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契約とは……-01(124)

「うーん?」

 昨日初めて遙ちゃんの血を取り込んだ所為か、身体が普段より随分と軽い気がする。

 朝の優しい陽光が差し込む部屋の中、一際大きな伸びをしながら、恭は布団から抜け出した。

 何気なく床に付いた軸足が、自分の体重を支えきれずにぐらりと揺れて、恭は驚く。

「あれ? 貧血……?」

 とっさに箪笥(たんす)に掴まった自分の掌が、随分と色白なのを確認して、恭は一人そう結論づける。

『やっぱ思ったより、緊張してたのかも知れないなー』

 無意識に緊張を強いられた精神の疲れが、今朝になって表面に出たのかも知れない。

人間(ひと)から、人間に在らざる者へ。お前達はその身を、極めて私に近しい形に変えるのだよ』

 再度真剣な面持ちで、自分達にそう告げた遙。

 どんな言葉よりも、遙の一挙一動に心を奪われていた恭は、実は話の内容を余り深く聞いていなかったような気がする。


「あれ、でも何だろう。この感覚……」

 頭の隅に引っかかる、ごくごく小さな違和感。

 寝台から完全に立ち上がり、恭は違和感の正体を確かめるべく、視線を左右に流す。

『よく命に関わる体験をした人は、翌朝の風景が違って見えるとは言うけれど』

 何が違うのか、具体的な言葉には表し難い。

 だが改めて見渡した室内の風景は、どこかが微妙に、恭の記憶とは食い違っていた。

「どうしたんだろ、俺?」

 何がどう違うのか。果たしてこの違和感は、自分だけに生じている現象か、否か。

 それを確かめる為に、取り敢えず皓を起こす必要があると判断した恭は、皓の寝台へと歩みより、皓の身体へと手をかけた。


「皓、起きて」

「うーん」

 寝ぼけ眼なのだろう。起床時より高い声で唸る皓を、恭は執拗に揺すり続ける。

「皓!」

「うるせぇよ。まだ起きるには早いだろう」

 起こされてたまるかとばかりに、頭まで布団に潜り込ませた皓に、恭は強引に布団を引き剥がす手法で、

応酬することに決めた。

「皓、いい加減……」

 怒鳴りつけようとした言葉は、しかし途中で目にした皓の姿を前に、消え失せる。

「!」

 思わず喉を詰まらせた、恭の声ならぬ声に、研ぎ澄まされた皓の神経が反応したのだろう。

「どうした!」

 固く眼を閉じ、眠ったフリを装っていた皓が、すかさず上半身を起こすと、恭に視線を送り、そして――

「ぬんうぉぉー?!」

 一拍置いて皓の口から上がった雄叫びは、二人の私室を揺るがした。




「待って皓!」

 武器を片手に即座に私室から飛び出そうとした皓を、恭が羽交い絞めにして何とか抑えつける。

「くそっ! 遙の奴許せねぇ!」

「落ち着いて、皓。先ずは状況を把握してからじゃないと、どうにもならない」

 まだ朝の早い時間なのだ。 激情を剥きだしにしたまま屋敷内を疾走すれば、遙の部屋へたどり着く前に、斎と彗に叩きのめされる事が十分予測される。

「皓一緒に考えて。昨日の出来事の中で、一体何が有ったのかを」

「昨日?」

 間近に見る恭の視線が僅かに自分より高くて、皓は再び腸が煮え繰り返る程の怒りに襲われる。

「皓!」

 けれど恭の強い視線に逆らえず、皓は渋々恭と昨夜の記憶を呼び起こし、縫合作業に取り掛かる事にした。




 どうやって血を分けるのかと、期待と不安で身構えた俺達の前に、無造作に置かれた小さな瓶。

 満たされた、揺れる透明な液体を前に、遙は言った。

「これを」

「? 赤くはないが?」

「……」

 沈黙が流れる中、先に根負けしたのはいつもの通り、俺達で。

「遙ちゃんって本当に説明なし、だね」

「ああ。恐ろしいほど無ぇな」

 聞こえよがしに堂々と交わす会話を、さすがの遙も無視出来なかったのだろう。

 微妙に引きつった表情で、俺達を代わる代わる見比べた後、苦い笑いを頬に刻んだ。

「……説明したところでお前達に理解出来るのかい?」

「いや」

 己の問いに即答で否定した皓を、遙は一瞬眇めた眼で見詰め、小さく溜息をついた。


「アビ」

「キュッ!」

 遙の声と共に、可愛い鳴き声が何処からか上がる。

