『力』を併せ持つ。
そして個々の器の違いも有るが、大概において卵の『力』は申し子のそれを優に凌ぐのだ。
申し子は一定の間隔を設けて常に遙の力を補給し続けなければ、いずれその力は費える。
許容範囲を超えての力を受け取る事も出来ず、一度に授与できる量も各々限られている。
だが卵の場合、その制限が非常に緩やかなのだ。 元々有る力に更に力を補給すれば、どうなるかは想像がつくだろう。
だから申し子は卵と闘ってはならない。 どんなに優れていようと、決して卵には勝てはしない。
それだけ力の差が歴然と有ると言う事実を、頭に常に入れて置くが良い。
また卵は申し子と比べ格段に寿命が長い。 だがいずれの場合も不死ではない。
俺達は限りなく不死に近い存在ではあるが、元が人間である以上、寿命は存在する。
攻撃を受けた場合、心臓を貫かれれば勿論死ぬ。 あるいは首を切り落とされても、同様だ。
「ひーっ」
「遙に生き返らせて貰う事は出来ないのか? 斎」
怯える恭を横目に、繰り出された皓の質問は、斎の唇から、小さな溜息を生んだ。
皓と恭を相手にすると講義が中々進まないのは、きっとこの質問の多さに違いない。
「悪りぃ。解らない、か?」
斎の溜息を勘違いしたのだろうか。 皓の的外れな言葉に、斎は仕方なく口を開く。
「……いくら遙でも生命の理に触れてはいけない」
尽きかけた生命を救うことは可能だ。 だが死者を呼び戻す行為は、禁忌に触れる。
「遙の力も、意外と制約に縛られてるって事か」
「いや、そうではない」
予め制約を設けておかないと、際限なく遙は己を犠牲にして、人間を救うからだ。
遙と、來。互いの性格を知り尽くした二神の間で、事細かな決め事は作られた。
「ふうん」
一先ずは納得したらしい皓と恭を前に、斎は再び講義を再開すべく、言葉を紡いだ。
「死、という概念だが、何も身体に限った話ではない」
例外だが、稀に肉体が滅びずとも、精神が何らかの理由で先に滅びる場合がある。
「精神が?」
持ち得た個々の器以上に力を授かった時や、力を限界以上に発揮した時がそうだ。
急激に齎された負荷は己の精神を病み、その身を異形の者へと、醜く変化させる。
一旦崩壊への発動が始まると、遙の力を以ってしても、止める事は不可能に近い。
無論、他の誰にも、止める事など出来はしない。
「戦闘中でも力は常に残しておけ。……でないと狂った仲間を殺せなくなるからだ」
「!」
本能だけで動く異形の者は、死を与えられる事によって、永遠の地獄から救われる。
狂った原因が何で有れ、理性を失い、ただひたすら破壊と殺戮を求める異形は、闇に屠る以外、救いの道はない。
何より遙の手を煩わしたくないのなら。
双方共に、組んだ相手を殺せるくらいの力を、最低限は確保しておく必要がある。
「余力を残して闘う事が、結局は互いを護る近道だ。常に余力を残した闘い方を学べば、少なくとも力の暴走で狂う事だけは、防げるだろう」
斎の言葉に、白く強張る互いの顔を見合わせてから、皓はゆっくりと斎に尋ねる。
「……現在までに狂った奴はいるのか?」
皓の問に一瞬答えるかどうかを躊躇した斎は、流した視線の先で大きく頷いた恭に、了承の証を見つけ、重い口を開いた。
「己の器を過信し、力に呑まれた仲間は意外と多い」
「そいつの始末は誰がつけてきた?」
「一緒に行動している相方が、その場で始末をつける規則だ。それ以外の場合は俺か、遙が片をつける」
「……組んだ相手が……」
掠れた恭の言葉に、再び皓と恭の視線が強く絡み合う。
『ならば、俺が狂えば恭が、恭が狂えば、俺が始末をつけるという事か――!』
胸中で描いた最悪の形を、皓は一瞬で切り捨てる。
『有り得ねぇ』