表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
112/184

甘えられぬ理由(112)←訂正分 

「斎を頼むか……」

 彗を頼むと、斎に懇願された日の記憶が、否応なく遙の脳裏を()ぎる。

 もうどれ位前の事だろう。まったく同じ台詞を斎が遙に吐いたのは。

 彗を頼むと告げた斎も、今日の彗と同じ様に、随分苦しい顔をしていた。




「彗を救ってやってくれ」

 滅多に己の感情を見せない斎が、隠すことなく彗を想い、遙に協力を(こいねが)った。

 揺るぎない斎の信念を前に、遙は己が折れるしかなくて。

「仕方ないね」

 小さく漏れる溜息を一つ。空へと続く窓を開け、彼方へ視線を這わす。目指すは此処から遠く霞む、來の屋敷。

「どうせお前の仕組んだ事だろうね、來」




「おや? こんなに朝早くから貴女の貌が拝めるとは、私は運が良いようだ」

 先触れも出さず、不意に訪れた來の屋敷。迎え入れる來は、言葉だけは驚いて。

 だが既に窓は開けられており、遙を迎える準備は全て滞りなく、万端に整っていた。

『さすが、お見通しか』

 來は優雅に一礼をすると、固い表情を浮かべたままの遙を、己が私室へと招き入れる。

「來。貴様一体彼等に何をした?」

「挨拶もなしですか。貴女は相変わらず――」

「來、悪いが私はお前と言葉遊びをする気分ではない」

 どうせお前の事だ。私が来た理由も、本当は全て解っていて(とぼ)けているのだろう? 用意周到なお前の事だ。何の準備もなく、私を受け入れる筈がないのだから。

「遙」

 要件以外、己の言葉を取り合おうともしない遙に、來は短く嘆息すると、更に言葉を繋げた。

「たまには貴女の笑顔を、私に見せて戴きたいものだが」

「來!」

 戯言は要らぬ、と來の言葉を強引に遮って、遙は己の怒りを僅かばかり瞳に乗せる。

 冗談を解さぬ口調と、碧の色に混じるほんの少しの紅を見付けて、來は大袈裟に肩を(すく)めると、口調を改めた。

「彼等とは?」

「斎や彗。それだけじゃない、彼等卵に対してだ」

「ああ。奴等、にですか」

「……」

 持て余す程長い脚を組みながら、來は極上の微笑を浮かべた。

 流れる瀧のように、細く長く(たゆ)る銀の髪。

 暗褐色の瞳は切れ長で、知性と冷静さをそこに覗かせる來の姿は、遙の怒りをどこか楽しんでいるように見えた。

「何か問題でも有りましたか?」

「何か、じゃない」

 並みの感性なら、恐らくその場で(とろ)けてしまいそうな微笑を浮かべる來を、物ともせず遙は(いきどお)る。

「彼等が私に対する執着は度を超している。明らかに異常な反応だ」

 一人や二人ではないのだ。 遙の傍らを固める卵のほぼ全員が、何十年か毎に同じ様な症例を(わずら)っている。

「症例……ですか」

 遙の言葉にクスリと來が笑う。

「來!」

「失礼。貴女らしい言い方だと思ってね。……遙、奴等の反応は病気ではない」

「?」

「私は奴等に(しつけ)(ほどこ)しただけだ」

「……躾だと?」

「ええ。奴等が我々飼い主以外に、その軽薄な尻尾を振らぬよう、少し躾をしたまでに過ぎない」

 生来の魂に、耐え難い程の強烈な思慕を植え付けて置けば、感情の命ずるままに、奴等は(おの)ずと私達を探し、求める。

 育った餌の回収漏れ、といった事態を解消出来るこの躾の効果は、我々側からしても歓迎すべき物だろう。

「理性では制御出来ない感情は、動物らしくて奴等にはお似合いだろう?」

「だが來よ、その強烈過ぎる思慕が、私にとっては問題なのだ」

「……触られでもしましたか」

 (たの)しげに薄く笑う來に、咄嗟に返す言葉も思い浮かばず、遙は仕方なく口を閉ざす。

「でも大丈夫だったでしょう?」

 奴等は動物ゆえ、原始的本能が求める繁殖行為は、どうしても否めない。 そこで私は奴等の身体に、二重の仕掛けを施した。

「それが第二の刻印か」

「ええ」

 我々に必要以上の接触行動を起こした場合、奴等の身体に刻んだ刻印は発動する。

 一時的に全神経を麻痺させ、一切の自由を奪う刻印の発動は、時として心臓の動きすら、強制的に停止させる。

「あくまでも貴女の身を守る為の処置ですが」

 優しすぎる貴女は、繁殖期を迎え、己に迫る奴等をその手で始末する事など、出来はしないでしょうから。

 己の身が守れない、遙の卵だけに刻まれた印。 事実來の卵には、第二の刻印はない。

「私は貴女と違って、己の身は守れますから、印など必要ないんですよ」

 とがめる遙の視線を正面から受け止めて、來は囁くように遙に問う。

「覚えが有りませんか?」

 確かに己に執拗に触れている最中に、不意に意識を失った卵が何名かは存在する。

 ……と言う事は。

「あれは、繁殖行動だったのか!」

 やけに執拗に身体に触れる相手だとは思っていたが、そういう意味だったのか! 

