真に大切な、もの-02(127)
「仲間、と言うよりは正確には卵以外の仲間に対してだがな」
言葉を正確に伝え直した斎の態度に、腑に落ちない恭が、尚も斎に質問を重ねる。
「どうして卵は警戒する必要がないと?」
「……俺達卵には制約があって、その範囲内でしか遙に触れる事ができない」
それが最期の願いであろうと、残酷な刻印の前に例外はない。
何事に対しても絶対的な効力を発揮する刻印は、最期の瞬間まで、無慈悲に俺達を拘束し続ける楔となる。
「最期の一夜を過ごせぬ者を、敢えて俺達が見張る必要もないだろう」
「……」
「俺達が卵である以上、遙からの絶対の信頼を得る事は可能だ。だが遙の唯一の愛情を得る事は、卵である以上不可能なのだ」
移ろい易い愛情よりも、固い絆で結ばれた信頼関係の方が、個々としての魂の結びつきは、格段に強いのだろう。
けれどそれが良い事なのか、悪いことなのか、斎達には答えが未だに解らないままだ。
「一つ疑問なんだが。そもそもその『刻印』とやらは何の為に有るんだ?」
皓の町では、遙か來の卵かを見分ける為に、卵に刻印が付けられたのだと、伝えられていた。 だが冷静に考えれば、何故どちらの卵かを区別をする必要性が、あるのだろう。
そして斎や彗を含む、遙の卵達にだけ、架せられた二重の刻印という厳しい制約。
卵全員が、必ず遙に対して恋愛感情を抱くとは限らないだろうに、何故そんな刻印が身体に刻まれている?
まるで遙を求める事が、予め予期された筋道のように。 斎達に刻まれている刻印が、皓には酷く作為的に映り、何処か神経を逆撫でる。
――何もかもが事前に計算されているように思えるのは、俺の気の所為か――?
「まさか卵は、必ず遙が好きになるのか?」
何気なく零した皓の問に、斎の表情が一瞬強張ると、その視線が有らぬ場所を見詰めた。
「答え難いなら、無理に答える必要はないぞ」
もしや触れてはならない事だったか、と皓と恭が互いの顔を見合わした頃、斎は答えた。
「……そうだ。俺達は必ず遙に恋をする」
理由は不明だが、遙の卵なら遙に、來の卵なら來に、それぞれ強烈な思慕を感じる。
「制約を受けるために俗世間に生き難い所為もあるが、ある一定の年齢になると総じて遙の下へ下りたがるのは、この本能が大きく起因していると考えられる」
そして何故か遙自身も無意識にだが、男女の性別を問わず、非常に卵に惹かれ易い。
「恐らく二つ目の刻印は、遙と過ちを起こさぬ為に、俺達の身体に刻まれたのだ」
「?」
卵の印で有る痣は身体のどこかに必ず刻まれている。
普段は人目に触れぬ場所に在るそれは、時として本人すら気付かぬ場所に、刻印されている場合もあるという。
「卵だと自覚しない者がいた場合、そいつは必ず遙と恋に落ちる」
両者が互いを認識をしないまま惹かれあった場合、禁忌が起こりうる可能性は極めて高い。
「禁忌って……」
「恭よ、よもや忘れたのか? 卵は神と人間との間に生まれた奇蹟の子だ」
「あっ!」
「だから禁忌、か」
重々しく呟いた皓の言葉に、斎は黙って深く頷く。
卵が本当に遙や、來の血を引いているのかは、誰にも解らない。 ただの伝承なのか、それとも本当に――
恐れは不安を呼び、精神の中で揺れる迷いは、一時足りとも尽きる事がない。
真実を知りたい渇望と、眼を閉じ耳を塞ぐ迷いが混在して、激しい葛藤を心中に生じさせて。
「もし伝承が真実で有れば、俺達卵にとって救いの手はこの世のどこにも存在しない」
心臓が掴まれる程苦しくて、切なくて。
何度も想いを断ち切ろうと努力して、それでも結局は諦め切れない想いを、卵達は全員この手に抱えている。
傍に居れるだけで幸せだと、切ない棘の道を選択した意味は、禁忌が真実だとしたら、一体どこにあると言うのだろう――
「斎、それは即ち――」
「ああ。万が一にもお互いの肌を合わす事がないように、と言う意味だろう」
知らずに抱き合った場合でも、所有者の刻印は発動する仕組みだ。
残酷なこの刻印は本人に卵の自覚が無い場合でも、一定の条件を充たすと必ず発動する。
「惹かれあう理由は解らない。そしてそれが本当の己の感情なのかも」
遙を前に新しく芽生えた感情が有るのか、斎には時々判断がつかなくなる。
気付けば芽生えていた、狂おしいほどの思慕。
遙に対する切ない想いは、生来から刷り込まれた記憶だけがもたらす、擬似の感情だとしたら?