 小柄な体躯に、不釣り合いな長い耳。 見開いた青い瞳は零れそうなくらいに大きい。

 遙にアビと呼ばれた白い四足の動物は、卓台の足元からほんの少しだけ顔を覗かせて、用心深くこちらの様子を(うかが)う。

「大丈夫だ。出ておいで」

 警戒しているアビに、いつもより随分と柔らかい、遙の声音。

「キューゥ?」

「……か、可愛いかも」

 白く柔らかい体毛で被われた全身。 微妙に小首を傾げる姿勢を見て、恭の口から思わず上擦った言葉が洩れた。

「おいで、アビ」

「キューッ」

 アビの名を呼びながら差し出しされた恭の手に、甘えるようにアビが擦り寄っていくのを確認すると、遙は恭に用件を依頼する。

「恭、アビについている首輪を外してくれ」


 柔らかな肢体に見える、吊された、大きな飾り首輪。

 編んだ細い鎖を更に何本も重ね、一本の頑丈な紐として束ねた先に、揺れる碧の宝石はあった。

 緻密な彫り込み細工を施した菱形の土台には、薄っすらと赤い宝石が嵌め込まれ、内部に宿した淡く幻想的な光を、

内側から溢れんばかりに放っている。

「綺麗な色だね」

 首輪に飾り付けられた宝石を手に取って、間近で絶妙な色合いを堪能した恭が、そっと感嘆の言葉を漏らした。

 二人の妹に贈る、指輪や髪止めを頻繁に探している恭は、意外と宝石類に眼がない。

「皓、見て。相当高い品だよ、これ」

 不純物を多量に含む鉱石が多い市場では、透明度が極めて高い石は、高値で取引される貴重品だ。

 「どれ」

 若干興奮気味の恭の言葉に、首飾りへと手を伸ばしながら、皓は恭と市場へ出かけた日の事を思い出していた。




 ――あれは一体いつ頃の事だっただろう。

 「今回のお願いは黄色なんだー」

 土産物を一緒に探してくれと恭に懇願されて、旅先で立ち寄った一際大きな市場。

 両脇を白い建物の壁に挟まれた、道幅が相当広い、舗装された生活道路。

 延々と続く高い壁際に沿って、申し訳程度の日除けだけを施した簡易の店舗が、所狭しと展開されている。

 客を呼び込む陽気な売り子の声に交じって、市全体に漂う、香ばしい食べ物や、甘ったるい酒の匂い。

 軒先には並べ切れず、通路まではみ出した豊富な商品の数々が、行き交う旅人の足をつい、止めさせる。

 中には地面に敷いた茣蓙(ござ)に直接商品を並べ、座り込んで品を売り捌く、強者の姿もあった。

 射し込む陽光の下、明るく光る黄色の石を手に取って、空に透かしながら熱心に品定めをしていた恭が、呟く。

「やっぱ透けてるのは無理かなー」

 諦めて他の商品を手に取った恭に、皓は懐に持っていた銅貨を黙って握らせた記憶がある。

 驚いた恭に、自分には使い道がないからと、皓は告げて。

「じゃあ、俺と皓からの贈り物だって、妹に伝えるからね」

 嬉しそうに笑った恭の顔に、反論しようとして結局は何も言えずに、皓は頷いた。

 いつか俺の家族に皓を紹介させてね、と繰り返す恭の言葉に、皓は夢を見たかったのかも知れない。

 恭の家族なら、俺をも受け入れてくれるに違いないだろうと。




「申し子の儀式を終えたら、一度家に帰って報告したいんだ」

 恭の望みを、遙は至極簡単に受け入れたと言う。

「皓も一緒に来るよね?」

 恭の、問いかけと言うよりは、確認に近い言葉の響きに、即座には否と断れなくて。

 けれど一人冷静に考える時間は、浮ついた皓の気持ちを、現実に引き戻すには十分だった。

 疎まれ恐れられ続けた日々。世間に受け入れられなかった存在。

『実の親さえ受け入れられなかった俺を、他人がどうして受け入れる?』

 恭の両親が畏怖なる者である皓を、歓迎する筈がないだろう。

 抱く淡い期待は心の中にあるからこそ、有り得ない夢を描けるのだ。

『その場で適当に理由つけて逃げるか』

 初めて夢見た他人との団欒が、現実に(もろ)く崩れ去るのが怖くて、皓は恭の帰省に付き合う気など、更々なかった。

 失望する恭の様子は想像に難くはないが、一家団欒を潰すよりはまだいいだろうと考えて。

『すまんな、恭』

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