束の間の休息-05(110)
「今夜の収穫は予定より早く終わる事が出来た。全員ご苦労だったな」
斎の締めの言葉を合図に、皓は地面にどっかりと胡坐をかいて座り込んだ。
『何っつー労働だ』
黙々と作業に勤しんで、早三時間。
身体中の筋肉は寒さに凍え、手足は至る箇所で不慣れな動きに悲鳴を上げていた。
「疲れた気配すら見せないって……慣れだねー」
「ああ」
住民同士、無駄話しに花でも咲かせているのだろう。
談笑を交わしながら帰宅の途へ向かう村人達は、何と逞しい。
「この作業を白い季節の間、イシェフの人達は毎晩するんだ」
まだ白い季節の始まりから日が浅い。
今日より冷える日も、白い花が舞い散る日も、これから彼等は沢山迎えなければならない。
「何処も生きていくって、大変な事だよね」
「……そう、だな」
それでも彼等の顔に悲壮感などなかった。
白く寒い過酷な季節を乗り越えてでも、イシェフに住み続ける彼等の胸の内には、
俺達が推し量れない「何か」が、確かに存在するのだろう。
「何か……か」
呟いて恭と二人。
座り込んだ木の隙間から、住民の「何か」であるに違いない遙の姿をそれとなく観察してしまう。
「全員、引き上げたか?」
「大丈夫だ」
――多分俺達の姿は夜の闇が生み出す影に隠れて、確認出来なかったのだろう。
誰も居ないと誤った返答を受けた遙は、先程皓がいた木々の場所へと移動した。
「可哀想に。いま治してあげるから」
『?』
触れた木に話かけて。遙の左手から、淡い光が緩やかに立ち昇る。
木全体を柔らかく包み込んだ光は、暫くその場に留まってから、溶け込むように幹の内部へと消えた。
「あいつ何を……?」
同じ様な事を周囲の何本もの木に施すと、遙は満足げに眼を細め「もう大丈夫だ」と呟き、
無邪気な微笑を浮かべた。
「!」
遙の微笑なら、これまで何度も眼にした。けれど普段の澄ました笑顔からは想像も出来ない、
遙の素の表情に、恭と皓は息を呑んで、揃って見惚れてしまう。
「彼はまだ加減を知らないだけだから、許しておあげ」
囁くように漏れた遙の言葉に、恭は漸く遙が取った行動の意味を悟って、小さな呻き声を上げた。
……そう言う事、だったんだ。
「恭?」
意味が解らず、隣で小首を傾げた皓に、恭は思案しつつも、遙の一連の行動から得た真相を、打ち明ける。
「あのね。実を効率よく収穫する事ばかり考えた皓は、本体である木の事は全然考えていなかったよね?」
「ああ」
「あれだけ強い力を浴びた木はどうなると思う?」
恭の率直な問いに「そりゃ傷の一つでも入るだろうよ」と答えかけて、思い当たる。
「あいつ、木の修復をしていたのか!」
「みたい」
「遙、そんな事なら我々がするから――」
遙を真ん中に右往左往する仲間を前に、遙は事も無げに「もう終わった」と告げ、いつものように微笑んだ。
先程零れた無意識の笑顔と比べ、完璧に計算された笑顔は、何処か遙を作り物の人形のように見せていて。
「さっきの笑顔の方が数倍良いよねー」
恭の意見に同意をするべく、皓は黙って頷いた。
「帰るぞ」
仲間に声を掛け、身を翻した遙の姿は、自信に溢れ揺るぎない。
隙の無い姿は見ていて厭味だが、圧倒的な強さを誇る遙の立場なら、また当然なのか。
「やっぱり俺には遙が解らねぇ」
「何が?」
皓の何気ない言葉に、恭が顔を上げて、不思議そうに皓を見詰める。
「俺は仲間に対して自分を偽る事はない。常に自分の意見を正直に言ってきた」
「だねぇ」
この場合、少しも否定しない恭に絡むべきかを真剣に考えて、皓は取り敢えず現地点では無視する事に決めた。
脱線しかけた思考を元に戻し、皓は真顔で続ける。
「だけど俺の見た限り、遙は違う」
遙は何故仲間にまで自分を取り繕う必要が、有るのだろう。
一瞬見せた笑顔は、普段誰にも見せないものに違いない。
強さと優しさをその身に宿しながら、遙は他人に対して強い面しか見せようとしない。
『私は強い』
手に持った、紙に書かれた文字。あれは紙に触れた者の強い思いが文字として現れると、遙は告げた。
「なぁ恭よ。本当に自分が強いなら、そんな事をわざわざ考えるか?」
「余程の自信家かなら有り得るけど。……遙ちゃんはそんな人には見えないしね」
「少なくとも俺なら考えねぇ」
強さは誇るものであっても、常日頃心の中で強く思うものではないからだ。
もしかして遙は、自分自身にその言葉を絶えず言い聞かせているのではないのか。
あの浮かんだ文字を見た時から、逆に皓は遙の強さを疑い、あらゆる事に迷いが生じ始めている。
冷酷に見える表情も、酷薄な物言いも、全てが弱さの裏返しだとしたら?
