遠い記憶-01(132)
「遙?」
隣で小さく身震いをした遙の様子に、來が作業の手を止める。
「どうかしました? 何処か苦しいのですか?」
「いや、大丈夫だ」
來と遙。 二重の結界で完璧に閉鎖された筈の空間において、一瞬何か強い感情の波が押し寄せた気がしたのだ。
『気の所為だろう。有り得ない』
胸中に、ちらりと浮かんだ顔を打ち消して、遙は眼の前の作業に意識を集中する。
何度も何度も、手を変え品を変え、執拗なまでに錯誤を繰り返す、船の修復作業。
手の施しようがない程、完膚なきまで破壊された、起動制御装置。 操作不能な舵に、役に立たぬ操作盤。
『電気系統は、ほぼ使えない……か』
修理を施しようにも、肝心の材料が揃わないのだ。
先ず簡易の装置を作る為の、道具を作る。 その道具を作る為の材料を作り、材料を作る為の原料を――
果てなく遡り続ける思考回路を、苛立ちと共に断ち切って。
個々の素材を一から精製していては、時間をどれだけ消費したところで、際限はないだろう。
事実どんなに手を尽くしても、元素段階で存在すらしない物も数多い。
『この惑星では、修理はやはり不可能か』
間が悪かったとしか言いようがない、思わぬ事故。
來が偶然引き起こした、重大な障害の復旧作業に、全員が気を取られていた、ほんの僅かな時間。
隙をついて何処からか発生した炎は、瞬く間に船内を舐め尽くし、圧倒的な力で蹂躙を開始した。
何箇所にも設けられた警報装置は、憎むべき炎を前に、何故か一切の沈黙を貫き、
船内の異様な熱さに皆が気付いた時には、既に手遅れだった。
事故の影響なのだろうか? 折悪く自動制御されていた船は、急に速度を上げたかと思うと、何故か大幅に軌道を外れ、未知の惑星へと矛先を変えた。
「何故こんな時に、異常が重なる?」
一度外れた軌道を再計算するには、それなりの時間が必要だ。 制御盤の破損具合によっては、人による計算もあり得るだろう。
同時に直面する二つの問題に優先されたのは、鎮火作業に他ならない。
だが燃え盛る船内の炎全てを鎮火する為には、航行を続ける事はもはや不可能な状況に有り、近付き過ぎた惑星に止む無く降りる決断を下すしか、遙に与えられた選択肢はなかった。
「……どうして」
何が原因で火災が起きたのか、一欠けらの把握すら出来ず、混乱に呑まれた遙達に、呆然と船外で立ち尽くす以外に、何が出来たのだろうか。
取り敢えずの鎮火を終え、まだ方々に残り火が燻る船内を前に、逸早く正気に返ったのは來だったように思う。
「來まだ無理だ。完全に鎮火するまでは、様子を見たほうが――」
「余熱で新たな爆発が起きたら、船はどうなるか考えるといい!」
遙や仲間達の制止を振り切り、來はそう叫ぶと船内へと身を翻し、残り火の始末を果敢にも単独で成し遂げたのだ。
『來?』
熱気と蒸気が立ち込める船内を、消火作業と点検を兼ねて見廻っているのだろうか。
漂った言い知れぬ不安感が漠然とそう思わせただけなのかも知れない。 だが來が船外に戻るまでに、随分と時間がかかったように、遙には感じられた。
『まさか。突発的に起きた事故を、作為的な事故だと感じるなど、私はどうかしている』
「遅くなりました。点検を兼ねていたので」
発せられた言葉に、來の行動に一瞬でも疑問を抱いた事が恥ずかしく、遙は僅かに眼を伏せる。 やはり精神が動転した結果、在らぬ妄想を抱いたに違いない。
『不幸な出来事が偶然重なっただけで、仲間を疑うなど、私は何と愚かな生き物だ』
「皆、動揺せずに、聞いて欲しい」
眼を伏せた遙の直ぐ傍らで、來は船内の詳細な状況を口にした。
恐らくその場の誰もが、一番聞きたくなかった言葉を。
