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取り戻した、想い(119)

『契約がまだ、だと』

 彗は先ほど必死で抗う皓に、強く掴まれた己の手首を見遣る。

 赤く腫れた箇所は鈍い痛みを生み、僅かばかりの熱を放っていた。

『俺に傷を付けれる相手は、この屋敷では斎だけだ』

 卵だけが持ち得る、それぞれに突出した固有能力。 時としてその力は遙をも上回る。

 彗の能力は、肉体の強化を主とするものだ。

 魔物ですら傷をつける事が適わぬ身体に、損傷を与える程の皓の『力』とは。

 思い浮かぶただ一つの結論に、彗は否定の声を上げようと口を開いたが、洩れた言葉は溜め息にも似た、苦笑でしかなくて。

「は……はは」

 渇いた笑いすら満足に出せない状況で、彗は己れの唇を強く噛み締める。

 遙と彼等の間で、契約が本当にまだ行われていないとしたら。 

『皓と恭。……二人の内少なくとも皓は、間違いなく俺達卵に取って最も忌むべき存在だ』

 存在すら忘れられた「それ」が生存し、なお且つ性別が男だった事は、生粋の卵にとって許し難い現象だ。

『遙。貴女が誰のものにもならないからこそ、俺達は現在まで全員で、貴女を見守り続ける事が出来た』

 卵達に与えられた(かせ)は皆等しく同じだったから、仲間に協力する事も抵抗なく、可能だった。 ――だが。


「なぁ斎。……皓は、駄目だ」

 背中越しに、こちらへ歩み寄る斎の気配を読み取って。 聞こえるように、呟いた。

「何が、だ?」

 問い返す斎に、彗は黙って手首を振って見せた。

 重力に頼りなく揺れた彗の手首の動きに、斎の瞳が僅かに見開かれる。

「脱臼……か?」

「だと良いが、少し骨に来たようだ」

「……」

 恐らくは彗と同じ結論に至ったのだろう。 強張った斎の表情に、彗は重く頷く。

「斎、確かあの二人には、お前の張った結界は通用しなかったんだな?」

 遙に次ぐ強い『力』を保有する斎。

 他者とは比べ物にすらならない、強大な斎の力は、仲間の羨望を一身に背負っていた。

「ああ。破られた訳ではないが、通用はしなかった」

 そう。彼等は斎の紡ぎ出した強硬な結界を破った訳ではない。

 結界そのものを擦り抜けた、特異な彼等の力。

「最悪の場合、もし皓だけでなく、恭までが『それ』だった場合、俺達『卵』に勝ち目は無い」

「予測だけで結論を先に出すな彗。まだ全ては推測に過ぎない段階だ」

「だが!」

「それに彼等が例え『逸れ』であろうと、同じ仲間同士だ。勝ち負けはない」


『逸れ』それは紛う事なく、同じ血を持つ仲間。

 卵として生を受けながら、何らかの事象が原因で力に目覚めず、自覚もないまま人として育つ卵が、極稀にこの世界に存在すると聞く。

 純粋な卵と違って、正常な繁殖能力を持つ彼等は、その血を当然の様に次代へと繋いでいくのだ。

 脈々と受け継がれ、深淵の底で眠り続けた血は、やがて継承者の身体から刻印を消し、枷の存在自体を完全に、時の砂中へと沈めてしまう。

 従って何代も後に突然、力に目覚めた子孫の身体には、当然だが何の印も刻まれてはいないのだ――


「仲間、だと?! 卵である俺達が、『逸れ』を仲間と見做す事など、断じて有り得ない!」

 力だけはそのままに、刻印という枷を背負わない逸れは、遙に対して何の制限も持たない。

『――もし彼等が逸れと言う、特殊な存在ならば』

 皓や恭は俺達と違って、遙をその手に抱き締める事も、透き通る白い肌に顔を埋める事も、可能だと言う事を指し示す。

「斎お前はそれが解っていてなお、彼等を仲間だと言えるのか!」




 ――人目に触れるかも知れない廊下で、己の感情を率直に表す彗は、とても珍しい――

 斎とて、憤る彗の感情が理解出来ぬ訳ではない。 卵なら、誰もが無条件で遙に惹かれるからだ。

「斎、お前は遙を奪われても平気なのか!」

「遙を? 彗、悪いが俺は遙をそんな対象に見た事は、一度もない」

「! 斎」

 遙に恋愛感情はないと言い切った後、不意に斎を襲った、鋭く抉られるような、胸の痛み。

 何より彗の顔に一瞬浮かんだ、後悔と罪悪感が交差したような表情に、斎の神経が障る。

 卵なら、誰もが無条件で惹かれる筈の存在である『遙』

『遙を意識しない卵が存在しないのなら、何故己には、遙への思慕がないのだ――?』

 自身の胸をどんなに探っても、遙に対する想いの欠片すら見当たらない。

 この状態はどこか異常なのか? それとも――



 眉をしかめ、こめかみを押さえた斎の様子に、彗が気遣わしげな視線を投げ掛け、どこか性急な口調で言葉を続けた。

「済まない、そうだった。斎は遙に興味は無かったな」

「……ああ。興味は……ない」

「斎?」

 どうしたのだろう。 何故か急激に眼が廻る。 酷く気分が悪くて、視界が白く霞む。

 心配そうにこちらの顔を覗き込む彗の表情も遠く、一向に現実感を伴わない。




「お前は今宵、全てを忘れるのだよ――」

 いつだったか、夢の中へと訪れた遙の姿。

 狂おしいほど焦がれ待ち望んだ遙との逢瀬は、斎が願った形では無かったが、隠し切れない心は躍った。

「いま、お前を苦しみから解放してあげる」

 朦朧とする意識の中、泣きそうに歪んだ遙の顔と、額にそっと押し当てられた、冷たい掌。

 沈む意識の中で、果たして己は遙に「泣くな」と、ちゃんと言ってあげられたのだろうか。

「済まない、斎。本当に、済まない」

 大量の涙に、滲んで揺れる碧の中で、次第に鮮やかになる紅い光。

「遙……」

 だがこれでようやく己は救われるのだと、奔流される熱い力を前に、斎は自らすすんで眼を閉じた。




『この記憶は何だ?! 俺は一体何から解放されたかったのだ?』

 ぐらりと傾ぐ身体は、現実なのか。 耳元で何かを大声で喚く彗の声が、妙に遠く、騒がしい。

「斎、しっかりしろ、斎! 皓、恭早く来い、斎が倒れた!」

 横倒しに暗く(せば)まる視界の中で、見えた遙の姿。

 必死で駆けつけるその姿は、例えどんな状況下に在っても、やはり美しい。

『ああ、成る程。俺は遙の事が――だったのだ』

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