学ぶべき事-02(131)
「あーぁ。身体中が痛てぇ」
派手に伸びをする皓の隣で、恭がくすりと笑う。
「確かに斎の講義って長かったよねー」
彗が実戦担当で、斎が講義の講師を務める事は、良く出来た役割分担と言ったところか。 個々の性格にもよるだろうが、どちらも適任としか言いようがない。
「なぁ、斎ってあんなに笑わない奴だったか」
「講義中は普通、誰でも笑わないと思うんだけど?」
小首を傾げながら返された恭の言葉に、妙に納得する。
「そうか」
早朝に覚えた彗の不可思議な態度は、何か斎と関連した出来事が原因ではないか、と皓は漠然と思いこんでいた。 だから斎に対してどこか違和感を覚えたのかも知れない。
『何でも疑うのは良くねぇか……』
卵の祟りでは有るまいが、疑ってかかれば、何もかも怪しく見えるのは当然か。
『それに遙が見逃す筈もないだろう』
仲間内で忌避すべき事態が発生した場合、あの遙が黙って様子を見ている訳がない。
『けど遙が動いている様子は無いしな』
誰も何も行動を起こしていない事実は、結果として何も起きていないと言う証拠だ。
やはり単なる勘違いだったのだ、と早々に結論付けて、皓は思考を手早く切替えた。
「朝から動いたから、お腹空いたねー」
軽口を叩きながら、食堂へと向かう恭の後を足早に追って、皓の口から堪らず洩れる、本音の一言。
「明日から毎日これが繰り返されるかと思うと、ゾッとするな」
「講義がゾッとする、じゃなくて?」
恭が笑いを含んだ声で、皓が隠した言葉を正確に言い当てると、くるりと振り返る。
「皓、退屈だって思いっ切り顔に出てたし」
「……」
「皓はそんなに早く外に出たい?」
思わぬ質問に虚を突かれ、皓は答えに迷う。
外へ出たいのは確かだが、恐らく恭が想像している答えとは、理由が全く違うからだ。
「恭」
「うん?」
その場を上手く誤魔化して、曖昧に逃れる事も本気で実行すれば、可能だったろう。
実際、現在までずっとそうやって、他人との深い関わりを、皓は避けてきたのだから。
「俺は……」
けれど偽りの言葉は何故か浮かばず、戸惑いと共に、皓は口を閉じるしかなくて。
押し黙った様子にそれ以上会話を強制する事もなく、別の話題を持ち出す恭の態度に、皓は改めて目を瞠る。 ――いつも恭は皓にそれと解らぬように気を遣う。
『……良く考えれば、俺はそんな恭にずっと甘えて来たんだ』
誰かに自分の弱い部分なんて、一度も見せた事はなかった。 積極的な関係を築こうともしなかった。だが。
「だって俺、皓と友達になろうって、決めたんだ」
遠いあの日、胸に響いた恭の言葉。 その言葉通り、恭は現在も皓の隣に存在する。
申し子の儀式も共に受けた、かけがえの無い仲間。
『恭になら――もう自分を偽る必要はないのだろう』
「……皓、どうした? 何かあった?」
長い間無言だった為に、少し心配になったのか、恭が覗き込むように、皓の眼を捉える。
その優しく促すような眼差しに、皓はずっと燻り続けた内心を、吐露する事に決めた。
「ああ。退屈だ。俺は早く外に出たい」
――講義などいらない。早く外に出て、誰かを助けたい。そして俺自身を、救いたい――
「以前は恐れられるだけだった、この力を。疎まれ、拒絶され、居場所を失くした存在を。申し子となったいまなら、俺の存在が必要なのだと、誰かに言って貰えるはずだ」
「皓……」
「俺は、申し子としては失格かもしれんな」
――他人を救いたいのは、自分を救いたいからだ。恭のように心が優しいからじゃない。自己欲の為に他人を救う神の遣いなど、聞いた事もない――
「……そうかな。本当に失格なのかな? 俺はそれでもいいんじゃないかな、って思う」
「恭?」
