束の間の休息-02(107)
「寒っ!」
恭がそう零すのも無理はないだろう。
目の前に展開する景色に、皓も思わず引き返す事を考えたのだから。
「ここは一体……」
視界一杯に広がる、緑の木々から成る群生地帯。
自分達の鎖骨ほどの高さの木々に、頭まですっぽり埋もれた遙が、懸命に声を出す。
「無駄口はいいから早く手伝え」
生い茂る葉を掻き分けて、白く細い指が差した先、仄かに色づいた、楕円型の小さな黄色い実。
「棘が有るから、気をつけろ」
尤もらしい顔で人に忠告した遙の指先は、何度か実を摘んだ後なのだろう、既に傷だらけだ。
「陽が昇るまでに収穫しないと、実が全部駄目になってしまう」
「これ、全部?」
「いや、収穫出来るまで成熟しているのは、あの辺りまでだ」
遙が事も無げに言ってのけた、あの辺り。
チラリと一瞥しただけでも、眩暈がするほどの広さだ。
「大丈夫。あとしばらくすれば、屋敷の人間も手伝いに来る」
斎達や仲間の手を借りれば、収穫作業は随分と楽になるだろうから。それまで出来る限り、頑張れ。
喋るだけ喋って遙は、皓と恭をその場に残し、別の木へと移動してしまう。
「……詳しい説明は一切無し、なんだね。遙ちゃんって」
「ああ。そうみたいだな」
取り敢えず遙の勢いに負けた形で、皓と恭は手近な木から収穫を開始する。
暗闇の中よく眼を凝らせば、イシェフに住む殆どの人間が、黙々と作業に勤しんでいるのが見て取れた。
「あら、あなた達まで」
自宅の一室を提供してくれた夫人と眼が合って、皓はその場から目礼を返した。
「遙様ったら……客人にまで声をかけるなんて」
作業する手は休めずに、申し訳なさそうに言葉で詫びる夫人に、皓が問いかける。
「ここには、俺達以外、全員が?」
「ええ。ほぼ全員ですわ」
寒空の下、小さな子供迄もが、大人に混じって作業を手伝う姿は、どう考えても不自然だ。
「どうしてこんな厳しい作業を、村人全員でしている?」
零れた詰問口調の言葉に、一瞬夫人の表情が強張ったのを見て、皓はしまったと思う。
いつも自分は無愛想な物言いしか出来ないから、他人との間に誤解を生じ易い。
どうしたものかな、と思案するまでも無く、
「俺達何の説明も受けてないから、解らないんだー」と、横から笑顔で口を挟む恭に救われて。
「昔大山が火を噴いたのは知っているよな?」
それでも萎縮した夫人を庇う様に、後ろで作業をしていた男が、皓への説明を引き受ける。
「ああ」
男の質問に皓は迷わず頷く。 迷いの森が生まれた要因とされている言い伝えを、知らぬ者はいない。
「あれから随分と経つが、イシェフの土地はまだ安定していなくてな……肥沃には程遠い。俺も、俺の両親も、代々自分の親から聞いた話なんだが、確かな理由に間違いないだろう」
――大山が火を噴いた際に流れ出た大量の赤い液体は、瞬く間に森を焼き尽くし、村にまで押し寄せた。
空から飛ぶ石飛礫は民家を破壊し、地面は燃えるように熱く、足裏を焼いた。
「迫り来る灼熱の液体を前に、誰もが死を覚悟したあの時、遙様はイシェフへ単身で降り立って下さったそうだ」
「土地の根は地熱によって焼き切れた。再生までには相当の時間がかかるだろう」
流れる液体を食い止めて、村人に発せられた一言。
この村はもう駄目かも知れない、と告げる遙様に、私達の先祖は乞い願ったそうだ。
「どんな事でもするから、ここに住み続けたい」と。
遙様はその願いを聞き入れ、あまつさえ大山が二度と火を噴かぬよう、そこへ屋敷を構えて下さった。
喉を詰まらせ、感慨深けに言葉を切った男を尻目に、皓と恭は同時に顔を見合わせる。
『それがあんな変な場所に遙の屋敷が存在している理由か!』
どうしてあんな辺鄙な場所に、屋敷が建っているのか不思議で仕方なかったが、成る程、そういう経緯か。
「遙ちゃんの屋敷自体が、封印の変わりって事だよね」
「ああ」
「けど、それとこれが何の関係が有るんだ?」
皓の再度の問いかけに、男は尤もらしく頷いてから、ゆっくりと続きを話し始めた。
「この土地では越冬は相当に厳しい。お前達は本当にどんな努力でもするのかい?」
空から舞い落ちる無数の白い塊を眺めながら、確認するように呟いた遙様。
集った村人全員に告げられた言葉は、意外な内容だった。
「では村人全員に、出稼ぎをして貰おう」