巫女(13)
その御神木は暗闇の中、かなりの威圧感を持って、僕等を出迎えた。
優に大人三人分位有りそうな太い幹や、堂々とした枝振りから、かなりの樹齢を経ている事が容易に想像できる。
「大きいねー」
傍らに立って身近に仰ぎ見ても、生い茂る葉と、余りの樹木の高さに、全貌が一目で確認出来ない。
「あれ?」
存在感に圧倒され言葉も無く見上げたその先に、まるで人目を憚るようにポツンと、注連縄が<飾って有る事が
見て取れた。
「何でこんな高い場所にわざわざ注連縄を?」
しかも幹にきちんと結わえてある訳でもなく、枝の間に白く見え隠れしているその様は、結わえると言うよりも
辛うじて、木に縄が引っかかっている状態に近かった。
「うーん?」
納得がいかない僕の呟きに、アビも首を傾げて大きな木を見上げる。
此処は村人にとって最も神聖な場所であり、この木は大事な役目を司る御神木の筈だ。なのに何故、
こんな中途半端な祀り方をしているのだろう?
「キュー? ウッ!」
大木をもっと良く見ようとしたのか、首を傾げすぎたアビが己の頭の重さに耐え切れずに二〜三歩よろめいたかと思うと、
奇妙な声を上げて見事に地面に引っくり返る。
その一部始終をしっかり片目で捉えていた僕は、大笑しようとして、その場に眼が釘付けになった。
「! 見てアビ!」
転げたアビの直ぐ真横、大木の幹の下。
根元から少し離れた白い暗闇の中で、微かに光っている場所がある。
体勢を立て直し逸早く駆け寄ったアビが、軽く地面を掻く仕草をして、僕を見た。
「キュッキュッ!」
「……これって」
灯りを近づけて光の漏れる地面を良く見ると、その場所に何か薄い切れ込みが確認できた。
光が形作るその切れ込みは、大人一人がやっと通れる位だろうか。
それを地下への入り口だと判断した僕とアビは暗闇の中、扉を開ける方法をそれぞれ模索する。
「多分どこかに扉を開閉出来る仕掛けが、有る筈なんだけど」
立ち込める霧の所為で視界が極端に悪い中、僕は手元の灯りで仕掛けを探して見たが、夜の暗さも手伝って、
何が何だかよく解らない。
「くっー駄目かー」
重い一枚岩で出来ているその扉は、僕が力の限り頑張っても、ビクともしなかった。
「キューッ」
光が漏れるこの先に、必ず何か有る。僕は遙の代理としてここに居る以上、簡単に諦める訳には行かない。
固い決意と共に、僕はその場に腹這いになって、白く曇る地面に耳を押し当てた。
――――冷たく分厚い扉を通して何か……ほんの微かに何かが、聞こえる。
「何だろう、何?」
ごく微かに聞こえるその音色を、僕はどこかで聞いた覚えがある。これは……。
「う……た?」
『ねぇ遙、綺麗な唄声だね』
事実に行き当たった僕は、慌ててその場から跳ね起きる。まさか、こんな場所に?
