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揺れる精神の狭間で-02(121)

「!」

「斎、どうした?」

 彗の軽い掛け声が、斎に向けられる。

 大人しく寝台に横臥していた斎が、閉じていた眼を大きく見開き、突然上半身をゆっくりと起こしたからだ。

 僅かに揺れた斎の背を、咄嗟に彗は支え、肩までの髪に隠れた横顔を覗き込む。

「何か欲しい物でもあるのか?」

「……いや」

 己の喉から洩れる、力なく掠れた声が少し呪わしくて、斎は軽く唇を舐めた。


「彗、いま何か聞こえなかったか?」

「いや、俺には何も」

 怪訝そうな彗の表情に、斎は聞こえた声を告げるかどうか一瞬逡巡してから、結局何も言わずに、力なく下を向いた。

「もう三日も有れば、身体も元通りに動くようになるから、焦るな」

 寝床に押し戻そうする彗の手に、(ゆる)やかに身を任せながら、斎は薄い鳶色の眼を閉じる。

『遙』

 自覚さえなかった、体調不良。 意識を失っている間に、何度遙の夢を見た事だろう。

 手の届く位置にいる遙はいつも苦しそうで、傍らでそれを見ている斎の方が辛かった。

 誰にも甘えず、心を開かない遙の姿勢に耐え切れず、密かに盗み見た精神の奥深く。

 來の言葉に縛り付けられ血を流し続ける遙の心は、最早我々卵では救えない――



「駄目だ彗、それはお前の意志じゃない!」

 夢現(ゆめうつつ)狭間(はざま)、垣間見えた彗の行動。

「遙を救うためなら、遙の考えなど問わない。俺は俺に出来る事をするまでだ」と、普段から仲間に豪語していた彗。

 その強い意志に、弱い己はどれほど憧れただろう。

 ――いいや遙、彗だけじゃない。 本当は俺達全員が、彗と同じ行動を起こしたかったのだ。

 遙の意志や想いなど無視して、誰もが貴女に己を捧げたかった。

 だが万が一にも遙に嫌われたくないと言う強い想いが、いつも行動に制限をかけて、何かしらの自由を奪っていたから、誰も行動が起こせなかっただけなのだ。



「彗――」

 涙を浮かべた遙の口を強引に()じ開けて、己を存分に喰わせた彗。

 躊躇わずに踏み切れた彗の行動力は、他の仲間の羨望と嫉妬しか招かないだろう。

『他の仲間? ……いや、違う』

 冷静な判断が導き出した答えに、斎自身の胸が重く沈む。

 無意識の中で行った、遙への干渉。

 斎に与えられた特殊能力の一種。

 己が身体から精神だけが抜け、行きたい場所へと移動出来る斎の力は、その場で起きた出来事を事細かに視察出来る、優れた代物だ。

 ただの傍観者として『視る』事しか出来ない能力は、遙を一心に見詰める事を選び、意識のない斎の脳内にその映像を蓄え続け、目覚めた後に改めて再生を始めたのだ。

『彗は誰にも、遙に己を与えたとは口外していない』

 意識を取り戻し、最初に気付いた、滅多に傷を負わない筈の、彗の掌を覆う白い色。

 負った怪我の具合を訊ねた斎に、彗は笑っただけで何も答えなかった。




「彗、嫌だ!」

 彗が強引までに己を遙に喰わせた現場を『視た』のは後にも先にも斎だけだ。

 だから羨望も嫉妬も全て、斎の中の感情にしか過ぎない。

『俺自身が、彗が羨ましくて、憎いのだ』

 彗の取った行動は正しいと理解しながらも、彗の存在が狂おしいほど憎らしい。

 薄く開いた現実の眼に映る、彗の掌に誇らしげに捲かれた白い包帯も、敢えてその傷を治そうとしなかった遙の態度にも。

 醜く歪んだ感情が、急激に精神を(むしば)んでいくのを自覚しながらも、止められない。


『俺は……』

 どうして己の中にそんな感情が渦巻くのだろう。

 行動を起こす勇気すら無かった己を棚上げし、彗の取った選択を非難する己は、何と浅ましく、

何と卑怯な存在だと、理性は激しく斎自身を糾弾しているのに。

 感情がどうにも覚束ない。 胸を締める憎しみが多くて、痛くて、いまにも闇に呑まれそうだ。

「お前は今宵、全てを忘れるのだよ――」

 駄目だ、遙。俺に忘却は効かない。

 誰よりも長く遙の傍らに存在する己は、純粋に遙の幸せだけを願い、夢見た筈なのに。

 いつしか俺はその幸せを、二人で分かち合いたいと考えるようになっている!

