束の間の休息-04(109)
「あー面倒臭ぇ」
小さな実を一つずつ手で摘んでいく作業は、思ったより大変だ。
途中で見かけた遙は、小さな身体を木の中に埋めるようにして、収穫を続けていた。
「なぁ、恭よ。遙って変な神様だな」
「うん?」
「優しいのか、優しくないのか、俺には正直遙が良く解らねぇ」
「皓は単純だからねー」
「何をっ!」
退屈しのぎを兼ねて、皓は恭の茶化した物言いに、積極的に喧嘩を買おうと移動する。
恭にもっと絡んでやろうと意識的に動いた途端、腰に付けていた剣が騒々しい音を発てて、
その存在を主張した。
『! この手が有ったか』
浮かんだ考えに不敵な笑みを一つ。頬に刻んで、皓は告げる。
「恭、下がってろ」
「皓?」
辺りに他に人がいないかを十二分に確かめてから、皓は徐に自分の剣を鞘から引き抜いた。
「あのー皓? 何でこんな所にまで、皓は剣を携えて来てるのかな?」
「用事とやらが終わったら一勝負でも、って思ったからだけどな」
遙の不意を突いて、一方的に勝負を挑むつもりだった。
「けど何か、今日はもうそんな気分でもなくなったしよ」
お人好しのイシェフの民は、遙の元で悠々と暮らしては居なかった。
彼等は奇蹟に頼らず、自分の足で大地をしっかりと踏み締める事の出来る、数少ない自立した民だ。
辛い境遇だからこそ、助け合う精神が他より旺盛なだけなのだろう。
それを見守る遙も、どうやら一時の気紛れ等ではなく、全力で彼等の為に活動しているようだから。
『俺はあの男が言うとおり、遙を誤解していたのかも知れない』
仕方ねぇ。村人全員を敵に回す訳にも行かねぇしなーと呟く皓の言葉に、恭は思わず笑顔を見せて。
「皓」
そんな恭の態度に照れたように違う方向を向いた皓は、不意に表情を引き締めた。
「離れとけよ」
傍らに佇む恭に再度念を押す。
……俺が皆から恐れられる本当の理由。お前になら見せてもいいかも知れない。
眼を閉じ、風のそよぐ気配を読み取って、澄んだ空気を自分の内部へと取り入れる。
外からは自然の鋭気を貰い受け、中からは眠る内なる気を呼び覚ます。
掌へ精神の集中を。やがて熱く燃えるような掌に浮かぶ、丸く小さな淡い光。
淡い色を帯びた珠は、掌からゆっくりと腕を伝い、胸へと向かう。
眼を閉じた皓の身体の上を、まるで浮き沈みを繰り返すように移動する珠は、胸を通過し、
今度は両の足裏へと向かった。
外から中へ。
足裏から珠は再び上昇し、胸を通り、煌く痕跡を残しながら、掌へと還る。
全身を淡い光に染めて、内部に溜めた清浄な呼気を、いま一気に内から外へ解き放つ。
眼を見開く瞬間、力の道筋を鮮やかに思い描いて、皓は両手に剣を握り締める。
限界まで吐き出す息。
「哈ー」
腹の底からの息吹と同時に、空目掛け両手で豪快に振り下ろした刃は、突如風を生み、
切っ先から凄まじい力となって一直線に放たれた。
「!」
突然発生した強い力の波動に、斎と仲間が一斉に遙の擁護へと向かう。
「遙!」
「大丈夫だ。心配するな」
「……?」
慌てる仲間を諌め、見つめる視線の先に、地面に大量に落下した実を拾う皓の姿。
「まさか、あの人間が」
半信半疑で呟いた仲間の一言に、期せず皆が一様に頷く。人間に有るまじき『力』の強さ。
いま放たれた『気』は我等の『力』に何と近い波動を持っている事だろう。
「ほう。思った以上の力だな、遙」
「ああ」
僅かに反れた皓の気は、遙が咄嗟に防壁を張らなければ、周囲を巻き込む所だった。
皓の放つ力が、安定しない上に酷く荒削りなのは、恐らく我流で身に付けた所為だろう。
『やはり指導は不可欠か……』
力の方向が反れた事に皓自身が気付かないなら、問題が発生するのは時間の経過と共に明白になろう。
『それに彼等は決して諦めないだろうから』
麓で養生を終えた後、彼等が大人しく故郷へ帰るとは、流石の遙も考えてはいない。
『必然を、避ける事は適わぬか』
出来る事ならば。皓、恭。私はお前達を人間のままでいさせてあげたかったのだよ。
『仕方ないね』
大きく深い溜息を一つ。
盛んに動き出した彼等の運命の羅針盤を、完全に止める事はいくら遙でも不可能だ。
揺れる風は彼等を誘い、運命は宿命の海へ向かって、大きく帆を掲げてしまった。
彼等が旅立つ長い航海の先々で、果たして何が待ち受けるかは、遙にも解らない。
『私の力を以ってしても、窺い知れぬ未来を持つのは彼等が始めてだ』
占める不安を追い払うように、遙は碧の眼を固く閉じる。
定められた未来など本当は何処にも存在しない。後に後悔しない選択など絶対に有り得ない。
……けれど。己が置かれた立場に迷いは禁物なのだから。
『私は強く有らねばね……』
せめて彼等に訪れる未来が少しでも希望に満ちているように、現在はただ祈ろう。
私に出来る事はそれくらいしかないのだから。
『再び挑んでくるが良い。皓、恭。私はもう逃げない』