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束の間の休息-03(108)

「出稼ぎ?」

「って、これ?」

 素直に頷いた男に、開いた口が塞がらない。

「遙様は近隣の村町に話をつけて下さった。白い季節の間だけ、イシェフの住民全員の食糧や生活物資を、助けてやってくれと」

『但し、お前達の努力は不可欠だよ――』


 遙が遠い昔に近隣と交わした契約は現在も有効だ。

 村の土地が安定し、豊かになるまで、と期限を定めず締結された契約は、文字通りイシェフに住まう民の命綱となっている。

「何でだ? 神様だろう遙は」

「?」

「村を豊作にする事なんて容易いだろうに」

 わざわざ寒空の中、住民全員で働く必要などないだろう。 季候さえ自在に操れる奇蹟の力。

 豊作を心から願えば、遙なら簡単に叶えてくれそうだが。


「……誰も願わなかったからだよ」

 長い間、間近で彼女を見守ってきたイシェフの人間だからこそ、俺達は何も願わない。

「!」

 一番近くに存在する、だからこそイシェフの民は遙に一番甘えてはいけない存在なのだ。

 無論、豊作は願っている。 けれどそれは奇蹟を起こしてくれと願っているのではない。

 土地が自然に治癒し、再び作物を宿してくれるのを、ただ祈っているだけだ。


「俺達は遙様を良く知っている」

 誰よりも強いけれど、酷く脆く、傷つき易い彼女の精神を。 時に厳しいけれど、本当は優しい心根を。

 深手を負い、麓近くで倒れていた事もある遙に、これ以上余計な負担は掛けられない。

「俺達にはいったい何ができる? 遙様の直ぐ近くにいるにも関わらず、ただ見守る事しか出来ない俺達に」

 無力な人間に出来る事は、所詮限られた事でしかない。

 ――けれどそれが少しでも彼女の負担を減らすなら。 例えこの先にどんな事があっても、決して奇蹟は願わないと、住民全員が固く心に決めた。


「……じゃあ結局辛いのは村人だけじゃねぇか」

 神様の気が向いた時だけ、救いの手を差し伸べるって言う、お決まりの形だろう? 

勿体(もったい)ぶらずお得意の『力』を使って、一瞬で終わらせればいいだろうに」

「皓!」

 (とが)める恭の声に耳も貸さず、皓は続ける。

「今日だってどうせ気紛れに過ぎない」

 俺達を駆りだしたのも、収穫に(いそ)しむのも、何もかも所詮は見せかけなのだろう?

 俺の叫びを無視し続けたように、気が向かなければ、お前は人間を助けもしない。


 憎憎しげに吐き棄てた皓を、男は夫人と共に何処か冷めた眼で見詰めた後、淡々と言葉を紡いだ。

「お前はどうも遙様に対して、何か激しく誤解しているようだが」

 男の視線がちらりと遙の方角を追い、愛おしそうに(すが)められた。

「大山が火を噴いてから俺で七代目だが、誰も遙様がこの作業を休んだところを見た覚えは無い」





「遙」

「ああ、斎。遅かったな」

 呼び掛けに顔も上げず、懸命に作業をする遙の手を斎はとっさに掴んで、止めさせる。

「斎?」

 案の定、不器用を通り越す遙の指先は、(とげ)に当たって傷だらけだ。

「貴女は本当に慣れると言う事を知らないのだから」

 遙は昨日今日にこの作業を始めた訳ではないのだ。

 なのに何故こうも見事に、毎日沢山の傷を作る事が出来る?

 嘆息(たんそく)を一つ零して、斎は後方に控えた仲間に適切な指示を与え、分散させた。


「斎、手を離さないと、作業が出来ない」

「遙」

 昼間に二度倒れかけたのだ。

 収穫の作業なら村人と己で出来るから、今宵は休めと止める斎を振り切って、遙は当たり前のようにここに居る。

『どうしてそこまで自分を(ないがしろ)にする?』

 人間全体に対する憐憫(れんびん)と言うよりは、無意識的な行動に近い遙の動きは、一種の贖罪(しょくざい)行為を斎の脳裏に連想させて。

『貴女だけが気に病む必要はない。この世界で生きていく為には、避けれない事象もある』

 現に遙と同じ様に平然と人間を喰らう來は、何の呵責も感じていない様に、斎には見受けられる。

 それに遙とて全ての人間を喰らう訳ではない。 喰らう相手は遙と契約を交わした申し子か、斎のような卵だけだ。

『我々は全て納得済みなのだから』

 例え命が尽きた後にその身を喰われようと、貴女の傍に仕え、貴女と共に暮らして行けるなら、我々はそれだけで、十分に幸福なのだから。

『貴女は誰のものにもならない』

 仕組みは誰にも解らない。だが卵ならば、無条件で狂おしいほど遙に魂を惹かれる。

 (しか)し卵である斎達は『刻印の発動』の所為で、遙とは決して交われず、どんなに想い焦がれても遙と一つになる事は、未来永劫に不可能だ。

 ――けれど貴女に喰われる事によって我々は初めて貴女の血となり、肉となり、交わる事が出来るのだ。 遙、貴女は気付きもしないが、それは我々卵に取っては形を変えた究極の幸せ――



「斎?」

 強引に引き寄せ、無理に振り向かせた遙の(かお)にも、無数の擦り傷を見付けて、斎は苦笑する。

 覗き込む碧の瞳に己の姿を捉えて、華奢な身体を意識せず、斎は更に抱き寄せた。

「斎、どうした?」

 笑顔を浮かべたまま、己の腕に素直に収まる遙を、駄目だと解っていても離せない。

 いつからだろう。一度失った自制心は、不意打ちのように斎を襲い、制御が効かない。

「遙……」

 治療の為に掴んだ指先を離し、空いた手で遙の頬を、そっと優しく撫で上げる。

『いっそこのまま貴女を……』

「斎?」

 月夜に照らされた遙の瞳に不審気な色が拡がり、紅い唇が小さく何かを呟こうとした刹那、

「斎!」

 背後から怒りを交えた声と共に、肩に乱暴に手を掛けられて、斎は瞬時に正気を取り戻す。

 振り返った先に、怒りと心配が同時に表れた、親友でもある仲間(けい)の顔。

「……済まない」

 ――力なく漏れた謝罪は、一体誰に対しての物だろう。俺の肩を掴む(けい)か、それとも――

 彗に促されるようにして歩き出した斎の背に、かけられた遙の静かな言葉。

「斎、己を失うな」

 ――告げる遙の声は、どうしてかこんなにも、俺の心に遠い――

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