「だって誰だって自分が大切だもの。申し子だからって自分を犠牲にする必要はない。それにね、救うべき者が幸せを知らないと、誰も救えないんじゃないかなって、俺は思う。だから逆に申し子として皓は、まず自分を一番に救わないと、駄目なんだ」
誰かに愛を与えれるように、誰かに幸せを与えられるように。皓はその気持ちを身をもって知る必要が有る――
「ね? 皓には充分申し子の資格が有るから、大丈夫だよ。それに現在までの辛い体験は、意味こそ違っても、それぞれの孤独を抱えた人達の気持ちを知る為に、必要不可欠な試練だったのかも知れない」
「恭……」
照れたように視線を外した皓に、恭はドサクサに紛れて伝えたい事を全て伝えてしまう。
薄々感じていた予感は正しく、この期を逃したら、きっと皓は恭の誘いを永劫にかわすに違いない。
「で、お願いなんだけど、手始めに俺の家族を幸せにしてくれる?」
「恭、その話だが――」
悪いけど最後まで言わせては、あげない。 皓の言葉に重ねて、恭は珍しく自分の言葉を強引に繋ぐ。
「一緒に俺の家へ帰ろうね」
顔を上げた皓の視線を、変わらぬ笑顔と共に揺らぐ事なく真正面から受け止めて。
『一緒に行こう』ではなく『一緒に帰ろう』と、恭は大切に育んだ想いを正直に皓へ伝えた。
そう告げた恭に、皓が何も言い返せる訳もなく、結局黙ったまま僅かに頷く事で答えに代えた。
「有難う」
言葉と同時に、恭の顔に浮かんだ満面の笑みに、何処か救われた気がするのは皓の気の所為か。
『……いや実際のところ何度も、俺は恭の存在に救われて来たのだろう』
整った外見や柔らかい言葉遣いから、周囲に優しい人間だと思われがちな恭は、実はとても芯の強い性格だ。
屋敷を目指した長い旅の途中で、不安を抱えた夜は随分と多く、撓る事が出来ない皓独りでは、いつか闇に呑まれていたかも知れない。
『なぁ皓。例えだが、お前なら親友である恭を……』夜空へと、中途半端に消えた彗の問い。
それが正解かどうかは解らないが、皓の中で答えはもう、決まっている。
戦闘能力や、体力。そんな眼に見える表面的なものでは、決してなく。
もっとずっと深い場所に有る大切な何かが、恭には絶対に敵わないと訴えているから。
「……いや、何でもない」と何か迷いを断ち切るように、告げた彗。
その顔に浮かんだ、見捨てられた、小さな子供のように歪んだ表情は、派手な水飛沫を前に一瞬で掻き消えた。
『彗。俺はどう有っても、恭には勝てない。……なぁ彗。お前はどうなんだ――?』
「あーっ! ところで遙はどこへ行った?」
早朝から立て続けに彗や斎に拘束されて、肝心の遙の顔を拝めていない状態なのだ。
「何が何でも元の姿に戻して貰うまでは、遙を許すわけにはいかねぇ」
隣に並ぶ、恭のすらりとした立ち姿に、皓の中で再び密かな対抗心が燃え上がる。
『いや姿が無理ならば、せめて背丈だけでも元に戻して貰わねば!』
「……皓。ちゃんと斎の話聞いてた?」
「?」
何が……と恭に返しかけて、講義の最後に斎が言っていた言葉を、皓は思い出した。
「ああ、そう言えば」
「そう。遙ちゃんは屋敷の外の、『始まりの地』にいる」
――始まりの地とは遙ともう一人の神、來との共同施設の名称だ。
詳細は解らないが、遙はそこで來と日々何かしらの研究を繰り返しているらしい。
「來と遙って、同じ神様同士なんだろう?」
折角の良い気分を台無しにされた揚句、矢継ぎ早の質問に恭の口から溜息が洩れる。
しかも皓の質問の内容は、先ほどの講義の後に、全て斎が説明した事ばっかりだ。
「恭?」
「……ううん。何でもない」
もう一度大きな溜息を一つ。 皓には何よりも先ず、他人の話を聞く事から始めて貰うべきだろう。
「じゃあ教えてあげるから、ちゃんと聞いてよね?」
「おう」