――もし己が卵でなく、申し子だったならば、己はそもそも遙に対し、恋愛感情を抱かなかったのではないのではないか?――
「……斎は、遙ちゃんへの気持ちに対して自信がないの?」
「ああ」
男も女も。全員が揃って遙に惑わされる。そんな偶然は果たして有り得るのだろうか?
――いいや。答えは否だ。 誰が一体何の為に、こんな感情を俺達に植えつけたのかは、知らない。だが――
「俺達の感情は作られた物なのかも知れない」
感情を操られているとは、本当は考えたくもない。 けれど現状は耐え難い結論を導き出して、斎を酷く苦しめる。
「遙ちゃんがその件に絡んでいると、斎は思う?」
「いや。俺達の感情を操作出来るとすれば、恐らくは來……様の仕業だろう」
「來って、あの?」
「もう一人の神様だよね?」
流れる瀧のような銀髪を持つ、月光を司る男神。
遙を慈愛の神だと位置づけた場合、來は真逆の位置に立つ神だと、解釈されている。
情に流される事なく、常に冷静な判断を下す、裁きの神。
無駄のない合理的な判断は、時として多少の犠牲をも辞さない、徹底したものだと聞いた。
「來様なら、人間の感情を操作する事くらい平気で遣りかねない」
「どうしてそんな事をする必要が有る? 來は遙と同じ『神』なのだろう?」
斎達の感情を操って、來に何の得が有ると言うのだ?
「……俺には与り知らぬ事だが、來様は俺達の存在を快くは思っていない」
偽りの感情に踊らされている卵達を、何故そこまで來が気にするのか斎には解らない。
「この狂おしい想いも、どうせ本心かどうかなど、己自身にすら解らないのだから――」
「斎」
感情のまま漏らした斎の言葉に、不意に真面目な声音を帯びた恭が、呼びかける。
「理由は必要なのかな?」
恭の呟いた一言。
「理由、とは?」
「実際人を……遙ちゃんを好きになるのに、明確な理由は必要なのかな?」
強烈な思慕は、確かにこの場所へ卵達や斎を導く、きっかけの一つだったかも知れない。
けれど後に抱えた想いは真実で、記憶の刷り込みなんかには、決して左右されないはずだ。
「人は何かに強制されて、誰かを好きになる訳じゃない。まして記憶だけじゃ想いは絶対に続かない」
永久に近い時間を共に過ごして尚、遜色する事のない、遙への確かな想い。
「大切に抱えてきたその想いが真実でないなんて、例え斎でも俺は絶対に言わせない!」
臆する事無く、面と向かって言いきった恭の強さと若さが、斎には羨ましくもまた憎くも有って。
「本当は斎だって、ちゃんと理解出来ているんだよね?」
静かに重ねた恭の言葉に、素直に頷けない己は、意地を張っているだけなのだろうか。
それとも長く続いた二人だけの時間が、諦めるという術をこの身に覚え込ませたのか。 だがどちらにせよ――
「さあ……。俺には最早どうでも良い事だ」
「斎……?」