 結論に達し、驚きを隠せない遙に、來はとうとう声を上げて笑った。

「貴女の事だから、もしかしたらとは思いましたが」

 閉鎖され、必要以外の人間は入室すら禁止された、遙専用の管理部屋。

 特殊な環境下で育成された遙に取って、最も無縁であるべき行為は、学習対象にすら、ならなかったのだろう。

「やはり私の見解は、間違いなかったようですね」

 そして密かに続けた、言葉には出せぬ、胸の中の強い想い。

 ――ねぇ遙、私が貴女の身体に、私以外の者を触れさせる筈が、ないでしょう?

 貴女がもう少し周囲の感情に敏感ならば、こんな回りくどい方法は必要ないのだ。

 卵も私も、求める相手は同じなのに、どうして貴女は――

 現に切なく見詰める此方の視線に気付きもせず、遙は己の考えを整理する事で、精一杯だ。



「私は、卵は我々に触れられない生き物なのだろうと、どこか漠然と思い込んでいたが……そう、お前の付けた刻印の所為だったんだね」

 口惜しげに告げて、指先を噛む遙の様子を、どこか突き放した眼で眺める己を認識しながら、來は言葉を続ける。

「だが遙。私は奴等には、前もってその事実を伝えている」

「えっ?」

 お前達には、永遠に遙を手にする事は出来ない。 餌となって喰われる事でしか、想いは満たされぬ、と來は彼等に告げた。

「遙に喰われる事が、卵にとって想いの成就だと」

 さすれば遙が衰弱した折に、彼等は喜んでその身を遙に捧げるに、違いないからだ。

 流石に感情自身をその身に植え付けたとは説明していないが、何大した事ではない。

「喰われる事が彼等にとって想いの成就だと……そんな馬鹿な事は」

 力なく首を振る遙に、來は言葉を畳み掛ける。

「貴女には、何も解らない。貴方は結局のところ、愛情とは何か知ろうともしない」

「來?」

 不安定に揺れる碧の瞳に、薄く色付く唇に、無駄と解っていてもなお、何度己の魂を奪われた事か。

「遙、お前は奴等との距離が近すぎるが、くれぐれも間違えるな。奴等は我々にとって所詮、ただの餌に過ぎない」

「來……」

「奴等が貴女に優しいのは、躾の結果に過ぎない」

 好かれたい、愛されたいと願う心が、遙に対して優しさを生んでいるだけ――

「体よく躾られた動物が、単純に飼い主を慕っているだけだ。奴等の本心ではない」

 そう躾が無ければ、奴等は貴女に見向きもしないだろう。

「私は」

「遙。貴女を真に必要としているのは、私だけだ」

「……」




 あの後、何と言って來の屋敷を辞したのか、現在(いま)はもう思い出せもしない。

 來に真実を告げられる瞬間まで、私は彼等を理解出来ているものだと、心から信じていた。

 彼等が私に寄せる好意は、來が与えた擬似の感情にしか過ぎない等と、考えた事もなく。

 ……私は彼等の優しさを、無条件に得たものだと、愚かにも勘違いしていたのだ。

 私が彼等に対し自然と好意を抱いたように、彼等もまた同じく、ごく自然に私に対して好意を抱いてくれたのだと、そう思っていた。

『けれど真実は――』

 來の告白を聞いてから、月日は何千と巡ったが、あの日の記憶は、痛みと共に一向に消えはしない――

 斎も彗も。 その想いの正体が、我々から与えられた擬似の感情だとは、思ってもみないだろう。 知らぬ間に感情すら操られ、その身を自由に動かされる、哀れなお前達。

『躾が無ければ、奴等は貴女に見向きもしないだろう』 ……確かにそうだな、來よ。

「だから私は彼等に甘えてはいけない」

 彼等の想いが、彼等のものではなく、來によって創られた、仮初の想いならば。

「彼等の命を別け与えて貰う事も、金輪際してはならないだろう」

 私は彼等に頼るべき存在でも、甘えるべき存在でも、決して有りはしないから。

 だから本当は、誰に頼まれるまでもなく、私はお前達に対し、常に責任を取らなければいけない立場にいるのだよ。

「斎、彗……。全ての事実を知れば、お前達は私を憎むだろうか」

 お前達を(あざむ)き続ける事は、実はとても、苦しいのだよ――

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