束の間の休息-01(106)
「ねぇ、皓?」
「何だ?」
灯りを消した暗闇で。
互いに寝付かれぬまま、時間だけが過ぎていく中、唐突に心地よい静寂を破って、恭が喋り始める。
「遙ってやっぱ強いよねー」
「あぁ。強い」
「外見はあんなに華奢で、か弱いのに反則だよね」
「華奢は華奢だが」
……遙が、か弱い? 確かに外見から受ける印象は、恭の告げる通りかも知れない。
だが遙は自分を強者だと知っている眼をしていた。
「顔だって凄い綺麗だよね」
抱き締めれば折れそうに細い身体。
誘うような紅い唇に、憂いを帯びた碧の瞳は、言葉に表せないくらい、綺麗で崇高で――
何処か夢心地で言葉を続けた恭に、皓は軽い違和感を覚える。
「確かに綺麗だが」
……俺は同性の顔がいくら綺麗でも、嬉しくとも何ともないぞ? ……まさか?
惚ける恭から微妙に距離を取りながら、皓は果たして訊ねてよい問題なのかどうか、真面目に思案する。
「恭、お前」
「皓、遙ってまともに俺の好みだ」
「!」
真相をあっさり先に打ち明けられて、皓は思いっ切り、恭から遠ざかる。
『こいつ同性でも対象になるのか!』
「?」
物凄い勢いで部屋の隅に移動した、皓の不可解な行動に眼を奪われつつも、恭は構わず言葉を続けた。
「あんな女って――」
「女!?」
突然自分から離れたり、食いついたり、忙しい皓の様子に恭は不信感を隠せない。
何か意思の疎通が上手く成されていない気配を微妙に感じ取って、恭は皓に問いかけた。
「どうした、皓」
「……いや」
何だか酷く疲れた気がする。
と小声で零しながら、元の位置に戻った皓は、恭の発した言葉を消化し切れずに、逆に恭に問い返す。
「恭、遙は女、なのか?」
「へっ?」
皓の問いに言葉を失くした恭が、小声で何事かを呟いた後、改めて皓に確認する。
「皓にはどう見えたの?」
問われて初めて気付く、性別の曖昧さ。
「俺は……」
対峙する直前まで、遙は男だと疑わなかった。
けれど実際目の当りにした遙の印象は、どちらとも付かない程、あやふやでしかない。
俺達を情け容赦なく麓に送り返す非情さに、怪我の具合を心配する優しさに。
掴み切れない遙の真意は、皓に性別すら、簡単に把握させてくれなくて。
「俺には、解らない」
自分の気持ちを上手く表せる言葉は、見つからない。
「うーん。相手は神様だから、何か仕掛けでも有るのかも知れないね」
「まぁな」
「今度逢ったとき、遙ちゃんに直に確かめてみよう」
「遙、ちゃん?」
「俺、女の子は基本的に呼び捨てしない主義だから」
力を込めて返された恭からの返事に、性別を確認してからの方が良くないか?
とは言えず、皓は溜息と共に、枕に顔を埋める。
「何にせよ、遙に勝たなきゃ意味がねぇ」
ほんの僅かな隙間から、意識せずに漏れた皓の言葉は、低く、重く。
「……うん」
振り出しに戻された自分達に出来る事。先ずは体力の回復と、技量の精進に、再び励むしか方法はない。
『後は作戦だな』
まともに戦ったところで勝てる相手ではない。麓にいる間に、有効な戦法を編み出す必要もあるだろう。
『考える事は山ほどある、か』
俺達の中で、まだ希望の灯りは燃えている。この焔が消える前に、全てに決着をつけなくては。
精神が興奮していただけで、身体は思ったよりも疲弊していたのだろう。いつしか隣で眠る、
恭の寝息に誘われて。 ――落ちる意識の、狭間で思う。
『俺には戻る場所なんて、無いから』
「起きろ、皓、恭」
「!」
耳元で囁かれる、高くも低くも無い音域の小さな、声。
「あれ……どして?」
恭の寝惚け眼の声に、暗闇の中、意識が徐々に覚醒へと向かい、自分を取り戻す。
「悪いが時間が無くてね、お前達の手を借りたい」
一方的に要件を告げながら、恐らくは窓を開けたのだろう。
夜明けには程遠い、冷たく寒い空気が、暖かかった部屋を瞬く間に侵略していく。
「……」
「あ、皓。起きた?」
朝から恐ろしく元気な恭の様子に、皓は無言で眇めた視線を返すに留める。
「まだ夜だ。朝じゃねぇ」
一体何を騒いでいる? と言いかけて、視界の端に映ってはいけない人物を捉えた皓は、再び固く眼を閉じ、
布団の奥深くに潜り込んだ。
「皓、再度寝るんじゃない。私は時間が無いと告げた筈だが?」
聞き覚えの有る声にも、耳を塞いで応戦する、が潜った布団を乱暴に遙に奪われて。
「起きてたまるか」
呟いて横向いた顔に、微かに触れる、頬を擽る何か。
「?」
思わず薄目を開けたのが、失敗だった。
遙は中々起きない俺に業を煮やし、全体重を掛けて押し潰す作戦に出たらしい。
「!」
自分の頬を撫でていたのは、一房零れ落ちた、遙の柔らかい、髪。
「おや?」
吐息さえ感じる至近距離で、真下から見る遙の笑顔。
悪戯の途中で見つかった子供のような、少しばつの悪い遙の笑顔に、思わず眼を奪われた。
「は……!」
声にならない声を上げて、寝台から跳ね起きた皓に、何故かとても冷たい恭の声。
「遙ちゃん、皓は完全に起きたみたいだから、早く離れた方が良いよん」
「そうか?」
「うん。でないと、また昨日みたいに触られるよ」
誰が―― と、怒鳴り返そうとした皓の言葉は、意外な遙の返事で、空に消えた。
「私は別に構わないぞ」
昨夜は不意打ちだったから、驚いただけで、本来人に触れられる程度なら、何の問題も生じないのだから。
「好きなだけ触れば良い」
「……それって」
言い切った遙に、恭が暫し唖然とした後、恐る恐る確認する。
「触り放題?」
ゴツン! と響く鈍い音と共に、恭は皓に加減無しで殴られた箇所を押さえ、大袈裟に蹲る。
「この阿呆が!」
「?」
聞いてるこっちが赤面する程、恭の露骨な言葉も、多分遙には意味が解らないのだろう。
不思議そうな表情を浮かべ、皓と恭に繰り返し視線を流して、少し首を傾げた。
「恭、それはどう言った意味……」
「聞かなくてもいい!」
出された質問を無理に遮って、話題を振り出しに戻す為、皓は改めて遙に向き直った。
「で、俺達に頼みたい事って何だ?」
「ああ、それはだな――」