「くすくすくす……」
「キュッ!」
アビの警告の鳴き声と、無数の幼い笑い声が頭上から聞こえたのは、殆ど同時だった。
「だ……っ!」
振り返りざま、反射的に誰何しようして、その余りの光景に、言葉が続かない。
一体どこから現れたのか枝という枝に、まるで朝一に見る雀の大群の如く、少女達が大勢腰掛けていた。
「君達は巫女、だよね」
『うん』
『そうだよ』
僕の言葉に対して、複数の答えが幾つも同時に返ってくる。
その囁きは細波の音のように重なり合い、一つの言葉として僕の心に直接染み込んで来る。
大勢の巫女達は誰もが若く、そして想像以上に幼かった。
誰かと話すのは久し振りなのだろう。無邪気な笑顔を見せる彼女達は、お喋りを止めようとしない。
『神様、来てくれたんだ』
『私達、みんな頑張ったから』
「……そうだね。凄く頑張ったね」
幼さゆえに曇りの無い、澄んだ心が僕の胸を打つ。
魂を通じて垣間見る事が出来る彼女達の生き様は、僕から言葉を奪うには充分すぎた。
自分達の運命にさえ抗う術を持たず、両親や村の人達に褒めて貰いたい一身で、唄い続けた彼女達。
水以外の食糧は与えられず、たった一人で狭い祠の中へ追いやられても尚、務めが終われば親元へ帰れると、
そう信じていた。
己の命を奪うその行為の意味も、幼い彼女達には恐らく理解できなかっただろう。
来る日も来る日も、気が狂いそうな程の飢えと孤独感に苛まれながらも、必死で唄い続ける彼女達が、
その過酷な責務から解放されるのは、皮肉にも最期を迎える瞬間だけだ。
命を終えるその瞬間は、ただ少し怖くて寂しかった、と呟く儚い姿に幾ら堪えようとしても、
僕の眼から涙が込み上げて来る。
『泣かないで』
『私達は大丈夫だから』
『そうよ。誰も恨んでないから』
自分達の『願い』は生きてる間には遙に届かなかった。けれど時を経て現在、貴方達に気付いて貰えたから。
それだけで私達は……。
『彼女を……他の巫女を助けてあげて』
『私達と違い、全てを怨む事でしか自分を保てなかった』
『彼女の孤独な魂を救ってあげて』
幼き巫女達を全て失ってもなお、村は『願い』を止めなかった。
それどころか、数々の犠牲を強いた考えを一切改める事無く『奇跡』を興し続けて貰う為、
何の躊躇もなく新たなる犠牲を差し出す事を決めた。
これ迄の巫女の年齢を大きく引き上げ、未婚の女性は一部の例外を除き、全て唄い巫女の対象者としたのだ。
年齢を経ている彼女達が、幼い巫女達と違い素直に村の決定に従う筈も無く、その殆どか強制的に
巫女を担う役目を強いられたと言う。
「……僕に出来るかな」
歪められ、傷ついたその魂を救う事が、ただ涙するだけの現在の僕に、可能だろうか?
『大丈夫。貴方には力があるから』
『貴方がイエンに存在出来ると言うことがその証拠』
彼女達は僕の周囲をゆっくりと旋回しながら、一人また一人と、いつの間にか白みかけた空へ、
その姿を淡く薄れさせて行く。
「何? 待って、もう少し詳しく教えて」
慌てる僕の声にも、彼女達は無邪気に言葉を返すだけだ。
『もうすぐ夜が明ける』
『待ってるから』
『最期の場所に来て』
次々と消えていく巫女達のその姿の中に有っても、一際幼い子供が僕をゆっくり振り返る。
喉元に白い包帯を巻いたその小さな巫女の顔を見て、僕は思わず驚きの声を上げた。
自分が知っている人にとても良く似ていたからだ。
「綺菜?」
僕の呼びかけに幼い巫女は微笑むと、他の巫女とは違い声を発する事なく、頭の中に直接語りかけた。
『お姉ちゃんを連れて来て』
「君はっ……」
掻き消えた姿に思わず手を伸ばすが、そこには誰も居なくて。
「キューッ」
力なく佇む僕に、そろそろ帰ろうとばかりにアビが足元に擦り寄って来て、頻りに歩くように促した。
「そうだね。誰かに見つかると厄介だし、帰ろうか」
まだまだ解決しない問題は沢山あるし、思ったよりもこの村の問題は根が深い。
開かない祠は後回しにして、先ずは彼女達の言う最期の場所に行って、その魂を浄化してあげるべきだろう。
……出来る事なら遙に負担は掛けたくない。けれど限られた僕の力で、一体何が出来るのだろう。
霧の消えた帰り道、窓から家に戻った僕は、足元にいるアビを思わず抱き上げる。
「キュッー?」
「少しだけ、こうさせて」
驚いて嫌がるアビを、そっと抱きしめる。
何か暖かい物に触れていないと、自分を見失ってしまいそうで……堪らなく怖いから。
――――そうしてアビを抱いたまま、僕は朝までの短い眠りに落ちた。