『……遙。お前は本当に強いのか?』
「遙、彼らは本当に卵ではない?」
屋敷への帰り道。斎の隣に並んだ彗が、周囲を憚るように小声で遙へ問いかける。
「解らない。少なくとも彼等の見える部位に刻印は無い。……が」
流し見た遙と彗の視線を己に感じて、斎が後を続ける。
「俺と同じ可能性が有るとでも?」
「ああ。否定は出来ないだろうね」
……斎と同じような場合なら、仲間になった後でしか判別は無理だろう。
力が強い者に限ってだが、稀に刻印が外からは見えぬ部位に刻まれる場合も有る。
「遙。さっき皓が放った力は人間の物ではない」
「……」
「もし精査の結果、皓が卵ではなかったら、彼は恐らく――」
斎の言い淀んだ語尾を引き取って、遙は斎を真っ直ぐに見詰めた。
「それはその時だよ」
可能性を秘めているのは何も皓だけではない。
過去に意識を手放した恭に触れた折、僅かに身体に残った『力』を遙はその身で感じた。
「どの道、彼等はやって来るのだから」
迷える森を。道無き荒野を。彼等は怯む事なく越え、必ず屋敷に辿り着くだろう。
「出来れば申し子はこれ以上作りたくはなかったんだがね」
「どうしてだ?」
「彼等を申し子にするのは至極簡単な事だが、後をどうする?」
多分私の寿命は、申し子となった彼等より先に潰えてしまうだろう。
だが万が一にでも彼等と交わした契約が安定する前に、私の命が潰えたとしたら?
その後の彼等を待ち受ける運命は、今更言葉にして言うまでもない。
「血に飢え、彷徨う異形の者――。そんな者にあの二人を変える訳にはいかない」
――ならば結局、私はまた誰かを犠牲にして生き続けなければいけないのだ――
無意識だろう。遙は唇を強く噛み締める。
「遙、そんなに辛いなら俺を食べろ」
「……彗」
己の言うべき言葉を、隣にいた彗に先に奪われて。斎は我知らず拳を握り締める。
「有難う。だが私は大丈夫だ」
それでも薄く微笑んで返す遙の言葉は、誰に対しても必ず同じ内容だ。
やんわりと返される、然し確固として拒絶する遙の言葉は、いつからか斎の胸に消えない棘となって
血を吐き流す。
『遙。何故貴女は誰にも甘えようとしない?』
互いに擦れ違う想いは遠く。どんなに傍にいても、この手には絶対掴み切れない。
何も求めない貴女にどうしたら、俺達の存在を必要として貰えるのだろう。
己の胸に巣食う、餓えるほど切ない思慕は、正常な均衡を失い最早限界に近い。
『頼むから遙。俺達を……俺を拒むな。大丈夫などと、聞きたくもない』
心が叫ぶ言葉は決して音には出せず。行き場を失った想いはこんなにも熱い――
「斎、己を失うな」
失ったところで卵である斎には何一つ得られる物はないのだよ。と言外に告げた遙。
『そんな事は俺が一番知っている』
力の限り握り締めた己の拳から、薄く血が流れても、なお。
想いは止まらない――