『いや、違う』

 嫉妬という激流に、魂ごと押し流されそうな闇の中、斎は必死に光を求めて足掻く。

『間違えてはいけない。卵である己が願うのは唯一つ。遙の幸せだけだ!』

 様々な感情に激しく精神が揺れる中、斎は更に堅く眼を閉じて、救いを求めるが如く、

遙の姿を脳裏に鮮やかに描き出す。



『遙』

 たったいま聞こえた遙の声は、仲間達が聞いた事がないくらい、安堵に満ちていた。

 自分が弱いと認めた遙。 それに気付かせた皓と恭。

 彼等の存在は間違いなく、これから先、遙の大きな救いとなる。




「お前達は無条件で私に惹かれてしまうから」

 いつからだろう。俺達仲間が遙に向ける愛情を、遙は何故か信じようとしなくなった。

「お前達は自由にして良いのだよ」

 寄せる好意に対し、いつも淋しげに呟く遙が、その胸中に何を抱えているのかは、誰も知らない。

 誰が何を聞いても、遙は頑ななまでに何一つ答えようとしないからだ。

「信じてもらえない想いは辛いが、案外信じられない遙が一番辛いのかも知れない」

 呟いた彗の言葉は、皆の気持ちを正しく言い当てていた。

 何かの弾みに見せる遙の苦渋に満ちた顔は、仲間を傷つけると同時に、遙自身をも深く傷つけていたのだろう。


「私は、本当は――」

 仲間の問いかけに、何度も口に出しかけて、それでも言い出せない、本当の理由。

 責め立てる仲間達を前に、迷い、躊躇い、結局遙は何も喋らずに口を塞いでしまう。

 唯一「勝手なのは解っている。だが、私はお前達を失いたくない」とだけ零して。

「私は、大丈夫だから」

 感情を抑制して微笑む遙の笑顔は、いつしか斎達の見慣れたものになってしまった。

「ねえ遙ちゃん。俺達は卵じゃない」

 恭が述べた通り、卵という存在に起因する何かが、遙にとって影響を与えているなら、

皓と恭の存在は我々にとっても必要不可欠だ。

 卵ではない彼等との間にこそ、築き上げる事の出来る、掛け値なしの信頼関係は、孤独に苛まれた遙を癒すに違いないのだから。



「俺達は、俺達の意思で、遙ちゃんを守りたい」

 卵相手では打ち明けられない想いも、彼等になら曝け出す事が可能かも知れない。

 細い肩に背負った沢山の重荷を下ろせる場所が、皓と恭と言う二人の逸れの出現によってようやく遙にも確保されたのだ。

 遙の精神状態が少しでも、落ち着きを取り戻せる事を、斎は心底祈らずにはいられない。

 だが何故だろう。恭の言葉に揺れる遙の姿が映って、息が出来ないほど胸が苦しい。

「だからもう『大丈夫だから』と、無理に俺達を拒絶しなくても良いんだよ――」

 ――ああ、本当はどれだけその言葉を、己の口で遙に言いたかった事だろう――



「見ないから、泣け」

 けれど閉じた瞼のその先で。 続いて浮かんだ映像は、やはり斎の胸を激しく責めつける。

 卵である斎達と違って逸れである皓や恭は、刻印の制限を受けない。

 遙をその手に優しく抱き締める事も、心を占める想いを遙に有りのままに伝える事も可能なのだ。

「斎、お前はそれが解っていてなお、彼等を仲間だと言えるのか!」

『そうだな彗、お前は正しい』

 皓の腕に深く包まれる遙は、来るべき未来の姿を斎に連想させて、吐き気を(もたら)した。

「いいか、斎。俺達が越えれなかった壁を易々と超えるあいつ等は、いつかやがて遙を手に入れる」

「そんな事は――」

 倒れる直前、廊下で交わされた彗との会話。 否定する声は確証に欠け不安が過ぎる。

 彼等の存在を迎え入れたい想いと、認めたくない感情の狭間で、瞬く間に混乱する想い。

 正しき情報を即座に判断出来ない理性に、斎は酷く戸惑う。

 まるで対極な位置に存在する二つの感情は、斎自身を錯乱の域へと招くのか。

『俺は……俺は一体、どうしてしまったのだろう』


 


「斎、大丈夫か?」

 耳元で現実に響く声に、斎は薄く眼を開く。

 (もや)のかかった視界に映る、気遣わしげな友の表情と、遙に自らを喰わせた時の恍惚とした男の表情が、斎の胸中で交差する。

 無意識に握り締める拳は、無力な己に対する怒りなのか、それとも置かれた立場に対する理不尽な怒りなのか、斎自身にも判断がつかなくて。

「斎?」

「ああ、大丈夫だ」

 再び強くかけられた友の声に、斎は狂気に支配されそうな自我を必死で取り戻す。

 ――大丈夫。己はまだ闇に呑まれてはいない。 全てが憎いと思いながら、それでも全てを愛おしいと思う己が、確かに存在しているのだから――

 遙への狂おしい想い故、精神を病み、闇に呑まれた仲間達。

 頬を伝う涙を拭おうともせず、仲間を(ほふ)る遙の姿を、斎は何度間近で見てきた事だろう。

『だから己だけは、遙を泣かす訳にはいかない』

「大丈夫だ、彗。俺はまだ……大丈夫だ」

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