制御室、機関室、主電源室、それら重要設備の被害状況を順に観察して廻った來は、外で待ち受けた仲間に絶望とも思える一言を容赦なく告げた。
「残念ながら、船は航行不可能な状態だ」
「そんな……」
「そんな馬鹿な! ただの火災で全ての設備が一斉に使えなくなる等、有り得ない」
第一、熱探知機や防護壁は何故一つも作動しなかった? 誰も何の警報も耳にしていない。
「さぁ……もはや仮定にしか過ぎないが、火災前に電気系統が故障していた為ではないか?」
次第に重苦しい雰囲気が立ち込める中、來の言葉に誰もが顔色を失う。
火災の原因が電気系統の漏電だとしたら、警報が鳴動しなかった理由も、考えられぬ事はない。
自然と納得しかけた來の見解に、しかしこの船の整備を一任されていた沙羅得が訝しげな声を上げた。
「いやそんな筈はない。警報装置の電力は万が一に備えて、別々の動力から供給されている」
例えどれかが故障しても、最終的には必ず何らかの警報は船内に鳴り響く仕組みだ。
「船に乗る直前に俺が調整を変えたんだ。間違いない」
遠距離故にあらゆる事態に備えようと、惑星を出航すると同時に、遙の許可を得て、警備設定に変更を施した。
「……だが実際鳴らなかっただろう?」
公然と意見を否定されたからか。 いっそ冷酷とも取れる静かな声音で來が囁く。
濡れた様に艶やかな唇から、見下すような冷たい視線と共に繰り出された、嘲りを含んだ一言。
「ならば勇気あるお前が、直接確かめてくるが良いだろう」
何故來がそんな言い方をしたのかは、誰にも解らない。
だが來の挑発に乗った沙羅得は、自らの眼で事の真偽を確かめるべく船内へと足を踏み入れ、そして二度と外へ戻る事は無かった。
――沙羅得の姿が船内へ消えて数秒後、大地を揺らす衝撃と、鼓膜を震わせる爆発音が相次いで地を駆けたからだ。
「おや? 全て消火した筈だと思っていましたが」
思わず駆け寄ろうとした遙の腕を取って、來は何の感情も見せずに淡々と呟くと、揶揄する状況下でないにも関わらず、焦る遙の瞳を見つめて、薄い笑いを浮かべた。
「離せ來!」
「無駄、ですよ」
同じ仲間、なのだ。 なのに何故來はそんなに冷静でいられる?!
來の態度に怒りを感じた瞬間。 炎の爆ぜる音に混じって、今更のように防護壁の下りる動作音が次々と耳に響く。
「どうやら防護壁は正常に働いたようですから、今度こそ炎は鎮火するでしょう」
「……」
來の言葉通り沙羅得は皮肉にも突然作動した防護壁に退路を断たれ、逃げ場を失ったのだろう。 沙羅得は鎮火後に訪れた船内の片隅で、変わり果てた姿で発見された。
「……沙羅得」
船の構造を最も良く知る沙羅得を事故で亡くした事は、皆の絶望を一層高める結果としかならなかった。
『後から考えて見れば、沙羅得が最初の犠牲者だったのだ』
慣れない場所での暮らしは肉体的な負担を生んだのか。 ある者は免疫のない病で、またある者は原因不明の事故で。
あれから次々と仲間を失っていったにも関わらず、遙は何故か生き延びて現在もここにいる。
『仲間内で恐らく唯一「生きる」という事に執着しない私が、最後まで生き延びるとは、何と言う皮肉なのだろう――』
船は修理不可能だと來は言い切ったが、遙は諦めきれず、毎日こうして少しずつ修理を施し続けてきた。
沈黙での作業は思考を在らぬ方向へと導き、遙は何度考えても答えが出ない疑問を胸の中で繰り返す。
『なぁ、沙羅得。どうして船は壊れたのだろう』
この船は遙専用の船だ。常に最高の設備を誇る施設で厳格に管理され、調整されていた。 事前に何か問題が有れば、出航前の段階で必ず発覚しただろう。
特に細部に及ぶ点検は欠かす事なく毎日行われ、整備は常に完璧な状態だった筈だ。
『なのに一体何故――?』